JAZZ最中

考えてみればJAZZばかり聞いてきた。いまもJAZZ最中。

カーネギーへの道 House of Culture / GARY BURTON

2024-04-17 15:58:45 | 聞いてますCDいいと思う


熱帯のサブスクで聞いていると、アレッこれ何、というアルバムに出会う。これが出ていれば入手するはずだけれど、どうやらここだけのものらしい。これまで集めていたものに係るので記事にすることにした。

ゲイリー・バートンの初期の演奏、RCA時代が、何とも前に進む演奏で大好きだった。だからそのころの演奏はあつめているのだけれど、どうやらこのアルバムはその時期のものだ。
メンバーはバートンにスワロー、ギターがラリー・コリエルでドラムスがボビー・モーゼス、彼の歴史的一枚、カーネギー・コンサートとの同一メンバーということで、こんなのがあったのかとびっくりした。

演奏の方は1967年、ヘルシンキでのコンサートの録音になっている。
演奏はというと、カーネギーのような良い録音状態ではないし、ロック音楽との融合というのも、積み上げ段階のものとなっている。
だから、このアルバムの演奏に興奮するかというとそうでもないけれど、今新しい記録が手に入るそれはそれで、とても嬉しい。
曲目はだすたーから2
曲、アナグラムから3曲、それに”フォーリン・グレース”になっている。
バートンの自伝の記述と集めたアルバムから当時を振り返っていきたい。

スタン・ゲッツのバンドをやめたバートンの1966年の記述。
「1966年11月、ニューヨークのアパートに戻った僕は金も底をつき、次にどうすべきかけんとうもつかない状態いあった。」
そんな中で、ラリー・コリエルに出会い、ステーヴ・スワローが一緒にやることになり、ロイ・ヘインズがドラムスになった。
そこで出来上がったのが、ゲイリー・バートン・カルテットの初アルバム「Duster]1967年4月録音。



自伝にはニューポート。ジャズへの参加のことは書いていあいけれど、このアルバムが1967年6月1日の録音。ドラムスはヘインズに変わってSTU MARTINが叩いている。



そこで自伝には「来るべきギグにむけ、ぼくはラリー・コリエルのフリー・スピリッツ時代からの友人、ボブ・モージズをドラマーとして雇い入れた。当時まだ19歳ながら、並外れて才能豊かな人間だった。(もちろん今もそおうだ)彼は次の10年かんで脱退と再加入を三度繰り返したが、グループにいるときは必ず創造性に満ちた貢献をしてくれた。」
そして「『ロフティ・ファイク・アナグラム』は1968年に発売されている。にもかかわらず、僕の生活は苦しかった。それまでは常に誰かの下で活動していたけれど、いまや逆の立場になったわけだ。バンドリーダーとしての経費を支払うと、僕の収入はサイドマン時代のそれを下回っていた。」というこのアルバムの録音は1967年8月15-17日



では今度見つけた演奏はいつのものかというと自伝ではこういう記述がある。

「ラリー、スワロー、そしてモージズの三人ともすっかりグループに慣れ、ジャズとロックを融合させる試みに全霊を打ち込んでいた。~
 秋を迎えるころ、ヨーロッパカウチで演奏する手はずをウエイン(ジョージ・ウエイン)が整えてくれた。ヨーロッパに行ったのはスタンとのツアーだけだったのでーそれも苦い記憶ばかりだー新しいメンバーと演奏できるのが待ち遠しくて仕方なかった。まずはロンドンにおけるジャズのメッカ~」

録音日の記載はないが、このヨーロッパ・ツアーに一日がこのヘルシンキに演奏だろう。ということは秋にはいってからというのが録音の順番になる。



そしてこのメンバーで翌年1968年2月23日に録音されたのがカーネギー・ホール・コンサートになる。



House of Culture / GARY BURTON

1 June the 15 th 1967
2 Mother Of The Dead Man
3 General Mojo's Well Laid Plan
4 Falling Grace
5 Lines
6 Portsmouth Figuration
コメント
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