野田佳彦首相が就任後初めて沖縄県を訪問した。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題は平行線に終わりましたが、首相は「沖縄の皆さんの理解をいただくスタートラインに立ったつもりだ」と自賛し、仲井真弘多知事との信頼関係修復の手がかりはつかんだとの認識を示しています。また仲井真氏も民主党政権の過去2代の首相よりも野田氏を好意的にみているのは確かなようです。それもそのはず「おわび」と手厚い沖縄振興策に加え、防衛省の幹部人事をめぐり首相が知事の意を汲んだ政治決断をしたからなのです。
「何年来の快挙の内容をつくっていただいた!」県庁での会談冒頭、仲井真氏は首相にこう切り出し、沖縄振興と駐留軍用地返還に関する2つの特別措置法改正案について謝意を示した。
それでも野田氏は気を緩めることなく、普天間問題で「県外移設」を模索し、断念した政権交代後の混乱などについて「深くおわび申し上げます」と謝罪したり、いきなり立ち上がると深々と頭を下げてみたり、仲井真氏は意表をつかれたようで、「いえいえ」と思わず腰を浮かせて困惑していました。
会談後、首相は自衛隊ヘリに乗り込み、普天間飛行場の代替施設を建設する予定の名護市辺野古などを上空から視察したり、窓に顔を近づけ、手元の資料と見比べるなどして、説明役として随行していた防衛官僚・真部朗沖縄防衛局長に質問していたといいます。
真部氏といえば1月31日、宜野湾市長選(2月12日投開票)に向け、同市在住の職員を集め「講話」を行い、投票を呼びかけていたことが発覚し、すぐさま政府内では「更迭」論が巻き起こりました。この講話問題は、選挙戦で防衛予算を活用したまちづくりを訴えていた保守系候補には逆風となり、保守系候補の全面支援に回った仲井真氏にとっても痛手であったに違いありません。少数与党からの脱却を目指す6月の県議選をにらみ、市長選を弾みにしたい考えだったからなのです。
フタを開ければ、保守系候補が900票差の激戦で革新候補を下しました。
ところが、選挙が終わっても真部氏の処分は音沙汰なく、防衛省の調査で違法行為は確認されなかったとしつつ、「過去の選挙も含め慎重に調査を続ける」(防衛省幹部)の一点張りのままなのです。 結論はどうなるのか。政府高官は断言する。 「首相は(真部氏を)更迭しないと決めた」。首相も当初は更迭やむなしとの判断に傾いていたとされるが、なぜ変心したのか。高官は理由も明かした。それは知事が交代させるなと伝えてきたからなのです!
仲井真氏の鶴の一声により、真部氏の留任が決まったというのです!
真部氏は、不適切発言で昨年11月に更迭された前局長の前任者にあたり、異例の再登板であり、沖縄の地元事情に精通し、とりわけ仲井真氏とのパイプの太さは防衛省と沖縄県の両サイドで「余人をもって代え難い」と評価されていたのです。
前局長に続き、真部氏まで更迭となれば、「次に局長で送り込む適任者は見当たらない」という人材難も頭痛のタネでしたので、防衛省にとって仲井真氏からの続投の「進言」は渡りに船だったのです。
仲井真氏は、普天間飛行場の代替施設の建設に、不可欠となる海面埋め立ての許可権限を握る。国の根幹をなす安全保障政策の「生殺与奪」の権だ。自民党政権時代は、この権限を国に移す特措法の制定も検討されたが、平身低頭を貫くしかない野田首相には「伝家の宝刀」になりえない。
その上、防衛官僚の人事まで知事の判断に委ねるほど民主党政権の沖縄政策は堕落しているのです。かつては普天間問題で「県内移設」を容認していた良識派の仲井真氏だからまだ安心していられるが、「反基地」色の強い知事だったら、絶大な権力を盾にどんな要求を突きつけられることか!
このような政府と地元の駆け引きを私は、しらけた気持ちで傍観しています。結果は決まっているのにもかかわらず、政府と地元では、ああだの、こうだのとくだらない議論ばかりしていますが、なんでも地元の人に聞いてみますと「立ち退き費用のつり上げだよ!」というのです。
何度も申し上げていますが、普天間基地は200億円をかけて滑走路の補強工事をしたばかりだし、住宅地から飛行場を移転することはないということです。
そもそも普天間基地の移転問題は、住宅街に基地があり危険であるから移転するということでしたが、いつの間にかなし崩しになってしまい。「今後は日米で利用する」ですから、まともには対応出来ません!