塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

インテルの心配事(2)

2009-10-31 21:02:48 | 日記
 バロテッリはどうして自分だけが不当な扱いを受けなければならないのか。そう考えていると思います。自分は自分で考えたうえで行動しているのに、周囲から浴びせられる声の多くが批判でしかない。自分より行動が幼い人間がいるのに、常に注意されるのは俺だ。一体どうしてだ?
 僕は今のスーパーに務めるまで幾つか幾つか仕事をこなしてきましたが、バロテッリが今思っているであろう気持ちは、若いときほど持ち合わせていました。
 今でもそうです。スーパーはお客様に挨拶をせべばなりませんし、カートの撤収やゴミ拾い、買い物かごの補充なども大事な仕事ですが、僕はこれらをよくやっているほうだと自負しています。確かに売場ごとのセクションで働く人間は違いますが、その前に同じ店の従業員なのだから、持ち場以外のゴミ片付けやカートの撤収は、当然のことだと思いますが、実は実行する人間は多くないのが実情です。
 そして他のお店はわかりませんが、僕の店では「上司」と呼ばれている人間は、これらに一切触れません。確かに僕のような末端の人間は、売上を伸ばすことも売上計画をたてることもできません。だから「上司」が計画をたてます。
 でも残念ながらお客様カードに「上司と思われる人間が全く挨拶ができていない。」と改善を求める声が出ても、反省の言葉が店内に掲示されてただおしまいです。
 僕は以前にも書きましたが、同僚や上司から批判や改善を求められる事はありますが、相手に求めることはありません。同僚には半ば冗談で「どうしてしないの?」と言っても、「いや私には出来ない」「あなたのように仕事ができないから。」という返事が返ってくるだけです。
 だから僕はバロテッリと同じ事を思うわけです。「俺は挨拶もしているし、店内の美化も怠らない。他に怠けている人間がいるのに、他の人間は全く批判されず、どうして俺だけがこんなに批判されないといけないんだ!?」
 甘い考えだと思う方もいるでしょう。でもこれが僕の偽りのない心境です。おそらくバロテッリも似た心境なのではないでしょうか。
 批判する側は自分が批判される立場になると、華麗なステップで批判をかわそうとしますね。まるで現役時代のジダンを思わせるステップで。実際はそんなことできるはずはないのですが。
 バロテッリに必要な声は叱咤でも批判でもなく、まず彼の成長した点をまず認め、認めたうえで改善点を提示する「提案」の声だと思います。誰かひとりでも口に出して成長した姿を伝えてくれてそれから改善点を伝えてくれたなら、心穏やかにアドバイスを吸収できると思います。
 バロテッリ自身自分の態度の改善が必要だということを認めています。バロテッリが飛躍するには彼自身の練習態度だけでなく、周囲の視線がもう少し穏やかになる必要があると僕は思っています。
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インテルの心配事

