PINETOP PERKINS & HUBERT SUMLIN / LEGENDS
昨年亡くなられた偉大なるシカゴ・ブルース・レジェンド。パイントップ・パーキンスとヒューバート・サムリン。方やマディ・ウォーターズのピアニスト。方やハウリン・ウルフのギタリスト。
パイントップ・パーキンスは70年代のマディー・ウォーターズを支えたピアニスト。1913年ミシシッピ州ベルゾニ生まれ。“パイントップ”という名はブギ・ウギ・ピアノの創始者パイントップ・スミスからとったそう。30年代からプロとして演奏を始め、南部を放浪したあとシカゴへやってくる。そして69年にオーティス・スパンの後がまとしてマディ・バンド入り。マディの死後は、コンスタントにソロ作を発表し、近年もブルース界の最長老として貫禄の活動を続けていました。98年にはパーク・タワー・ブルース・フェスティヴァルで来日しています。この時既に80歳代半ば。ですが元気にピアノを弾き、歌うパイントップの姿が印象的でした。2011年3月21日、97歳で亡くなられました。
シカゴブルースのもう一方の雄、ハウリン・ウルフを支えたギタリスト、ヒューバート・サムリン。映画「キャデラック・レコーズ」で、マディ・ウォーターズがハウリン・ウルフから引き抜いた若いギタリスト、あの人がヒューバート・サムリンです。あれはあくまでも映画の話ですが、実際、ヒューバート・サムリンは一瞬マディ・バンドに入った時期があったようですね。そう、「キャデラック・レコーズ」といえば、ウルフが演奏するスタジオのシーンで、ヒューバート・サムリンの横に、本物のヒューバート・サムリンが出演していたとか。残念ながら私は気がつきませんでしたけど…。それはそうと、ハウリン・ウルフとその片腕的存在のヒューバート・サムリンが醸すブルースというのは、ちょっと他にない迫力がありますよね。ウルフの死後はソロ作を発表し、来日もしています。2011年12月4日、心不全のため亡くなられました。享年80歳。
写真のアルバムは、そのパイントップ・パーキンスとヒューバート・サムリンの共演盤「LEGENDS」。98年作。
他にも沢山の方々が亡くなられました。以下、拙文ながら「ルーツな日記」的追悼。
PINETOP PERKINS & WILLIE 'BIG EYES' SMITH / JOINED AT THE HIP
2011年9月16日、パイントップ・パーキンスと共に70年代のマディ・バンドのリズムを支えたドラマー、ウィリー・スミスが亡くなられました。享年75歳。脳梗塞でした。アーカンソー州ヘレナ生まれ。60年代初め頃からマディのバンドへ出入り始めますが、69年から本格的なレギュラー・ドラマーの座に座ります。パイントップ・パーキンスのピアノとのコンビネーションには定評があったようです。2010年にはパイントップ・パーキンスとの共演盤「 JOINED AT THE HIP」(写真)をリリースし、グラミー賞『Best Traditional Blues Album』部門を受賞しています。このアルバムではドラムスを息子のケニー・スミスに任せ本人は歌とハープに専念しています。
MOJO BUFORD / CHAMPAGNE & REEFER
2011年10月11日に81歳で亡くなられたモジョ・ビュフォード。マディ・ウォーターズのバックで知られるミシシッピ出身のブルース・ハーピスト。マディのバンドには60年代後半から参加して出たり入ったり。70年代にはパイントップ・パーキンスやウィリー・スミスとも同僚でした。ちなみに本名はGEORGE BUFORD で、“MOJO”は「Got My Mojo Workin' 」を十八番にしていたことからついたニックネームだとか。写真は彼の99年のソロ・アルバム。ボブ・マーゴリン(g)と二人でやってる数トラックが凄く良いです!
