小学生が消えた。

2017年01月26日 | 日々のこと
この頃PTAに復帰した私。

 地区のPTAの会にでても知っている顔もない無理はない、1代違うのだから。まあーそれ以上に知らないお名前なのである。1代前の私の子育て時代名前を聞くだけで、おおよそ住まいが分かったものである。

 いまや新幹線佐久平駅から車で10分、住宅地としての評価もあがり、家が増えた。子供も増えたのである。だから4区ある内で小学生の数が一番多いのは我が区である。

 しかし・・・・ようやくに考え至ったのであるが・・・近所に小学生がいない・・・・・消えていたのである。

 近在の一軒一軒数えてみても、我が家以外に小学生はいないのであ。その軒数50軒ばかりをみても、いたとしても高校生が1人か2人ではないか。


 夫が各常会で女性と青年と男性を1人ずつ選びださねばならないと言うのをぼんやりと聞いていたのだけれど、子供がいないということは、青年という40代がいないということである。

 暮に公民館の掃除当番になった方が、昔は大掃除をしていたようですが、何か特別にやることがありますかと聞いてくれた。できれば1階の床の拭き掃除をお願いしたいと言ったら「みんな年寄ばかりなので」と答えられた。

 悪いこと言っちゃったかしら、彼女1人で拭いたのではないかと、ご近所のメンバーの顔を思い浮かべてしまった。

 限界集落地ではない。まだまだこの辺りは、親と同居する家が多い地域だったはずは、私が嫁に来た頃の話だ。それがいつの間に、その子供世代はご多分に漏れず、別居となっている。

 そういえば、どこの家にも80代以上の高齢者が居てと言っていたのも10年ちょっと前か。今近所にいるのは団塊世代前後だ。

 2030年問題というけれど、あと10年したら・・・・さらに空洞化になるだろうなとちょっと背筋が寒くなった。

 40年近く前の婦人会の役員仲間から「みはらしのお湯」に行こうとお誘いの電話が入った。もうこれからは地縁の世界だ。幸いにも私たち団塊前後の世代は人が多い。

 自分たちの老後を支えるのはこの地縁かもしれない。

 あらためてそう思うのだ。親世代はお茶のみ会をやっていたが、私たちの年代はそちらに遠慮していてそれをすることもなくここまで来てしまった。

 行政はあの手この手で、お年寄りを地域にひっぱり出す機会を提供してくれるけれど、それらのほとんどは一部の役員をはぶいてみんなお客様でしかない。

 この国の借金を考えたら、自前で自分たちでお茶会をするのもいいではないか。

 今回の「みはらしのお湯」行きもそんな一歩になればいいなあと思う。月に1度か2月に1度でもいいではないか。

 小学生が消えた現実を直視しなければなるまい。

依田 美恵子
  軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家


【 中島木材のホームページは こちら



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