ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



幸福の科学って、他宗の教祖の守護霊の霊言を出してるんだってね。なんでなの、名誉毀損にならないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『宗教決断の時代-目からウロコの宗教選び①』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 昨日聴いた話なのですが、広告代理店の意見によると、「幸福の科学は、イメージ戦略において、まだ他の宗教との違いが鮮明になっておらず、国民には届いていないと思われる」とのことでした。
 はっきりと言えば、広告代理店が調べてみたところ、「幸福の科学に対するイメージや支持率は統一協会と同じぐらいである」という結果が出て、「幸福の科学は、国民に、両者の違いを説明できていないし、理解してもらっていません」というような指摘を受けたのです。
 当会のほうでは、他の宗教とは違っているつもりでいたのですが、それは主観的なものにすぎず、外部からは、そうは見えないのかもしれません。(中略)当会と統一協会とが同じように見えているのであれば、そのへんをもう少し分析してみる必要があると思います。(中略)当会は統一協会について深く言及したことはないので、一度、検証は要ると思います。
 一九九一年に当会が日本国中で知られるようになったとき、ほかの宗教も、それに便乗して表に出てきました。例えば、そうとう追い込まれていたオウムが、また勢いづき、急に表に出てきたりもしました。
 九二年には、この統一協会が、当会を見て、「宗教がテレビに出てもよい時代なのだ」と思ってテレビに出たり、当会のまねをしてデモをやったりしましたが、同時に、合同結婚式と絡めた“純潔運動”など、いろいろなことをしたため、マスコミから、かなりバッシングを受けました。
 ただ、マスコミは、各宗教に関して、「どこが、どう違うのか、よく分からない」という状態ではあったと思います。「オウムと幸福の科学の違いが分からなかったけれども、幸福の科学と統一協会の違いも、それほど分からなかった」ということであったと思うのです。(中略)
 長年の歴史を経て、今の日本では、「宗教、相争わず」ということが、だんだん不文律のようになってきています。「宗教同士が争っても、よいことはない」ということが経験的に分かってきているようなのです。
 宗教同士が互いに教義を覗き合ったならば、やはり相手の教義がおかしく見えるらしいので、他の宗教の教義については、あまり言わないようになってきています。「大人のレベルで共存している」ということがあるわけです。(中略)
 「宗教のなかで互いに善悪や是非を問う」ということは非常に難しい問題をはらんでいるため、気をつけなくてはいけないと私も思ってはいます。
 したがって、今回は、できるだけ公平な立場に立ち、ジャーナリスティックな意味において、「真実は、どういうところにあるのだろうか」ということを探究できればと思っています。(中略)
 そこで、「ある宗教について、最終的な判定までは、なかなかできるものではない」という前提の下に、ある程度、いろいろな質問を投げかけ、「当会と違いがあるか。同じか。違いがある場合、それは正邪の問題なのか。それとも、宗教としての種類の違いの問題なのか」という点について感触を探れたならば、それで十分でしょう。
(15~24ページ)

宗教同士で善悪や是非を問うのは、難しい問題をはらむので、気をつけなくてはいけない。

今回の公開霊言は、できるだけ公平な立場で、ジャーナリスティックな意味での真実を探究したい。

いろいろな質問を投げかけ、幸福の科学と違いがあるか、違いがある場合、正邪の問題か、それとも宗教の種類の違いの問題なのかについて、感触を探れたら十分である──。

なにしろ、このとき霊言が収録され公開されたのが、統一協会の文鮮明・教祖の守護霊、そして、創価学会の牧口常三郎・初代会長でした。

はたして、その霊言の公開は、〝名誉毀損″というようなものだったのでしょうか?

宗教に関わる者にとっては、ほんとうにワクワクする内容ではないでしょうか。

興味がある方は、ぜひ、ご自分で本書を読んでみて、お確かめくださいね!

宗教決断の時代 (目からウロコの宗教選び 1) 『宗教決断の時代』

 大川隆法著

 

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