AMY WINEHOUSE / LIONESS: HIDDEN TREASURES
2011年7月23日、ロンドンの自宅で亡くなられたエイミー・ワインハウス。まだ27歳の若さでした。死因はアルコールの過剰摂取だったそうです。まだまだこれからという若さと、いかにも彼女らしい死に方が、かえって衝撃的で悲し過ぎました。グラミー賞授賞式にて「Rehab」で賞主要3部門を立て続けに受賞した際の彼女の表情とパフォーマンスは今でも目に焼き付いています。写真は彼女の死後にリリースされた新作(蔵出し音源を中心にサラーム・レミとマーク・ロンソンが完成させた)。最後のレコーディングとなったトニー・ベネットとのデュエット「Body And Soul」は涙無しには聴けません。
GIL SCOTT-HERON / I'M NEW HERE
ギル・スコット・ヘロン、2011年5月27日にニョーヨークの病院で死去。享年62歳。ミュージシャンであり、詩人でもあった彼。ジャズやファンクをブレンドした音楽をバックにメッセージ性の高いポエトリー・リーディングをするスタイルは“黒いディラン”と評され、ヒップ・ホップなど後塵のアーティストに多大な影響を与えました。2010年には16年振りとなるスタジオ作「I'M NEW HERE」(写真)をリリースして存在感を示していました。この最新作が魔力的な刺激を持った素晴らしい作品だっただけに、そのリリースから間もない死は残念でなりません。
MARVELETTES / ULTIMATE COLLECTION
マーヴェレッツのヴォーカリスト、グラディス・ホートン。2011年1月26日、ロサンゼルスで亡くなられました。65歳。モータウンを代表するガールズ・グループの一つだったマーヴェレッツ。61年のデビュー曲「Please Mr. Postman」はモータウン初の全米ナンバーワン・シングルとなりました。もちろんこの曲でリード・ヴォーカルを務めたのがグラディス・ホートンでした。ビートルズがカヴァーしたことでも知られますね。他に「Playboy」や「Don't Mess with Bill」などのヒット曲も。グラディスのハスキーな声、好きでした。
CORNEL DUPREE / TEASIN'
テキサス生まれの名セッション・ギタリスト、コーネル・デュプリー。2011年5月8日に死去。享年68歳。晩年は肺気腫を患っていたそうです。キング・カーティス、アレサ・フランクリン、ダニー・ハサウェイ、ロバータ・フラック、彼のギターに彩られたアーティストは数知れず。また職人的名グループ、スタッフでの活躍も忘れられませんね。そしてもちろんソロ・アーティストとしても。写真は74年のソロ・デビュー作「TEASIN'」。これ良いですよね~。職人肌の佇まいから、聴けば聴く程味が出てくる。ジャジーで、ソウルフルで、そしてブルージー。彼ならではのファンキー&メロウな感覚も秀逸。日本にも何度も来日しています。私も一度だけ生で観たことがありますが、あの独特のタイム感に酔いしれました。
さらにこの「TEASIN'」に参加していたパーカッショニスト、ラルフ・マクドナルドも2011年12月18日、67歳で亡くなられました。肺癌だったそうです。ジャズ/フュージョン系を中心に、アリサ・フランクリン、ビル・ウィザース、アシュフォード&シンプソンなどのソウル系からデヴィッド・ボウイ、ビリー・ジョエルなどロック/ポップス系まで、まさに引く手数多、八面六臂の活躍を続けてきた鉄人。また、ロバータ・フラック&ダニー・ハサウェイの「Where Is The Love」など、コンポーザーとしても魅力的でした。
WARDELL QUEZERGUE / STRUNG OUT
