塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

人は批判せずにはいられない

2009-10-07 19:17:13 | 日記
 もし人を批判した事がないと言い切る人間に出会ったら、僕はその人を信じる事はできないし、心の中で「君はうそつきだ。」と罵ることになるだろう。ほら、もう今僕はであったばかりの面前の人間を批判した。やはり人間は、人を批判せずにはいられないのだ。

 ナポリの指揮官ドナドーニが解任され、新監督に前サンプドリアのマッツアーリ氏が就任しました。結果がでなければ監督はクビ。わかりやすい図式ですが、責任は選手と会長、そしてGMにもあるとはずです。しかし監督以外の関係者を総入れ替えするわけにはいきませんから、監督のみがその座を追われる。
 ナポリはファンの情熱の熱さで有名ですが、その熱さが逆に選手と指揮官に悪影響を与えているという話もあります。ナポリにはきっと「落ち着く」という言葉がかけているでしょうね。落ち着きを「忍耐」に置き換えても構いませんが、ナポリには難しい態度のようです。多分開幕以来、ドナドーニとチームに対する意見は、ナポリの至るところでかわされていたのでしょう。つまり「批判」ですね。それは「意見」でも「提案」でもない。
 時計の針を1995年の港町ジェノバの戻します。
 この年ジェノバは数多くの日本人でごったがえしました。そうカズがジェノアと契約しセリエAに参戦することが決まったためです。ここにカズを巡る日本人狂騒がはじまりました。
 今振り返ってもカズは本当にたいしたものだと、つくづく痛感します。おびただしい数のテレビカメラが彼の後をおいかけ、彼のプレイの全てがイタリアと日本で流され、批判の対象となる。練習と試合の終了後には、必ずインタビューに答えるカズ。インターネットや通信機械が今ほど発達していない時代でも、ここまで自分の日常がさらけ出されては、自分を振り返る時間は無かったのではないでしょうか。
 僕に限らず普通の人間なら、もう倒れてしまうか、いらだちのあまり全てを投げ出したくなるはずです。でもカズは投げ出さなかった。
 「ミウラはケンウッドとプーマという、スポンサーをつれてきただけ。」「日本人にサッカーができるのか。」
 現地のメディアの容赦ない批判にも辛抱強く対応していましたし、ジェノアの関係者もカズの練習態度の真剣さを讃えていたくらいです。批判に批判で答えても仕方がない。批判には自分の真摯な態度で答えたらいい。カズは僕たちにそう教えてくれたのです。
 カズのイタリアでの成績は21試合の出場1得点。唯一の得点はサンプドリアとのダービーで記録したものです。僕はもう嬉しくて嬉しくて、ニュースのハイライトで、何回も見直したくらいです。
 でも今はカズに見向きもしなかった指揮官スコーリオの気持ちがよくわかります。スコーリオは「教授」のニックネームで、ジェノアのファンに愛された人物で、彼もジェノアを愛していました。
 しかしひとりの日本人の入団によって、チームの静寂は破られ集中力と精悍さが奪われてしまった。スコーリオが歯噛みをしていたのは、カズよりもカズにしか注目の対象を見出せない、日本人メディアだったはずですが、スコーリオの苛立ちが僕たち日本のファンに伝えられる悪循環となってしまいました。
 僕はスコーリオの批判的な態度にうんざりしていましたが、今は彼の態度がごく自然に生まれたものだと理解できます。人はあたえられた仕事を、集中できる環境で行いたい、誰からも口を挟まれたくないと思う生き物です。毎日毎日「カズをどう思いますか」「彼はイタリアで成功できますか。」と繰り返し尋ねられたら、スコーリオの態度はごく自然なものだと理解できますね。
 人は批判せずには生きられない存在なのでしょう。この話の中で、僕はもう当時の日本メディアの態度を批判していますし。ただカズとスコーリオ、ふたりがとった態度は対照的ですが、その態度がふたりの人物像を表しているという点では、非常に興味ぶかいですね。
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リオデジャネイロオリンピック

