塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

人気サッカー選手が結婚すると

2020-10-03 21:06:47 | 日記
 石原さとみ結婚の報道を聞いて、膝から崩れ去る男性がいた映像を見て

 「日本代表選手が結婚して、この男性と同じ悲しみを味わった女性は過去にいるのだろうか」

 とも考えました。

 西野朗氏はとにかく女性ファンが多かったと聞きましたし、2018年ワールドカップの期間中、白いシャツで陣頭指揮を執る姿に惚れる女性も多かったですね。

 しかし、近年その結婚が女性ファンの心を揺さぶったのは、内田篤人の結婚報道だったに違いありません。

 嘘か誠かわかりませんが、彼の結婚に落胆するあまり、明日の出社をやめたいとこぼすファンさえいたそうですからね。

 先日の引退でお子さんを連れてピッチにたった内田。

 結婚当時は交際報道や、プライバシーの尊重もあったのでしょう、女性について何も語らなかったところが彼らしいと思うファンも多かったと思います。

 ようやく最近、学生時代に既に出会っており、引退に関しても彼の意見を尊重したようで、内田からすれば何も言わなくてもお見通し。

 これくらい気心しれた妻だからこそ、リハビリに耐えられたのではないでしょうか。

 キングがトークショーで、設楽りさ子さんとの出会いについて語る際

 「当時は携帯電話が無かったから、手紙が頼りだったよ」
 「届くのが待ち遠しくてね」

 と懐かしそうな表情を浮かべたことがあります。

 ファックスからメール、メールがラインへと伝達方法は時代に併せて変化してゆきますが、好き者同士が結婚するという法則が変わることはありません。

 ちなみに英国では、ベッカムとヴィクトリアの交際が露見した際は、本当に大騒ぎだったと記憶していますが、彼らの結婚がWAGSの走りであったこと。

 この点でも流行の先取りだったように感じます。
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石原さとみ結婚の余波から

2020-10-03 20:53:51 | 日記
 石原さとみ結婚へ!という報道が全国を駆け巡った瞬間

 膝から崩れ去れる男性
 余りの衝撃に絶句する男性
 俺たちにはまだ、「ガッキ―」がいると開き直る男性

 と、その動揺振りが見ていて摩訶不思議に思えるほどの態度が数多く見られました。

 僕は単純に

 「へえ、結婚が決まったのか」

 と思うくらいで、上記のいずれの感情は抱きませんでしたね。

 そもそも僕のように交際経験が疎いのであれば、美人に近づくことすらできないわけですから。

 ただ、一番大変なのはご亭主になる方ですよ。

 「帰宅すると石原さとみが待っている」
 「石原さとみを独占できる」

 このような視線が、石原さとみの「夫」という述語(当然主語はおわかりですよね)として生きていくその方を、精神的に追い詰めないことを期待します。

 例えば名手とその息子もそうです。

 ジネディーヌ・ジダンの息子はエンゾ・フェルナンデスと言いますが、これはスペイン人の妻の苗字になります。

 つまり、フェルナンデスというスペインではごく普通の苗字であれは

 「ジダンの息子であるとはすぐに発覚しない」
 「出来る限り、ふつうの生活を送らせてやりたい」

 という、ジダンの願いが込められています。

 ジダンがエンゾ・フランチェスコリを敬愛していることは有名で、息子にはソノフランチェスコリの名を拝借した形になります。

 その息子たちも父と同様にサッカーの道を歩んでいます。

 「帰宅すると世界最高の選手が父として出迎えてくれる」
 「フランスかスペインか、それが問題だ」

 一家に有名人がいることは、そうたやすい事ではないと改めて理解できます。

 でも新垣結衣が結婚すれば、また絶叫し頭をかきむしる男性が登場するであろう点も、同時に想像できますが。
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漫画で実存する存在を用いる際の出来事を考えて

2020-10-03 00:21:00 | 日記
 キャプテン翼37巻では、大空翼が選出された日本代表と戦うため、グレミオが来日します。

 現在、このように実在するクラブや選手をアニメーションや漫画で描きたい場合、出版社が許可を取る必要があるのでしょうか。

 単なる推測ですが、キャプテン翼が週刊ジャンプで連載中だった1980年代は、今ほど版権、肖像権という概念が認知されていなかったのではないか。

 と考えただけなのですが。

 大空翼はその後サンパウロに移籍し、ブラジル代表のカルロス・サンターナが中軸となるフラメンゴと対戦します。

 サンパウロ、フラメンゴのいずれもブラジルを代表するクラブであり、特にワールド・ユース編が描かれる1990年代ですと

 1・フラメンゴ最大のスターであるジーコが鹿島アントラーズでプレイ
 2・サンパウロは2季連続でトヨタカップを戦う

 というトピックスがありました。

 キャプテン翼に登場する人物は、高橋先生が生み出していますから、そこまで実存するクラブにおもねる必要が無かったのかもしれませんね。

 翼はその後「架空」のFCバルセロナに移籍し、その後もレアル・マドリードやバレンシアなど、スペインでおなじみのクラブが登場します。

 恐らくこの辺りになると、肖像権や版権というものがとりわけ大切であると、日本でも認知されてきたように思います。

 ちなみに少し前、野球漫画「ドカベン」のプロ野球編の1巻を立ち読みすると、西武ライオンズ、ダイエー・ホークスとチーム名がそのまま用いられていました。

 アニメや漫画の人気がチーム、クラブに波及すればよい相乗効果となり、版権を認めることが好都合という側面があるように思えます。

 
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経由すると速度を失いませんか

2020-10-03 00:02:40 | 日記
 我が家は何かあると

 「お父さんにまず相談しなさい」
 「何故俺に言わない」

 と、父を経由して父の価値観で物の良しあしを決める傾向にあるのです。

 よくJリーグにやってきた外国籍の指揮官が

 「どうして日本人選手は自主的に判断できないのだ」
 「確かに試合前の約束事を尊重することは大切だが、試合で適用できない部分もあるだろう」

 と首をかしげます。

 日本では選手だろうが個人だろうが、自分で判断をし、これで行こう、失敗してもいいから速度を大事にしようと思っても、必ず歯止めをかける傾向にありませんかね。

 アリゴ・サッキがパルマとミランでゾーン・プレスを提唱した際に考えたのは

 1・ゾーン・プレスならば必ずやディエゴ・マラドーナに打ち勝つことができる
 2・それは背番号10を経由しないこと

 という、速度、言い換えれば圧倒的な効率性を求めた結果でした。

 我が家では父、皆さんの勤務先ならば上長の印鑑、それらがないと判断基準が明確でない、サッカーでいう常に背番号10を経由して攻撃が始まる事。

 サッキはその概念を覆し、僕も今日、ある行動で自分で判断をし、行動に移したのですが。

 自分で行動することは

 「ああ、こうすれば次回はうまくいきそうだぞ」
 「この点を修正してみようか」

 という、自分で自分を学びの場に追いやることでもあります。

 他人様のお仕着せや価値観で自分にミスが降りかかると実に腹が立ちますが、自分で考慮したい上で反省点が生まれても動じることが無い。

 実に単純な代物ではないでしょうか。

 現代サッカーで3-4-1-2や4-3-1-2を採用するクラブが少ないのも、経由することよりも選手が最良の判断を下せる方法を指揮官が求めているためだと思うのです。
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