2011年9月6日、鬱血性心不全のため81歳で亡くなられたワーデル・ケゼルグ。“クレオールのベートーベン”と賞されるニューオーリンズの偉大なるアレンジャー。もちろん編曲だけでなく、ミュージシャンであり、バンド・リーダーであり、プロデューサーでもありました。ニューオーリンズ作品の至る所で彼の名前を見つけることが出来ます。彼なくしてニューオーリンズは語れない程。あのプロフェッサー・ロングフェアの「Big Chief」のホーン・アレンジもこの人ですからね。しかもニューオーリンズだけではないんです。写真は彼がメンフィスのマラコ・スタジオで手がけた録音を集めたコンピ盤。C.P.ラヴ、ジミー・ドビンズ、ペギー・スコット&ジョ・ジョ・ベンソン等を収録。偉大な方でした。
BENNY SPELLMAN / GOLDEN CLASSICS FORTUNE TELLER
2011年6月3日、ニューオーリンズのR&Bシンガー、ベニー・スペルマンが亡くなられました。79歳。ヒット曲と言えば「Lipstick Traces」ぐらいしかないベニー・スペルマンですが、何故かニューオーリンズR&Bファンの間で人気が高いようです。私も大好きです。それは何故か?やはりアラン・トゥーサン作のこの曲が素晴らしく良いのと、人懐っこいスペルマンの歌声に魅せられ、この曲こそニューオーリンズを代表するR&Bの1曲と思えてしまうからでしょう。それにローリング・ストーンズがカヴァーした「Fortune Teller」のオリジナルを歌ったのもスペルマンでした。さらにアーニー・K・ドゥのヒット曲「Mother in Law」の低音のキメ部分を歌っているのもスペルマン。この曲でのスペルマンの活躍っていうのもニューオーリンズらしいんですよね~。わずかな大舞台でニューオーリンズ印の決定打を放ったベニー・スペルマン。でも生まれはフロリダだったりするんですけどね。写真は「Lipstick Traces」と「Fortune Teller」だけではないベニー・スペルマンの魅力がたっぷり味わえるコレクション。これぞニューオーリンズ!
BERT JANSCH / L.A. TURNAROUND
ブリティッシュ・フォーク界の伝説的ギタリスト、バート・ヤンシュ。2011年10月5日、肺癌のため67歳で亡くなられました。ジョン・レンボーン達と共にブルースからの影響も取り入れながら、それまでの英フォーク/トラッドの枠を越えた革新的な英国フォークを作りあげていった偉人。ペンタングルでの活躍も知られますね。写真は74年のソロ作。ブリティッシュ・フォークの香りを濃厚に残しながらも、マイク・ネスミスやレッド・ローズの参加による米カントリー色との兼ね合いが見事。ジェシ・エド・デイヴィスとのスワンプ・セッション的な曲もあったりで面白い。ついついギターに耳が行きがちですが、バート・ヤンシュの暖かく優しい歌声、そしてソングライターとしての資質も見逃せません。
EARL GILLIAM / TEXAS DOGHOUSE BLUES
ダイアルトーンが誇るテキサスのブルース・ピアニスト&オルガン奏者、アール・ギリアム。2011年10月20日(19日?)に81歳で亡くなられました。少なくとも50年代から活動しているブルース・マンで、当時わずかなシングルを残しているものの、その後の足取りはほとんど知られていないとか。そしてそれから数十年後の2005年、突如リリースされた彼のファースト・アルバムが写真の「TEXAS DOGHOUSE BLUES」。このとき既に70歳代半ば。エグ味抜群の鍵盤裁きも歌声も全てがディープ。流石ダイアルトーンなリアル・ブルースです。
HOWARD TATE / HOWARDE TATE
