安倍晋三狂乱か? 救国か?
安部総理を陰で操る米国のジャパンハンドラーズであるアーミテージ。
安倍晋三は、アメリカのジャパンハンドラー(陰で日本を操る)達に操られているのか?
安保法制はすべて米国の要求.
集団的自衛権の行使容認は、日本の考えではなく「米国」が戦後の占領下である「日本」に要請した事である!!
「ジャパン・ハンドラー」の拠点である「戦略国際問題研究所」が日米同盟(奴隷)の命令としてまとめた文書である。
主な内容は,
・「専守防衛と一国平和主義を見直せ」
・集団的自衛の禁止は,日米同盟の障害だから集団的自衛権」を早急に成立しろと求
めている.
・ホルムズ海峡の掃海艇の派遣,南シナ海における中国の監視活動を米軍とともに実
施せよと要求している.
※2013年 2月 安倍首相がアメリカへ赴き「戦略国際問題研究所」で、「私を右翼の 軍国主義者とお呼びいただきたい」と述べたうえで、憲法解釈を見直す意向を表明したと言いますが、真相のほどは不明!!
安倍晋三は、その後、
武器輸出三原則の緩和を閣議決定
集団的自衛権行使容認を閣議決定
した功績を2014年 7月 アーミテージ氏らは、首相官邸を表敬訪問して安倍晋三を称賛した!!
そのアーミテージが、昨日の午後2時過ぎにJR東海の取締役会長である葛西 敬之を引き連れて「首相官邸」を訪れて安倍晋三首相と「密談」をしたというから穏やかではない。
イタリアで行われる「G7」の打ち合わせなのだろうか・・・・・!!
18年前から、日本は実質「イスラエル」の支配下であるはずであるが‥‥トランプがイスラエル訪問に合わせるようにして、アーミテージがJR東海の取締役会長である葛西 敬之を引き連れて、「首相官邸」を訪問するとはいささか奇妙である。
また奇妙なのが、フランスのロスチャイルドと組んだ麻生太郎が「安倍晋三総理」の追い落としに躍起になっていますが、与謝野馨は麻生太郎が前回安倍晋三総理を追い落とした時の盟友であり、与謝野馨のおかげで麻生太郎は横滑り的に「総理大臣」に就任したというエピソードがあります。
その与謝野馨が、自由民主党に復党したと思ったら死んでしまいました・・・・・?
また何故、JR東海の取締役会長である葛西 敬之がアーミテージと一緒に「首相官邸」を訪問したのかも不思議です!!
ありゆるとすれば、二つです。
・安倍晋三に、「引導」を渡すためにキッシンジャーの意向を伝えに来た!!
・安倍晋三にも日本国を今しばらく預けるというキッシンジャーの意向を伝えに来た!!
JR東海の取締役会長である葛西 敬之は、安倍晋三の後見人であり、キッシンジャーとは兄弟分である「金井敏伯」先生の子飼いであり、安倍晋三も一目置いている。
つまり、何を言いたいかと申しますと「JR東海の取締役会長である葛西 敬之」が、アーミテージと一緒に「首相官邸」を訪問したということは、安倍晋三の延命をキッシンジャーが、認めたということに繋がるのではないかと、私なりに推察します!!
「森友問題」に続いて「加計学園問題」で、窮地に追い込まれた安倍晋三は「延命策」を講じて、キッシンジャーに報告しキッシンジャーは、その内容に同意したということに成るのです!!
その内容とは・・・・?
安倍晋三は、「自己の延命」と引き換えにキッシンジャーに何を売り渡すことにしたのでしょうか?
「日本国」でしょうか?
※金井敏伯
ロスチャイルドと、いとこの金井敏伯先生(95)という本物の日本最後のフイクサーがいますが、この方は剣道7段、柔道7段、空手4段で、なんと握力が120もあり、世界的人脈にも、資金的にも、けた外れの御仁である。
後日、詳しくお伝えします。
訃報:与謝野馨さん78歳=元官房長官、元財務相
毎日新聞
自民、民主両政権で経済閣僚を歴任した政策通で、財政再建の旗を振り続けた与謝野馨(よさの・かおる)さんが死去したことが24日分かった。78歳。関係者が明らかにした。
© 毎日新聞 与謝野馨氏
1994年に村山内閣の文相として初入閣。2004年に自民党政調会長となり、郵政民営化法案や05年版の党新憲法草案のとりまとめに携わった。07年8月発足の第1次安倍改造内閣では官房長官となったが、安倍晋三氏の退陣で約1カ月の在任だった。その前後の小泉、福田、麻生の3内閣に加え、民主党政権の菅内閣の計4内閣で経済財政担当相を務め、麻生内閣では一時、財務相と金融担当相も兼務した。
小泉政権後半から台頭した、規制緩和などを通じた経済成長で財政再建を図る「上げ潮派」とは徹底的に対決。福田康夫首相の退陣による08年の自民党総裁選に立候補し、消費税の段階的な税率引き上げを訴えた。
09年の自民下野後、10年4月に平沼赳夫元経済産業相らと「たちあがれ日本」を結党して共同代表となり、自民を除名された。しかし、たちあがれも離党して11年1月に菅再改造内閣の閣僚に。税と社会保障の一体改革を担当し、民主党政権下の消費増税や年金改革の制度設計に携わった。その後、自民復党を求め、今年4月に認められたばかりだった。
明治・大正期の歌人、与謝野鉄幹、晶子夫妻の孫。12年の自伝「全身がん政治家」では、30年余りの間に4種のがんを患った経験を明かした。63年に東大法学部を卒業し、日本原子力発電に勤務。中曽根康弘元首相の秘書を経て76年12月の衆院選で初当選し、通算10回当選。00年の衆院選では民主党の海江田万里氏に敗れて落選した。12年衆院選に出馬せず政界を退いた。【西田進一郎】
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