塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

僕が考える「オールド・レジェンズ・マーキング」

2015-06-26 22:48:44 | 日記
 昨年の今頃、日本代表がファースト・ラウンドで敗退が決定し、ブラジルを去る事で多くのファンが落胆していました。

 加茂スポーツやフタバスポーツ、スポーツデポなどマーキング・サービスを行う店舗も、さぞやがっかりしたでしょうね。

 決勝ラウンドまで進出すれば、少なくとも

 1・マーキングを含む日本代表グッズの売れゆき確保
 2・日本代表を酒肴にできる

 という「特需」がありましたから。

 2014年夏のワールド・サッカーダイジェストを読み直すと、大手では

 「AKB48マーキング」

 が可能だと記しています。

 当時から僕は

 「このマーキングの意味合い」

 に疑問を拭えませんでしたが、1年経過するとその違和感は増大します。

 僕が思う違和感の正体は

 「彼女たちが日本サッカーに寄与した意味あいが思い浮かばない、感じられない」
 「杉山、釜本、原、木村など、時代の先駆者たちのマーキングを作ればよかったのに」

 になります。

 1968年銅メダル以降、日本代表は五輪予選、ワールドカップ予選のいずれでも躓いてきましたが、それでも待遇改善を求め、動いてきた先駆者たちがいましたよね。

 ですから、彼らに敬意を払う意味でも

 「過去の名手マーキング」

 を作った方が、良かったのではないか、と今更ですが感じます。

 過去にはアシックス、プーマなど別の会社が製造を受けていましたから、版権、肖像権の問題があり得ます。

 でも、マーキングから当時に状況を学ぶ、一つの手段になり得るような木がします。
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僕には覚悟が足りていない

2015-06-26 22:28:29 | 日記
 僕は新聞に目を通す方ですが、「お悔み」欄だけは無関係だと感じていました。

 しかしここ数日、僕の同級生に身内の不幸があり、お悔み欄に喪主、葬儀場の場所が掲載されると、39歳という自分の年齢を痛感します。

 これは父から

 「いざと言う時に為」
 「日頃からお悔やみの欄を注意しろよ」

 という指摘があったからかもしれません。

 そう、僕は「覚悟」がまだ足りないのですね。

 例えばミランから更迭されたフィリッポ・インザギは僕と同い年ですが、彼だってミランのベンチに座るという覚悟は持っていたはずです。

 しかし

 1・ベンチを含む戦力の確保
 2・トップで初めて指揮を執る初めてのシーズン
 3・ベルルスコーニのオーナーシップ問題

 と、自分にどんな覚悟があろうとも、外に水分振り回されてしまった、そんな印象を持ちます。

 トッティも僕と同じ1976年生まれです。

 ガルシアに限らず、ローマの監督たちは、この

 「生え抜きとの共存」
 「トッティをベンチに座らせた時に起こる、クルヴァとのやり取り」

 に多大な時間を割いてきました。

 ビアンチのように、トッティとの諍いが短時間で表明した場合もありますし、スパレッティのように、ゼロ・トップと言う形で新しい形を模索した監督もいます。

 ガルシアが彼と今後、どのような関係を築いてゆくか。

 例えば15年後、バルサとメッシの間に起こるであろう関係と覚悟を暗示するかもしれません。
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フリーキックという名のおとぎ話

2015-06-26 01:30:23 | 日記
 サッカーにおいてフリーキックは、おとぎ話のような一種の想像の世界と言えます。

 ボールの軌道、キーパーが茫然とその行方を見守る、壁をあざ笑うように消えるその姿。

 専門サイト

 「フットボールウエブマガジン」

 が、歴代のフリーキックの名手10人を選出していまして、日本からは中村俊輔がエントリーしています。

 日本のファンにお馴染みのジーコとバッジョもエントリーされており、他にはベッカム、ジュニーニョ・ペルガンプガーノ、そしてロベルト・カルロスなどお馴染みの選手もいますよ。

 また次点の扱いですが、あの

 「ハカン・チャルハノール」

 の姿も見えます。

 彼はアディダス愛用者ですが、今アディダスはメッシ一人を特別待遇に置く一方で、新型の「エックス」と「エース」の広告には、メスト・エジルとギャレス・ベイルを指名しました。

 近い将来、このトルコ代表もアディダスの広告に起用されるはずですが、中村も以前はそうでしたね。

 彼がユナイテッド戦で魅せたフリーキックは、今でも

 「ナカムラ、セルティック」

 とキーワードを入力するだけで簡単に閲覧できる、本当の意味での語り草です。

 でも、それ以上に常識はずれの一発を放ったのが、ロベカルでしょうか。

 あの1997年のフランスとの一戦、ファビアン・バルデスが呆気に取られた、説明不可なボールの軌道は、サッカーにおけるフリーキックの威力を、全世界に向けて再発信した、凄い代物でした。

 彼のフリーキック、体のつくりは専門機関が調査に乗り出したほどで、インテルはいつもレアル・マドリーに売却したことを後悔したものでした。

 今後も様々な選手が、フリーキックの精度を磨く事でしょう。
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コンマリさんに学ぶ、物と人への接し方

2015-06-26 00:11:58 | 日記
 「コンマリ」さんが片づけの際、別れる事になった物に対して惜別と感謝の意味合いを込めて

 「今までありがとうね」

 と語りかけると聞きました。

 僕は彼女の著作を読んだことが無いのですが、偶然にも僕も物を捨てる時は同じように感謝を、売却する時は買い取りカウンターに向かう前に

 「良い人に買われてくれよ」
 「ありがとうな」

 と語りかけていたのです。

 その道のエキスパートと同じ習慣を持ち合わせていると、何だかうれしくなりますね。

 サッカーでも移籍は付き物ですが、選手がGMと握手を交わし

 「移籍先での健闘を祈る」

 と言えない事がある事は、致し方ないのかもしれません。

 それは宿敵に移籍した際がそうですし、エルナン・クレスポがインテルからチェルシーに移籍した時のように、移籍は必ずしも選手のキャリアを保証するものではありません。

 彼の場合は妻がイタリア人ということもあり、イングランドではなくイタリアで生活を続けたかったのです。

 例えばアーセナルが長年懸念事項だったGKに、チェルシーからペトル・チェフを招こうとしています。

 マヌエル・ノイアーがシャルケからバイエルンに移籍した時も、当たり前ですが嫌悪するファンがいましたが、選手にとって自身のプラスになる移籍ならば、やはり周囲もとこかで折れる事が必要でしょうか。

 今も昔も

 「アフリカ人選手を欧州で放置する」

 悪徳代理人は後を絶ちません。

 コンマリさんでなくとも、魔法のような過ごし方を伝授する達人が、サッカーにも必要かもしれませんね。
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