もし人を批判した事がないと言い切る人間に出会ったら、僕はその人を信じる事はできないし、心の中で「君はうそつきだ。」と罵ることになるだろう。ほら、もう今僕はであったばかりの面前の人間を批判した。やはり人間は、人を批判せずにはいられないのだ。
ナポリの指揮官ドナドーニが解任され、新監督に前サンプドリアのマッツアーリ氏が就任しました。結果がでなければ監督はクビ。わかりやすい図式ですが、責任は選手と会長、そしてGMにもあるとはずです。しかし監督以外の関係者を総入れ替えするわけにはいきませんから、監督のみがその座を追われる。
ナポリはファンの情熱の熱さで有名ですが、その熱さが逆に選手と指揮官に悪影響を与えているという話もあります。ナポリにはきっと「落ち着く」という言葉がかけているでしょうね。落ち着きを「忍耐」に置き換えても構いませんが、ナポリには難しい態度のようです。多分開幕以来、ドナドーニとチームに対する意見は、ナポリの至るところでかわされていたのでしょう。つまり「批判」ですね。それは「意見」でも「提案」でもない。
時計の針を1995年の港町ジェノバの戻します。
この年ジェノバは数多くの日本人でごったがえしました。そうカズがジェノアと契約しセリエAに参戦することが決まったためです。ここにカズを巡る日本人狂騒がはじまりました。
今振り返ってもカズは本当にたいしたものだと、つくづく痛感します。おびただしい数のテレビカメラが彼の後をおいかけ、彼のプレイの全てがイタリアと日本で流され、批判の対象となる。練習と試合の終了後には、必ずインタビューに答えるカズ。インターネットや通信機械が今ほど発達していない時代でも、ここまで自分の日常がさらけ出されては、自分を振り返る時間は無かったのではないでしょうか。
僕に限らず普通の人間なら、もう倒れてしまうか、いらだちのあまり全てを投げ出したくなるはずです。でもカズは投げ出さなかった。
「ミウラはケンウッドとプーマという、スポンサーをつれてきただけ。」「日本人にサッカーができるのか。」
現地のメディアの容赦ない批判にも辛抱強く対応していましたし、ジェノアの関係者もカズの練習態度の真剣さを讃えていたくらいです。批判に批判で答えても仕方がない。批判には自分の真摯な態度で答えたらいい。カズは僕たちにそう教えてくれたのです。
カズのイタリアでの成績は21試合の出場1得点。唯一の得点はサンプドリアとのダービーで記録したものです。僕はもう嬉しくて嬉しくて、ニュースのハイライトで、何回も見直したくらいです。
でも今はカズに見向きもしなかった指揮官スコーリオの気持ちがよくわかります。スコーリオは「教授」のニックネームで、ジェノアのファンに愛された人物で、彼もジェノアを愛していました。
しかしひとりの日本人の入団によって、チームの静寂は破られ集中力と精悍さが奪われてしまった。スコーリオが歯噛みをしていたのは、カズよりもカズにしか注目の対象を見出せない、日本人メディアだったはずですが、スコーリオの苛立ちが僕たち日本のファンに伝えられる悪循環となってしまいました。
僕はスコーリオの批判的な態度にうんざりしていましたが、今は彼の態度がごく自然に生まれたものだと理解できます。人はあたえられた仕事を、集中できる環境で行いたい、誰からも口を挟まれたくないと思う生き物です。毎日毎日「カズをどう思いますか」「彼はイタリアで成功できますか。」と繰り返し尋ねられたら、スコーリオの態度はごく自然なものだと理解できますね。
人は批判せずには生きられない存在なのでしょう。この話の中で、僕はもう当時の日本メディアの態度を批判していますし。ただカズとスコーリオ、ふたりがとった態度は対照的ですが、その態度がふたりの人物像を表しているという点では、非常に興味ぶかいですね。
ナポリの指揮官ドナドーニが解任され、新監督に前サンプドリアのマッツアーリ氏が就任しました。結果がでなければ監督はクビ。わかりやすい図式ですが、責任は選手と会長、そしてGMにもあるとはずです。しかし監督以外の関係者を総入れ替えするわけにはいきませんから、監督のみがその座を追われる。
ナポリはファンの情熱の熱さで有名ですが、その熱さが逆に選手と指揮官に悪影響を与えているという話もあります。ナポリにはきっと「落ち着く」という言葉がかけているでしょうね。落ち着きを「忍耐」に置き換えても構いませんが、ナポリには難しい態度のようです。多分開幕以来、ドナドーニとチームに対する意見は、ナポリの至るところでかわされていたのでしょう。つまり「批判」ですね。それは「意見」でも「提案」でもない。
時計の針を1995年の港町ジェノバの戻します。
この年ジェノバは数多くの日本人でごったがえしました。そうカズがジェノアと契約しセリエAに参戦することが決まったためです。ここにカズを巡る日本人狂騒がはじまりました。
今振り返ってもカズは本当にたいしたものだと、つくづく痛感します。おびただしい数のテレビカメラが彼の後をおいかけ、彼のプレイの全てがイタリアと日本で流され、批判の対象となる。練習と試合の終了後には、必ずインタビューに答えるカズ。インターネットや通信機械が今ほど発達していない時代でも、ここまで自分の日常がさらけ出されては、自分を振り返る時間は無かったのではないでしょうか。
僕に限らず普通の人間なら、もう倒れてしまうか、いらだちのあまり全てを投げ出したくなるはずです。でもカズは投げ出さなかった。
「ミウラはケンウッドとプーマという、スポンサーをつれてきただけ。」「日本人にサッカーができるのか。」
現地のメディアの容赦ない批判にも辛抱強く対応していましたし、ジェノアの関係者もカズの練習態度の真剣さを讃えていたくらいです。批判に批判で答えても仕方がない。批判には自分の真摯な態度で答えたらいい。カズは僕たちにそう教えてくれたのです。
カズのイタリアでの成績は21試合の出場1得点。唯一の得点はサンプドリアとのダービーで記録したものです。僕はもう嬉しくて嬉しくて、ニュースのハイライトで、何回も見直したくらいです。
でも今はカズに見向きもしなかった指揮官スコーリオの気持ちがよくわかります。スコーリオは「教授」のニックネームで、ジェノアのファンに愛された人物で、彼もジェノアを愛していました。
しかしひとりの日本人の入団によって、チームの静寂は破られ集中力と精悍さが奪われてしまった。スコーリオが歯噛みをしていたのは、カズよりもカズにしか注目の対象を見出せない、日本人メディアだったはずですが、スコーリオの苛立ちが僕たち日本のファンに伝えられる悪循環となってしまいました。
僕はスコーリオの批判的な態度にうんざりしていましたが、今は彼の態度がごく自然に生まれたものだと理解できます。人はあたえられた仕事を、集中できる環境で行いたい、誰からも口を挟まれたくないと思う生き物です。毎日毎日「カズをどう思いますか」「彼はイタリアで成功できますか。」と繰り返し尋ねられたら、スコーリオの態度はごく自然なものだと理解できますね。
人は批判せずには生きられない存在なのでしょう。この話の中で、僕はもう当時の日本メディアの態度を批判していますし。ただカズとスコーリオ、ふたりがとった態度は対照的ですが、その態度がふたりの人物像を表しているという点では、非常に興味ぶかいですね。