あんかつ先生月に吠える

月のあばたに対して色々感じたこと書いてみます。

職人達と中世産業の息吹!!

2009-03-01 16:07:10 | 経済
先の土曜日、温かい日射しの昼、散歩にと我が家の一匹フレンチ・ブルドックを連れて

佐倉の城跡公園に行った。

梅は満開、大小各種の数千本の桜木のも大きく膨らみ、次が俺の番と主張していた。

今年も満開時には素晴らしい景色に歩いていると、

相棒の犬が勝手に肩を怒らして進んでいく。

構わないでついていくとやがて国立民族博物館。

そこで「中世考古学が語る町・村・山の職人達」という

当館副館長・小野正敏の講演会が開演寸前

ワンチャンを家族に渡して早速脳細胞の栄養獲得に

中世、鎌倉~室町時代の職人たちはどう生産拠点を作り、

生産物を流通させていったかがテーマ

一乗谷間での陶器は連続登り釜を作り、大量生産施設とし、

そして同じ釜を何度も補修して活用大量生産を可能にした。

茨城県鹿島地区などの鉄器は燃料の木材のある地域を隣番に製鉄の高炉を作り、

数十年でまた元の土地に戻るという雨量が多く、日本の気候、燃料木材の生長に

合わせた生産施設を移動させて一定量の鉄の生産を維持した。

これが朝鮮半島のような禿げ山を作らないで済んだ理由

紙については初めは自然林のガンビ・楮・ミツマタなどを採取して作ったが

やがてはこれらの育ちやすい場所に植林するようになていった。

それが紙の文化・絵・文学の元となった。

漆器も漆の木を植え、植林して産業化していった。

やがて魚介の骨、牛・鹿・鯨などの骨、牙、角をも細工して産業化していったという。

この大量生産の仕組みがやがては商業・海運の隆盛を作り、

商業都市の発生として繋がっていった。

面白い話が盛り沢山だったが、聞く方がいい加減な奴でとても要領良く報告はできないが、

兎に角、江戸時代の殿様抱えとかでなく純粋に産業としての息吹を持っていたと

いう鎌倉・室町時代は庶民のエネルギーの萌芽期でこれが近世の文明の華を拓く

もととなったという

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