2011年12月2日、白血病及び多発性骨髄炎により72歳の生涯を閉じたハワード・テイト。03年の復活劇からの初来日も記憶に新しい不世出のソウル・シンガー。黒く輝くようなこの人の声は本当に素晴らしい! でも私は来日公演を見逃してるんですよね~。毎年行っていたパーク・タワー・ブルース・フェスティヴァル。ハワードが出た年は何故か敬遠してしまったのです。これは悔やんでも悔やみきれませんね。写真は72年にアトランティックからリリースされた彼のソロ作。ホーン隊を含むクールな熱を感じさせるバックの演奏に、抑制を効かせながらジワジワとエモーションを満たしていくようなハワードの歌声にはホント痺れさせられます。しかしこの後70年代後半から彼の人生は狂い始め、家族を失い、仕事を失い、ホームレス同然となり、消息不明になったとか…。そして03年に大復活を果たす訳です。復活作となった「REDISCOVERED」も素晴らしいアルバムでした。もう一度来日して欲しかった…。
そしてこの「HOWARDE TATE」をプロデュースしたのがジェリー・ラゴヴォイ。彼も2011年7月13日にニューヨークの病院で亡くなられています。ハワード・テイトにとっては育ての親のような存在。ハワードはこのアルバムだけではなく、60年代からラゴヴォイの元で録音を重ねヒットを出していました。また復活作「REDISCOVERED」のプロデュースももちろんラゴヴォイが務めました。このジェリー・ラゴヴォイはフィラデルフィアで活躍したプロデューサーで、東海岸のR&Bシーンを影で支えた功労者でした。またソングライターとしても知られ、ハワードの曲はもちろん、アーマ・トーマス~ローリング・ストーンズの「Time Is On My Side」、アーマ・フランクリン~ジャニス・ジョプリンの「Piece Of My Heart」の作者としても知られます。
ASHFORD &SIMPSON / THE BEST OF ASHFORD &SIMPSON
夫婦デュオ、アシュフォード&シンプソンの夫、ニック・アシュフォード。2011年8月22日、咽喉ガンのため亡くなられました。享年70歳。私がこの世で最も好きな曲、マーヴィン・ゲイ&タミー・テレルの「Ain't Nothing Like The Real Thing」の作者がアシュフォード&シンプソン。もちろんマーヴィン&タミーの代表曲「Ain't No Mountain High Enough」もこの二人の作品。ヴァレリー・シンプソンが曲を作り、ニックが作詞をしていたそうです。楽曲クレジットに彼等の名前があればまずハズレ無しという、ソウル界屈指のソングライター・チームでした。70年代以降は自ら夫婦デュオとして活躍し「Found a Cure」や「Solid」などのヒット曲を残しています。09年には夫婦で来日し素晴らしいステージを見せてくれました。写真のアルバムは、83年にリリースされた通算11枚目の夫婦名義作「HIGH-RISE」。バックにはニューヨークの腕利きが集められ、ラルフ・マクドナルドも参加しています。
DAVID HONEYBOY EDWARDS / THE WORLD DON'T OWE ME NOTHING
伝説のブルースマンにして最後のデルタ・ブルースマン、デヴィッド”ハニーボーイ”エドワーズが2011年8月29日、 鬱血性心不全により亡くなられました。享年96歳。チャーリー・パットンやロバート・ジョンソンと同じ空気を吸った男、デヴィッド”ハニーボーイ”エドワーズ。2010年のグラミー賞で功労賞を受賞された時、大して嬉しそうな顔もしないブルース爺っぷりがえらく格好良く思えましたね。この人の弾き語りブルース、好きでした。そんじょそこらのひよっ子には絶対に真似出来ない本物のブルース。
BIG JACK JOHNSON & THE OILERS / ALL THE WAY BACK
ミシシッピのブルース・ギタリスト、ビッグ・ジャック・ジョンソンが2011年3月14日に亡くなられました。70歳。南部好きにとっては特別なギタリストですよね~。フランク・フロスト、サム・カーと組んだジェリー・ロール・キングスでもお馴染みでしたね。ですが彼が亡くなったことにより、元JRKの3人も皆故人となってしまいました。天国で仲良く再結成してくれてると良いですね。写真のアルバムは、彼が自身のバンド、OILERSを率いての98年作。脂ぎった南部汁、出てます!
