僕がインテルを応援し始めておよそ20年ですが、最近は以前よりも彼らに執着しなく
なりました。
それはやはり、パルセイロの存在がある為です。
パルセイロが長野エルザとして活動を始めたのが1990年で、僕がインテルに関心を
抱いた時期と重なります。
しかし仮に長野エルザを当時認知したとしても、応援はしなかったでしょうし、まず
そこまでの情報網がありませんでした。
でもエルザから長野パルセイロへクラブ名を変更し、新しい道を切り始めたころから
僕は彼らの応援を始めました。
僕が初めて南長野運動公園に訪れたのは2006年ですが、その当時と比較した際で
は雲泥の差です。
確実にパルセイロは前を向いて歩いています。
それは間違いの無い事実です。
僕はクラブはやれることをやっていると思いますが、それが観客動員に結びつかないの
は、やはり僕たち観る側の問題でしょう。
先日の佐川印刷SCで見られた
「グランセローズとの相互扶助」
は良いアイディアだと思いますし、他の競技とこれからも連携を深めることが大切です。
勿論山雅は素晴らしい観客動員を誇っています。
でもパルセイロだって女子サッカーとアイスホッケーを支援し、ジュニアユースをドイツ
に遠征させるなど、その活動の幅を確実に広げています。
山雅を意識しないのは無理な話ですが、パルセイロは素晴らしい価値をもったクラブで
ある事を忘れてはいけません。
なりました。
それはやはり、パルセイロの存在がある為です。
パルセイロが長野エルザとして活動を始めたのが1990年で、僕がインテルに関心を
抱いた時期と重なります。
しかし仮に長野エルザを当時認知したとしても、応援はしなかったでしょうし、まず
そこまでの情報網がありませんでした。
でもエルザから長野パルセイロへクラブ名を変更し、新しい道を切り始めたころから
僕は彼らの応援を始めました。
僕が初めて南長野運動公園に訪れたのは2006年ですが、その当時と比較した際で
は雲泥の差です。
確実にパルセイロは前を向いて歩いています。
それは間違いの無い事実です。
僕はクラブはやれることをやっていると思いますが、それが観客動員に結びつかないの
は、やはり僕たち観る側の問題でしょう。
先日の佐川印刷SCで見られた
「グランセローズとの相互扶助」
は良いアイディアだと思いますし、他の競技とこれからも連携を深めることが大切です。
勿論山雅は素晴らしい観客動員を誇っています。
でもパルセイロだって女子サッカーとアイスホッケーを支援し、ジュニアユースをドイツ
に遠征させるなど、その活動の幅を確実に広げています。
山雅を意識しないのは無理な話ですが、パルセイロは素晴らしい価値をもったクラブで
ある事を忘れてはいけません。