2009-10-07 13:03:05 | 日記
 自他ともにサッカー王国として知られるブラジルですが、唯一欠けているタイトルが、五輪での金メダルです。隣国アルゼンチンが、アテネと北京2大会連続で金メダルに輝いていますが、五輪サッカーは年齢制限に加え、FIFA主催の大会ではないため、出場各国に温度差があることも事実です。またアルゼンチンが、メッシの召集を巡って、バルセロナと様々な駆け引きを行いましたね。ブラジルもロナウジーニョが参加しましたが、アルゼンチンほどの熱意は無かったように思います。
 ブラジルもさすがにホスト国となるこの大会に関しては、入念な準備と選手選考をし、オリンピックに臨むことが考えられます。アルゼンチンのワールドカップ優勝回数2に対し、ブラジルは5ですから、実績ではブラジルに軍配があがります。でも年齢制限があるとはいえ、ワールドカップと同規模の大会で、ライバルば栄冠に輝いた、しかも2大会連続ということを、ブラジルの皆さんは羨望の眼差しで見ていたのではないかと、僕は勝手に思っています。アテネ五輪の場合ブラジルは南米予選で敗退し、出場すらしていませんしね。
 2010年ワールドカップに続いて、ブラジルにとって国家の底力を示す、各国の舞台と言えます。まだ7年先の話ですが、ブラジルがホスト国として有意義なオリンピックを開けるよう、応援していきたいものです。長野県にはブラジルから働きに来ている方も多いので。
 
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ワールドサッカーダイジェスト

2009-10-07 01:23:47 | 日記
 僕はもう熱烈なファンではないのですが、出版不況と呼ばれる昨今、ワールドサッカーダイジェストが創刊300号を迎えた事は、やはり本当に凄い事だと敬意を表したいと思います。
 最近ダイジェストの読者になった方はご存知ないでしょうが、ダイジェストは、日本のサッカー雑誌にふたつの改革をもたらしています。
 その1・月刊のサッカー情報誌が、月2回の刊行になったのは、ダイジェストがそのさきがけとして、大きな効果をあげたから。
 ワールドサッカーダイジェストは1999年11月号までは、毎月21日発売の月刊体制をとっていましたが、1999年11月4日号から、月2回の発行に切り替え、現在に至っています。発売日が第1と第3の木曜日に定まったのもこの時からで、後発のワールドサッカーキングも、おそらくダイジェストを意識して、月2回の刊行にしたのでしょう。当時はまだ休刊になっていなかった、ワールドサッカーマガジンもありましたから、僕は3誌を手にとって読み比べた物です。なみに姉妹紙の週刊サッカーダイジェストも、かつては水曜日発売で、現在の火曜日発売になったのは最近の事です。
 用は僕たち読者に旬の情報を新鮮なまま届けるには、月に1回と毎週水曜日の発行では遅いという、出版社の英断で始まった事でした。編集部の皆さんの努力のおかげで、僕らは楽しませてもらっている事を、僕たちは忘れてはいけません。
 
 2・イヤーブックに「完結編」をもたらした。
 ダイジェストは1995-96シーズンから、イタリアサッカートウディという、セリエAのみに的を絞った選手名鑑を刊行します。当時はイタリアが海外サッカーの窓口だったのです。
 しかし2001-02シーズンからは、ヨーロッパサッカートウディとして、欧州の主要リーグをほぼ網羅する形で、選手名鑑を刊行します。フランスやポルトガル、スコットランドは主要クラブのみで、選手の顔写真は無し。というのは、今も変りませんがそれはご愛嬌というところでしょうか。
 しかもシーズン終了後には、完結編としてシーズンを振り返る形で、再び選手名鑑を刊行する。これはワールドサッカーマガジンも行っていましたが、先鞭をつけたのはダイジェストが先でした。
 他にも古くはワールドサッカーグランプリ、最近だと老舗のワールドサッカーグラフィックが休刊となり、サッカー雑誌は今難しい立場にあります。欧州サッカーの記事はナンバーも読み応えがあるのですが、最近は苦戦していると聞いています。
 冒頭で記したように、僕はもう熱烈なファンではありませんが、それでも発売日を楽しみにしています。雑誌にはネットには真似できない、保管しやすい資料という側面がありますから、編集部の皆様には、体調に気をつけ誌面づくりに励んでいただければと思っています。
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