2009-10-31 16:16:21 | 日記
 インテルは昨シーズンから大幅にFWが入れ替わりました。ズラタン・イブラヒモビッチとサムエル・エトーの交換トレードは、皆さんもご存知ですね。それ以外にもエルナン・クレスポがジェノアに、フリオ・クルスがラツイオに移籍しました。
 現在のインテルのFWの顔触れは次のとおりです。
 ディエゴ・ミリート(アルゼンチン代表でジェノアより移籍)
 サミュエル・エトー(カメルーン代表でバルセロナより移籍)
 マリオ・バロテッリ(イタリアU21代表でユース出身)
 ダビド・スアソ(ホンジュラス代表で昨シーズンはベンフィカにレンタル移籍)
 アルナウトビッチ(オーストリア代表でトゥベンテより移籍)
 しかしモウリーニョ監督は上記3人のみを重用しており、下記ふたりが使われる気配が全く感じられないのです。実はミリートとエトーは故障を抱えており、戦列を離れがちなんです。彼らふたりが揃って戦列を離れた対ジェノア戦、スアソとアルナウトビッチに声がかかりましたが、モウリーニョ監督はバロテッリの1トップ、4-3-2-1で戦いふたりの出番はありませんでした。この布陣はチャンピオンズ・リーグのディナモ・キエフ戦でも用いられ、スアソは後半のみ起用されましたが、今シーズンの起用は今のところこの試合のみ、アルナウトビッチに至っては出場ゼロです。
 僕がスアソとアルナウトビッチの立場ならば、正直がっかりしているでしょうね。控えの選手は日頃から、監督から呼ばれたらいつでも出場できる準備を整えねばなりません。しかしもの凄く神経を使うでしょうし、出番が無ければ何より心も体も疲れてしまいます。
 アルナウトビッチは移籍前から故障を抱えており、キャンプ中はそのケアに時間を費やしていましたから、準備不足とモウリーニョ監督は考えているのかもしれません。しかしラツイオのゴラン・パンデフとのトレード話が持ち上がるなど、身辺が騒がしいことも確かです。
 スアソを無視しては勿体ありません。例えばはジョーカーとして起用したらどうかと思います。彼の快速ぶりはイタリアでは有名ですし、後半相手にリードを許している際、インテル攻撃陣の活性化につながるはずです。
 モウリーニョは昨シーズン、バロテッリとDFのダヴィデ・サントンの若手ふたりの起用に躊躇せず、大きな賞賛を集めました。今シーズンもレーネ・クリンという中盤の選手をリーグ戦でわずかですが起用しています。
 しかし今シーズンサントンの出場機会が激減し、ジェノアへのレンタルが噂されました。モウリーニョ監督が固定したメンバーで戦う理由として、コンディションが下がるであろう、シーズン中盤に向けて勝ち点を今のうちに稼いで起きたい、そしてチャンピオンズ・リーグで頂点に立つには、若手の成長に賭けるよりも今が旬の選手を使う。この2点が背景にあると僕は考えています。
 しかし出番の限られた選手が不満を抱くのはわかりきっていますから、どんな形でも良いので試合に出してやって欲しいと思います。どうしても駄目なら冬の移籍市場で移籍先を探し放出する。こちらの方が選手にしてもありがたいと思うはずです。
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上司と部下の関係から

2009-10-31 13:27:29 | 日記
 仕事で上司からお小言を頂いたとしますね。その際上司は「この前教えたよな?「メモをとるとか工夫したらどうだ?」など、僕たちに愚痴をこぼすこと、皆さんの周りでは起きませんか?つまり上司の多くは、自分の教え方、伝え方に問題があるのではなく、あくまで僕たちの理解力と、聞く側の態度に問題があると考えているようです。
 僕のように伝達される側にも、改善点があることも理解しています。上司と一口にいっても、階級が相当上の方からの指示の場合、緊張して疑問点があっても聞く事ができない、単純にこちらの解釈が間違っていたという事もありますし、「はい」という言葉を、「理解しました。」という意味合いではなく、単なる相槌で使ってしまいがちだからです。
 でも与えられた仕事が未経験のため、メモをとって仕事に臨んでも説明になかったハプニングが起こることもあります。つまり危機意識が働かないのです。経験が1度でもあれば不審点に気付きますが、未経験ですから目の前の仕事を「正確に」こなすだけで精一杯ですし、対処の方法が頭には浮ばない。
 でも上司の多くはこの場合「さっき教えただろう」ということが多々ありませんか?
 僕は単なるヒラ社員ですが、仲間内で困っている人がいたら、声をかけるようにはしていますが、でも声をかけたら今の仕事が滞るな。という気持ちが無いわけではありません。上司が僕たちの疑問点を僕たちの脳みそにあると考えるのは、「自分たちの手を汚したくない、伝えるべき事はさっき伝えた。今更何だ。質問があるのならその時にしろ」という、自尊心を守るために心が発しているのかもしれません。
 この教える側と教えられる側の溝がうまく埋まるのなら、仕事をしている皆が楽になると思います。僕は同僚から以前に何回も聞いた話を、初めて聞いた話のように相槌を打つ事もあります。それで場が和やかになるのなら安いもんだと思うからです。
 欧州サッカーはまず自己主張をしろといいますね。入団間もない選手でも特徴を知ってもらう為には、自分の長所を説明し凛とした態度で臨めと。それが日本ではプロサッカーでも職場でも難しいですね。
 僕は性格上相手を罵倒できるタイプではありませんし、相手がバカだと思う質問でも、全くバカではない、むしろ鋭い質問だった時には「いい質問だね。」というようにしています。また「こちらこそ」「おかげさまで」という言葉をできる限り使うようにしています。相手と罵り合っては意味を成さない事が多いですしね。
 確かに欧州サッカーの選手のように、相手に迎合せず自分を崩さない態度は、僕の様に弱い人間から見ると本当に凄いことですが、欧州にはそれを問題にしない土壌があるのでしょう。同時にインテルのマリオ・バロテッリのように、若手が不遜と思われる態度をとると、仲間内から手厳しい意見が飛んでくます。「青二才」という意味合いよりも、「躾」という意味合いで臨んでいるんですね。
 僕は同僚で態度を改めた方がいいと思う人がいても、「僕のような出来損ないがしゃしゃりでも意味がない。まずは自分がしっかりしないと。」と意見することを避けていますが、ただ現実から逃げているのかもしれません。
 欧州サッカーには改善点も多く見られますが、羨ましいと思う点も数多くあります。凛とした「個」のたたずまいと、ベテランが面倒くさがらずに若手に手を差し伸べる事は、今の僕から見ると本当にまぶしく輝いています。
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選手にとって一番つらいこと

