塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

選手とファンの距離を再考する

2017-02-21 00:36:33 | 日記
 前回レドナップの事を記したのは、今自宅に記者やカメラクルーを招いたらな、SNSで恰好の話題になるためです。

 今は選手が自分で情報を伝達することで

 1・ファンは練習会場に出向くことなく内容を把握できる
 2・選手との距離が縮まったと嬉しく思う
 3・選手の私生活が垣間見える

 という点でより注目を集めようとしています。

 と言いますのも、過去は選手のインタビューに誤訳があり、不本意な形で紙面が出来上がった、という例もあります。

 日本のスポーツ新聞は海外から

 「読むところが全くない代物」

 と批判されますが、選手は一面でバカげた見出しで掲載されるのは、やはりいやな気持ちでしょうね。

 また、新聞社が誤報があっても謝罪はしませんし、編集長や記者が処分されるわけでもありません。

 ですから、選手たちは悪質なファンがいるリスクを考えながらも

 「信頼できない記者に話をするくらいなら、自分で記事を書きますよ」

 という姿勢になるのでしょう。

 2000年代のナカタ・ネットがその事例と言えるでしょうし、ただ代表選手たちは、彼がキーボードとにらめっこしていることを奇妙に思っていたのでしょうが。

 選手が自衛に走ることは今に始まったことではありません。

 ただ、記者もファンも、一定の距離感が必要だという認識をもたなければ、選手も俳優も歌手も、脅迫や殺傷事件が亡くならないと考えるべき時代だと思います。
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写真撮影といるある種の牧歌的風景

2017-02-21 00:27:20 | 日記
 1990年代のイングランド代表と言えば、デイビッド・ベッカムがその息吹を吹き込んだ時代でした。

 彼と妻のヴィクトリアは一躍注目の的となり、1998年のワールドカップ、対アルゼンチン戦でベッカムが退場した際は、嫉妬の意味合いもあったのでしょう、多くの批判に晒されたものです。

 実はベッカムの前に、彼と同様かそれ以上の資質と人気を持ち合わせた選手がいました。

 彼はジェイミー・レドナップ。

 父親はイングランド代表監督候補にまで噂されるほどの名伯楽であるハリー・レドナップで、ジェイミー自身も名門リバプールに在籍し、欧州選手権96に出場する名手でした。

 日本のファンで思い出深いのは

 1・彼がミズノの契約選手であったこと
 2・ヴィクトリアが所属したスパイス・ガールズと共に、当時に英国を代表する歌手、ルイーズと結婚したこと
 3・ベッカム同様に、容姿にすぐれていたこと

 があります。

 彼の特集記事が1996年12月号のワールド・サッカーダイジェストで確認できます。

 写真ではイエローラインのミズノが確認できますし、練習風景とスタジアムでのサイン会など、プロとしての姿も垣間見えます。

 しかし、ある種の牧歌的な空気が見えるのは、29ページで

 「レドナップが自宅のソファで写真撮影を許した」

 場面があることです。

 写真の注釈には

 「自宅でくつろぐカットがほしいという注文にも、気軽に答えてくれた。それにしても趣味の良い部屋」

 とありますが、当時は記者を自宅に招き入れても問題がなかったのでしょうか。

 高給取りが多い選手は、強盗やひったくり、脅迫などが頻繁に起こります。

 選手が自分の財産を守ること
 選手が自分の命を守る事

 がより重要課題となっている現在です。
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