塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

選手とファンの距離を再考する

2017-02-21 00:36:33 | 日記
 前回レドナップの事を記したのは、今自宅に記者やカメラクルーを招いたらな、SNSで恰好の話題になるためです。

 今は選手が自分で情報を伝達することで

 1・ファンは練習会場に出向くことなく内容を把握できる
 2・選手との距離が縮まったと嬉しく思う
 3・選手の私生活が垣間見える

 という点でより注目を集めようとしています。

 と言いますのも、過去は選手のインタビューに誤訳があり、不本意な形で紙面が出来上がった、という例もあります。

 日本のスポーツ新聞は海外から

 「読むところが全くない代物」

 と批判されますが、選手は一面でバカげた見出しで掲載されるのは、やはりいやな気持ちでしょうね。

 また、新聞社が誤報があっても謝罪はしませんし、編集長や記者が処分されるわけでもありません。

 ですから、選手たちは悪質なファンがいるリスクを考えながらも

 「信頼できない記者に話をするくらいなら、自分で記事を書きますよ」

 という姿勢になるのでしょう。

 2000年代のナカタ・ネットがその事例と言えるでしょうし、ただ代表選手たちは、彼がキーボードとにらめっこしていることを奇妙に思っていたのでしょうが。

 選手が自衛に走ることは今に始まったことではありません。

 ただ、記者もファンも、一定の距離感が必要だという認識をもたなければ、選手も俳優も歌手も、脅迫や殺傷事件が亡くならないと考えるべき時代だと思います。
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