2009-10-31 01:22:04 | 日記
 選手にとって一番つらいことは何でしょうか?もし僕がラジオやテレビのインタビューを任されたなら、様々な選手に聞いてみたい質問です。
 例えば所属チームが降格すること、故障して試合から遠ざかる事。逆に自分が相手を故障させてしまったこと。試合中レッドカードを提示され、チームを不利な状況においこんでしまった事。
 どれも選手としては避けたいシチュエーションです。実は僕、先月の今頃「あなたの態度は本当に不愉快ね!!」とお客から面と向かって接客態度を非難され、体中の力が抜けてしまった時がありました。ですから選手が観客から理不尽になじられていると、もっと違った声のかけ方があるのではないかと考えるんです。ミスをした時点で選手は辱めを味わっていますから。
 僕の思う選手が一番心苦しい瞬間、それはテレビのハイライトで自分の失態が、半永久的に流れ続ける時だと思います。
 ワールドカップの例で言うと、アメリカ大会決勝でPKを外したバッジョが佇むシーンがそうですね。冷静になって考えればイタリアはバレージもPKを失敗しています。ではどうしてバレージの映像ではなく、バッジョの映像のみ使われるのか。
 それはバッジョが最後のPKキッカーだったこと。彼が被写体として優れていた事。それ以上にイタリアが決勝までこれたのは、バッジョの存在があったからだと皆が理解していた。この3点にあると思います。イタリアを決勝に導いた男が戦犯になってしまった。そのコントラストの大きさが、ハイライトが流される背景にあります。
 ですからフランス大会のベスト8対フランス戦で、PKによる敗退が決まった瞬間、バッジョはPKを外したルイジ・ディ・ヴィアージョ、デメトリオ・アルベルティーニのふたりに手を差しのべ、ふたりを労わりましたよね。
 自分のPK失敗でイタリアが優勝を逃したという世論を、バッジョは真摯に受け止めそして耐えてきました。バッジョは同じ苦痛を味わうふたりに気持ちが、他の誰よりも理解でき、そして自分が駆け寄る事でメディアの攻撃からふたりを守ろうとしたのでしょう。
 自分の失敗を自分の中でしっかり消化したならば、人は大きく成長できる事がバッジョの姿勢から学べます。
 しかし通信機器の発展は1998年当時とは比べ物になりません。むしろ批判の急先鋒はメディアよりも、インターネットに書き込まれるファンの記事にあるからです。選手がつらいと思う事はこれから増える一方だと思います。僕たちは無気力なプレイはともかく、ミスを犯そうとしている選手はいないと認識すべきではないでしょうか。
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