愛が大事なんだって言うけど、なんで愛が大事なのかって、ぜんぜん分からないんだよねー。いいじゃん、そんなのって、思うんだけど? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『限りなく優しくあれ』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
愛の出発点は「仏の愛」にあります。「仏が存在し、人々の魂を創り、みずからの世界に解き放った」という、その事実に原点があります。この出発点がすべてなのです。「人間の魂は仏から分かれてきた」ということが分からない人には、ほんとうの愛は決して理解できません。
愛とは、奥深く、懐かしい感情です。「親としての仏が、子を創った。そして、その子を『いとおしい』と思った。いとおしい子供たちに対して、『数限りない経験を通して、素晴らしくなれ。立派になれ。光り輝け』と願った」、それが、すべての出発点なのです。
このことを語るのに証明は不要です。なぜなら、みなさんは、心の奥深くで、この事実を知っているからです。このことを知りたければ、自分の心の奥深くを見つめればよいのです。
みなさんは、アメーバが、数億年たてば、進化して、本を手に取って読むようになると思いますか。アメーバから進化したものが、仏法真理の本を読んで感動すると思いますか。そんなことはありえないことです。
みなさんは単なるタンパク質のかたまりではありません。みなさんの本質は魂であり、その魂は仏の愛からできているのです。
愛は、その姿を光に変えることがあります。愛は光として顕れ、光が愛として顕れることがあります。これが、みなさんの本質なのです。
だからこそ、さまざまな人が、目に見えず、手で触れることができない世界のことを語り、また、目に見えぬ仏のことを語っても、それを信ずる人が数多く出てくるのです。
そうです。信仰とは、この愛の原点に気づくことです。「人間は仏によって創られ、その本質は愛である」ということに気づくこと、これが信仰の出発点なのです。
「どこか遠くにあるものに祈れ」「はるか地球圏外にある存在を拝め」などと言っているのではありません。「自分自身の心の内を見よ。そこに愛の光が見えるか」と言っているのです。
愛の光が見えたならば、そこが、あなたの信仰の出発点です。自分の本質が愛であることを知ったならば、それは、仏に向かってまっしぐらに突き進んでいくことを要請するものなのです。
私は繰り返し繰り返し説いています。「己の内を見つめよ。その内に、すべてのものがある」ということを──。
「仏よ、仏よ」と言って周りを見渡すことは、必要ではありません。心の内を、己の本質を見たときに、己が何者であるかが分かります。
己が何者であるかが分かったならば、すなわち、子が子であることを知ったならば、「自分が誰の子であり、自分の親が誰であるか」ということを、知ることができるでしょう。
それを「信仰」と呼んでいるのです。
(18~21ページ)
愛の出発点は、「仏の愛」にある。これがすべての出発点であり、その証明は不要である。なぜなら、私たち人間は、心の奥深くで、この事実を知っているからである。
人間の本質は魂であり、その魂は仏の愛からできている。
信仰の出発点は、「人間は仏によって創られ、その本質は愛である」という、この愛の原点に気づくことである──。
なぜ「愛」は大事なのか。
その原点を、今日は改めて教えていただいたのだと私は感じ入っているのです。
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『限りなく優しくあれ』
大川隆法著 |
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