ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



豊かになるとか言ったって、要は金儲けじゃないの。宗教者は、やっぱり清貧でしょ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『常勝思考』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 ここで言っておきたいのは、各人の信条そのものを曲げることはできないということです。もし清貧、清く貧しいことをいいことだと思うならば、それはそれでかまわないと思います。清貧を信条として生きるのは、それはそれでいいでしょう。そうした生き方もあります。
 ただ、この場合には、人をうらやまないということを、自分に対する戒律として必ず規定してください。清貧にあまんずるのはその人の自由ですが、決して、それを他の人に対する裁きに転じないようにしてください。人にはいろいろな生き方があり、考え方があります。「自分は清貧をもってよしとするが、これを決して人に押しつけることはしない。人をうらやんだり、嫉妬したりしない」――こうしたことが大事です。
 もし清貧をよしとする心を嫉妬心に転ずるならば、貧しいということは悪になります。逆に、貧しいということが、物質的なものに執われず心の波長が精妙であるということならば、この貧しさは善です。しかし、貧しいことがかえって他の人の物質的なものへのうらやみ、羨望を生んで、心に曇りをつくっていくならば、この貧しさは悪です。
 こうした悪を、もし自分や自分の周りに発見したならば、それと戦い、それを克服していくことです。貧しさが自分を縛り、みじめにし、そして他の人をうらやみ嫉妬する自分をつくっていると思うならば、努力して克服していくべきであると思います。
 あり余るほどの資産があって悩みをつくる人もいるでしょうが、資産がゼロ、あるいは負債状態にある場合と、手元に豊かな資金がある場合とを考えてみると、やはり豊かなほうが心の調和はとりやすいということが、原則として言えると思います。
 俗に、「お金の心配をしないほどのお金」とよくいいますが、その程度の富は、やはり善であると思います。不自由しないほどのお金というのは、やはり善であって、これを肯定しなければ、人をうらやんで生きていく、みじめな生き方になっていきます。
 清貧で生きていくならば、人のことはうらやまないことです。人のことをうらやむような自分であるならば、努力してその貧しさから脱却することです。それを、自分ではっきりと目標として立てるべきです。そして、ある程度の豊かさを目標とするならば、それなりの努力をしていく必要があると思います。
(141~144ページ)

清貧を信条とするのはよいが、その場合、人をうらやまないこと。他の人に対する裁きに転じないこと。

貧しいことが、他の人の豊かさへの羨望を生んで、心に曇りをつくっていけば、貧しさが悪となる。

資産がないのと豊かなのとでは、豊かなほうが心の調和はとりやすいので、「お金の心配をしないほどのお金」という程度の富は、やはり善である──。

清貧に徹するというのも、ほんとうにそれで心の調和がとれるかを考えたときには、たしかに考えものです。

このお金の問題でも、やはり「中道」の考え方が必要だってことなんだろうと私は思うんですが、みなさんはいかがお考えですか?

『常勝思考』

 大川隆法著

 

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