塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

サッカーの数字を額面どうりに受け取るな!!

2010-01-29 13:47:41 | 日記
 僕は今「新書」を積極的に読んでいます。
 昔から一度新書に関心のある時期があったんですが、ここ最近は文庫よりも新書に手を出す機械が多くなりました。

 新書は歴史や経済、ビジネスだどの基礎から応用が、濃縮した形で収まっているので便利ですね。僕もビジネス分野の新書を繰り返し読んで、脳みそに重要事項をインプットしています。今は役にたたなくても、将来「覚えてて良かった。」と思うときがあるかもしれませんからね。

 最近読んだ新書の中で印象に残ったのは
 光文社新書「食い逃げされてもバイトは雇うな(上巻)
 朝日新書 「コピー用紙の裏は使うな!」
 の2冊です。どちらも数字にまつわる話が多く、日頃売上や原価など仕事の数字ですら疎遠な僕から見たら、数字で語る事の大切さがひしひしと伝わってきました。

 そこでふと考えました。
 「ビジネスの数字は額面どうりの数字だ。でもサッカーの数字はそうではないぞ!」

 例えばあるクラブでAというFW選手が、30試合の出場で20ゴール、Bという選手が同じ30試合の出場で10ゴールを挙げたとします。普通なら評価されるのはAであって、監督やファンからの信頼も厚いエースストライカーと予想できます。

 しかしAの得点の大半が、降格ゾーンを彷徨う格下相手の得点であったり、他人が得たPKを代わりに蹴らせてもらうなど、いささか「緩い」環境で得た得点に対し、Bの挙げた10ゴールがダービーマッチでの得点や、負けていた試合を後半ロスタイムに得点し、勝ち点1をクラブにもたらす結果になるなど、「厳しい」環境でのゴールばかりだとしたらどうでしょうか。

 もちろん履歴の残る数字を見れば誰もがAの存在を頼もしく思います。でも同様に半分のゴールを挙げているBの活躍も、内訳を確認すると非常に価値のあるゴールだということがわかります。ただ履歴には漠然と「10」としか記載されないため、僕たちはBに物足りなさを感じてしまうわけです。

 代表の世界ではどんなに得点を挙げている選手でも、代表招集の対象にならないときがありますね。当然代表監督はファンやメディアからつるし上げになるわけですが、監督はきっとFW陣の経験だけでなく、ゴールの内訳も吟味しているのだと予想できます。

 確かに格下相手とはいえ、確実にゴールできる技量は素晴らしい。でもそうした「緩い」環境でのゴールを積み重ねても、国際試合ではそう上手く話は進まない。だから代表召集を今は行わない。リーグ戦の最中に強豪相手からゴールを得る、自分で得たPKを自分で蹴るなど、逞しさを身に付けたら召集する。そんな思いで代表監督というのは選手を見ているのかもしれません。

 サッカーの数字というのは、僕たちがその裏に隠れている試合の内容を的確に判断してこそ、本来の姿を初めて見せてくれるものだと思います。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 小林大悟活躍の場をギリシャ... | トップ | サッカーの数字を額面どうり... »

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事