masaring

自己チューの進行形日記でshow。

第3の人生。

2009年08月09日 | masaringの内緒話

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【55歳の僕は、まだ第1の人生。しかし彼は、第3の人生に突入。】

Akahana

ある蒸し暑い日曜日、東京・台場の「デックス東京ビーチ」。
海辺の涼を求める人出の中、とあるイベントに
延べ約300人ほどが群がったという。

中心で演じているのは紙芝居師。

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「そこに現れたのは北斗晶~!」。「ももたろう」の
登場人物をプロレスラーに変えた紙芝居で笑いをとる
紙芝居師もいれば、子供を背中にくくったお母さん
紙芝居師も。4人の熱演が終わると、
惜しみない拍手がわいたという。

紙芝居師の集団「S劇団」の旗揚げ公演。

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その主宰者が昭和50年代前半のアイドルグループの
一員I君だと言うからビックリした。


仕事は紙芝居プロデュース。
従来の紙芝居を大事にしながらも、
小道具を使ったり、個性ある語り手を起用したりし、
「エンターテインメント」として紙芝居を全国展開し、
演者が紙芝居師として食べていけるよう
育てるのが目標なんだそうである。

でも、彼のこの仕事は50歳を超えた今年春から。
グループが解散してから彼をテレビで見ることは無かった。

しかし彼はグループ解散後、第2の人生を
売れっ子放送作家として活躍していたらしい。

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紅白歌合戦に出場したアイドルグループ。
人気凋落後の苦労は想像を絶する。
実力社会の放送作家だ。
しかしI君。ここで「元アイドル」がネックになった。

「制作側には『タレント上がりが』という意識があった」。
テレビ局の企画会議に呼ばれない。
名刺を受け取ってもらえない。「帰れ」と言われ、
涙を流しながらテレビ局を後にしたこともあったという。

しかし努力家のI君、「ここでやめたらかっこいい30歳に
なれない。それに、もう行く所もない」
と、がむしゃらに
来る仕事をこなし、週11本のレギュラーをとった。

しかし、
売れっ子放送作家にはなったが「満足感がない」と感じ始め
紙芝居という世界に飛び込んだのだ。

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収入は放送作家時代の5分の1にまで激減したという。

「でも、満足感のない仕事で金をもらうのは耐えられない。
アイドル、放送作家ときて、これから第3の人生。
紙芝居にかけます。」
とI君は結んでいる。

次は「かっこいい71歳」を目指すつもりだと言う。

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僕は今、第1の人生の途上である。

今の職場が今頃になって居心地が良くなってきた。

でも第3の人生ではなく、そろそろ第2の人生を

考える年齢となったのは確かな事実である。

Akahana

さて、I君が所属していたアイドルグループは↓。

歌のタイトルは『みかん色の恋』。さて、グループ名は何?

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Photo

【ジニアプロフュージョン。さてさて、僕の第2の人生の花は?】

Akahana

コメント (3)
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