塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

グランパス、FWと玉田との契約を終了

2014-11-25 22:58:26 | 日記
 「若返り」

 この言葉には程度のいい年保削減という意味もあるでしょうね。

 一方でプロの常套句である

 「プロは年齢は関係が無い」
 「若手は巧い選手の技を盗む」

 という代謝が思うように行かなければ、GMが古株を削ぎ落し、若い選手を起用するしかないのかもしれませんが。

 グランパスエイトはケネディに続き、玉田の退団を発表しました。

 永井は再びベルギーに戻るようですから、今の所レギュラークラスで浮かぶのは、新潟から移籍した川又くらいですが、来季の補強は前線を最優先にするのでしょうね。

 仮にパルセイロがJ2に昇格したとします。

 ならばこうした

 「移籍金0」

 の選手、しかもJ1経験者を迎え入れるならば、非常に旨味があると思うのです。

 日本代表経験者かクラブがアナウンスしなくとも、周囲が勝手に関心を持ちますから、メディアの注目度とスポンサーへの説明が非常に楽になります。

 セレッソが苦戦したのは、従来の戦術を一度見直し、そこに

 「合致するであろう」

 フォルランの相性が思うほど高くなかったと言う事ですが、彼は残留を希望していますし、僕は良い事だと思います。

 むしろ、途中入団でありながら、カカウの方がセレッソとの相性が良かったようにも思えますが。

 2度のワールドカップ経験者を、グランパスエイト以外のJ1クラブが、放っておくとも思えませんが、パルセイロが昇格したならば、今後は残留を第一目標に、選手層を熱くせねばなりません。
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デルビー・ミラネーゼは長友、本田のいずれも出場

2014-11-25 22:41:42 | 日記
 僕がイタリア・サッカーを窓口にして貪欲に情報を吸収していた1990年代前半。

 その時誰かが耳元で

 「20年もたてばデルビー・ミラネーゼの中に日本人選手が含まれる」

 と囁いても信じる事は無かったでしょう。

 設備の古めかしさ、そして有力選手が次々に海外リーグに去っていくセリエAの現状を考慮する必要がありますが、ミランとインテルに日本代表が存在するということは、素直に価値ある事だと思いたいですね。

 マンチーニは十八番である

 「4-3-1-2」

 を用いましたが、右利きである長友には幸いと言える、そんな気がします。

 以前読んだコラムに

 「長友は本当に苦心してインテルのレギュラーを勝ち取った」
 「しかし、右利きのかれはクロスを供給する際に、どうしてももち返る為に一歩、タイミングが遅れていまう」

 という指摘がありました。

 マンチーニはシティからセルビア代表のコラロフを得ようと考えている模様です。

 しかし、移籍市場が開くまでは左にドド、右は長友という形が継続されると言えます。

 ちなみにスポーツナビでは、1トップのトーレスを諦めて右翼に本田、1トップにジェレミー・メネーズを用いると指摘していますが、同時にトーレスに対してパスの出してがいない。

 とも語っています。

 逆言えばローマにとって今季は2001年以来、スクデットを狙う最高の機会かもしれません。

 インテルに次ぐ2位が多かった2000年代のローマですが、オーナーシップが変わり、指揮官のガルシアという体制は非常に効果的な補強を行っていると感じます。
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スーペル・マリオは瑞々しすぎる?

2014-11-25 01:43:59 | 日記
 トルストイの代表作「戦争と平和」は、世界中で親しまれるロシア文学の代表作です。

 お恥ずかしい限りですが、僕は読んでいないのですが、前回に続いて塩野さんの筆を参考に僕なりに考えてみますと、主人公の女性ナターシャを、トルストイは生命力にあふれた女性として登場させています。

 簡単に言えば

 「瑞々しい女性」

 なのですね。

 塩野さんは192ページでナターシャを「生き生きした生命力」と記しています。

 僕はマリオ・バロテッリのこのエッセイを読みながら思い浮かべてみたのです。

 ブレンダン・ロジャースはルイス・スアレスと良好な間柄を築いたこともあり、このイタリア代表FWともすぐに打ち解けるというのが周囲に見解でした。

 しかしながら、現状は
 
 1・バロテッリは極端なまでに動かない
 2・バロテッリは今の所、リバプールと相性の良いところを見せていない

 というのがオブザーバーの見解です。

 僕はバロテッリが生き生きとした生命力を持ち過ぎるあまり、ジェラードは別としても、他の同僚たちが凡庸に見え、同時に試合や練習よりも自分が今感じたことを優先に行動する。

 そう考えているように思います。

 それはインテル、シティ、ミラン時代も同様なのでしょうが。

 瑞々しさは若さの特権であり、ジェラードやコンパニのように、若くして腕章を蒔く責任を追った選手には見られない光景でしょう。

 だからこそ歴代の指揮官は、バロテッリに年齢を重ねた時の彼を思い浮かべ、今のうちに気づかせようとしたがバロテッリには大きなお世話、という形が続いている、そんな気がします。
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サッカーで感情をあらわにすること

2014-11-25 01:33:53 | 日記
 「女にとって恋愛とは、自分の中にあった生命力に目覚める事だと思う」

 これは文春文庫から刊行されている塩野七生さんの著作「男たちへ」の195ページかた引用したものです。

 塩野さんのエッセイは幾つも所有しているのですが、この195ページでは「浮気擁護論」と言う形でトルストイの作、戦争と平和を題材に用いながら、塩野さんの価値観が述べられています。

 これを僕ならば

 「男にとってサッカーとは、自分の中にあった生命力に目覚めることだと思う」

 に言い直しますが。

 米国ならば、サッカーの部分がバスケットかアメリカン・フットボールに訂正される事でしょう。

 しかし、、東欧、西欧、南米ではやはりサッカーが、男の息吹を感じさせる最も普遍的な競技だと、僕は思います。

 男が人前で泣くのはみっともない

 この価値観は洋の東西を問わず、語られる格言だと思いますが、肉親の死のような特別な場面では嗚咽が許され、逆に赤ん坊が誕生した時に歓喜の涙も、男に許される稀な例でしょう。

 でも、サッカーでは、スタジアムではこの行為が許されると思います。

 下部リーグに贔屓クラブが降格する
 贔屓クラブが遂に優勝を達成した瞬間

 2001年ローマがイタリア王者に輝いた際、日本では中田英寿が在籍した関係もあり、フジテレビがその模様を中継しましたが、大の男たちが瞬間を待ちきれずにオリンピコに乱入し

 「芝をはぎ取る」
 「選手のジャージを脱がして持ち去ろうとする」

 と言う行為に呆れた方も多いでしょう。

 そして2012年のシティに優勝時に、エティハドに集まったファンの中には涙をこらえきれなかった人物がいると思います。

 サッカーではエモーショナルな感覚に陥った際、自分なりにその気持ちを現せる事が許されており、だからこそ男たちはのめり込んでゆくのでしょうか。
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