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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

中国代表とCリーグ

2012-07-17 23:34:47 | 日記
 カ・シュウゼン(ガンバ大阪
 リー・ティエ(エバートン)
 スン・ジーハイ(マンチェスター・シティ)
 
 今挙げた3名は90年代から2000年代にかけて、中国を飛び出し海外のクラブと
契約した代表例です。

 他にはシャオ・ジャアイ(1860ミュンヘン)、マ・ミンユー(ペルージャ)が
思い浮かびますが、中国人選手のニーズが無いのであれば、カマーチョはCリーグを
くまなく視察しないといけません。

 これだけの外国籍の有名選手が存在するならば、彼がかつての日本のように

 「外国籍の選手と戦う事で、中国人選手の力量が向上する事」

 は当然期待しているはずです。

 日本がフランス・ワールドカップでアルゼンチン、クロアチアに対して失点1で抑えら
れたのは、ジーコやリトバルスキー、エムボマなどの実力者と常に対峙していた為です。

 ですから

 「俺たちはやれる!」

 という充実した心理面が、スーケル、バティ、オルテガを迎えても怯むことなく戦えた
要因となりました。

 中国も優れたストライカーが沢山リーグにいますから、守備陣のてこ入れには充分だと
思います。

 その一方で各クラブのオーナー達は、クラブとリーグの強化よりも

 「クラブの知名度向上」

 を主眼に置いている印象を受けます。

 この相違点が埋められたなら、中国代表の強化に繋がるはずです。
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現在のCリーグとかつてのJリーグの共通点

2012-07-17 23:25:14 | 日記
 今回はお詫びから始めます。

 前回のブログに題名が入っていないことに今気付きまして、入力を終えたところです。

 ご面倒かけて申し訳ありません。

 本題に入ります。

 現在のCリーグは、かつてのJリーグの姿と非常に似通っていると思います。

 決定的に異なるのは、中国代表が2002年にワールドカップを経験し、1993年の
日本はワールドカップ未経験だったことです。

 カズが1994年、中田が1998年にセリエAに移籍しますが、当時の日本人選手の
移籍は単発で、名波、城、そして西澤などは、短期間で再び日本に戻っています。

 逆に創成期から2000年代前半のJリーグは現在よりも資本があり、外国籍の選手が
大勢存在しました。

 例えば東京ヴェルディがエジムンド、ヴィッセル神戸がイルハン、鹿島アントラーズが
ベベトを獲得するなど、結果はともかく実力者が在籍していた事は事実です。

 逆に言えば、欧州、南米から日本への

 「一方通行」

 が基本で、現在のような相互交流が生まれる予兆は全く見られませんでした。

 現在の中国も外国籍選手の加入は劇的に増えていますが、中国代表の選手達が欧州、ア
ジア問わず必要とされているかといえば、お世辞にもそうではないでしょう。

 中国代表の指揮を執るカマーチョからすれば、Cリーグのみの視察で済む事は時間の
短縮に繋がる半面、物足りないと思っていると感じます。
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ライアン・ギグスの心境を考える

2012-07-17 01:05:26 | 日記
 ライアン・ギグスがユナイテッドを除く初の国際舞台に立とうとしています。

 しかし彼にとって五輪出場は簡単な決断ではなかったはずです。

 今回はGB(グレート・ブリテン)としてイングランドとウエールズが合同で代表を
構成しますが、通常の場合ですとそうはなりません。

 つまりグレート・ブリテンとひとまとめになってしまうと、構成する他国の

 「独自性」

 が薄まってしまう為で、日本で言えば北海道や沖縄が、ワールドカップ予選に独自で
参加するような物ですね。

 ギグスはラグビー選手だった父親と決別し、母親の性である「ライアン」を名乗ること
をいささかも恥ていません。

 ですから周囲が彼に

 「君がイングランド代表だったら」
 「ウエールズを選択して後悔していないか?」

 と持ちかけても、何の意味も成しませんでした。

 その彼がGBとして代表のジャージを着ることになるのは、ライアン・ギグスとして
決断した人生の中でも、一際大きな決断だったはずです。

 これは僕の勝手な憶測ですが、2011年11月27日n他界した、ウエールズ代表
監督の

 「ギャリー・スピード」

 に、何かしら捧げたいとギグスが感じたのかもしれません。

 ホスト国として向える彼らがどんなサッカーを展開するのか、注目しましょう。

 (参考資料 ワールド・サッカーダイジェスト 2012年1月5日号)
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デルピエロ訪日が決定

2012-07-17 00:55:15 | 日記
 21日にカシマ・スタジアムで行われる復興試合に、デルピエロが参加することが
正式に決定しました。

 素直に有難いと思いますし、彼に敬意を表したいと思います。

 最近は日本から欧州の一方通行で、中々欧州から外国籍の選手を呼寄せられなくなり
ました。

 欲を言えば、インザーギとネスタ。ふたりのアズーリの同僚を誘って欲しいものです
が、これは野暮というものでしょう。

 2002年のワールドカップで訪日したイタリアの面々は、日本での歓待、特に仙台
で過ごした日々を今でも大切に思っているようです。

 それは韓国に敗れたことが大きく影響しているでしょうが、だからこそ

 「両国の印象の対比」

 が強烈なのでしょう。

 デルピエロが何日滞在するかはわかりませんが、案外この期間でJのクラブとの移籍
交渉があるかもしれません。

 1996年のトヨタカップ以降、デルピエロが日本の文化に暖かい眼差しを注いでき
たことを、再度僕たちは認識すべきですね。
 
 以前フジ・テレビがティエリ・アンリを招いたことがありましたが、デル・ピエロ来日
で復興試合の

 「メディアの切り口」

 が増したことは確かです。

 チケットの売れ行きが今現在どうなのかわかりかねますが、この決定で売上も期待でき
ると思います。
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