LATTIMORE BROWN / Nobody Has to Tell Me
サザン・ソウル界屈指の名シンガー、ラティモア・ブラウン。3月25日に交通事故で亡くなられました。60年代に残したSound Stage Sevenへの名唱はもはや伝説的。そしてその後の長い不遇時代を乗り越え、近年は「Pain In My Heart」のシングルを発表するなどして元気な声を聴かせてくれていました。なのにそれから程なく、自宅近くで車にはねられてしまうという悲しい死。写真の作品は09年にリイシューされたSound Stage Seven録音集。名曲「I Know I’m Gonna Miss You」は泣けます。
EUGENE McDANIELS / OUTLAW
ユージン・マクダニエルズ。2011年7月29日に自宅で死去。76歳。私はロバータ・フラックの1st作「FIRST TAKE」が大好きで、特に1曲目の「Compared To What」にやられた口なんですが、その作者がユージン・マクダニエルズでした。もちろん、ロバータが歌ったユージン作と言えば、「Feel Like Makin' Love」の方が有名なんでしょうけどね。写真は彼の70年のアルバム「OUTLAW」。スワンプ・ロック風味のタイトル曲から始まり、SSWとしての味わいが色濃く感じられる雰囲気ながら、メッセージ性の高いアーティスティックな歌詞を真っすぐに歌うユージンの歌唱はやはりニューソウル。この時代、特にロバータ・フラック、ダニー・ハサウェイ、レス・マッキャン、そしてユージン・マクダニエルズ、彼等の空気感、大好きでした。
SOUL CHILDREN / GENESIS
元ソウル・チルドレンのリード・シンガーのひとり、J.ブラックフット。2011年11月30日、メンフィス近くのメソジスト・ジャーマンタウン病院で死去。65歳。癌だったそうです。スタックス屈指のヴォーカル・グループであるソウルチルドレンは男2人、女2人の4人組で、メンバー全員がリードをとれる実力派グループでした。中でも野太くシャウトするJ.ブラックフットの歌唱! その強烈に南部臭を発散しながら突き進むかのような歌唱が、グループを引っ張っていました。写真のアルバムは72年リリースの3作目。もちろんスタックスから。ヒット曲「Hearsay」での、重心の低い南部産リズムにのったJ.ブラックフットの豪快な歌唱はまさにディープ。スロー・ナンバー「All That Shines Ain't Gold」も素晴らしい! ソウルチルドレン解散後はソロ・シンガーとして活躍し、「Taxi」などのヒットを飛ばしました。
他にもロレッタ・ハロウェイ、マーヴィン・シーズ、フィービー・スノウ、シルヴィア・ロビンソン、レイ・ブライアント、ジョージ・シアリング、ゲイリー・ムーア、クラレンス・クレモンズなど多くの方が亡くなられました。さらにスモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズのギタリスト、マーヴ・ タープリンとか、フォートップスのバンド・リーダーを務めていたジョージ・ラウントリーとか。スカタライツのオリジナル・ドラマーであるロイド・ニブとか。ボブ・ディランの元恋人スーズ・ロトロとか。
柳ジョージさん、ジョー山中さん、中村とうようさん、スーちゃん…。
私が個人的に多少なりとも思い入れのある方達だけでも、本当に沢山の方々が亡くなられました。残念でなりません。
みなさま、安らかに。
昨年亡くなられた偉大なるシカゴ・ブルース・レジェンド。パイントップ・パーキンスとヒューバート・サムリン。方やマディ・ウォーターズのピアニスト。方やハウリン・ウルフのギタリスト。
パイントップ・パーキンスは70年代のマディー・ウォーターズを支えたピアニスト。1913年ミシシッピ州ベルゾニ生まれ。“パイントップ”という名はブギ・ウギ・ピアノの創始者パイントップ・スミスからとったそう。30年代からプロとして演奏を始め、南部を放浪したあとシカゴへやってくる。そして69年にオーティス・スパンの後がまとしてマディ・バンド入り。マディの死後は、コンスタントにソロ作を発表し、近年もブルース界の最長老として貫禄の活動を続けていました。98年にはパーク・タワー・ブルース・フェスティヴァルで来日しています。この時既に80歳代半ば。ですが元気にピアノを弾き、歌うパイントップの姿が印象的でした。2011年3月21日、97歳で亡くなられました。
シカゴブルースのもう一方の雄、ハウリン・ウルフを支えたギタリスト、ヒューバート・サムリン。映画「キャデラック・レコーズ」で、マディ・ウォーターズがハウリン・ウルフから引き抜いた若いギタリスト、あの人がヒューバート・サムリンです。あれはあくまでも映画の話ですが、実際、ヒューバート・サムリンは一瞬マディ・バンドに入った時期があったようですね。そう、「キャデラック・レコーズ」といえば、ウルフが演奏するスタジオのシーンで、ヒューバート・サムリンの横に、本物のヒューバート・サムリンが出演していたとか。残念ながら私は気がつきませんでしたけど…。それはそうと、ハウリン・ウルフとその片腕的存在のヒューバート・サムリンが醸すブルースというのは、ちょっと他にない迫力がありますよね。ウルフの死後はソロ作を発表し、来日もしています。2011年12月4日、心不全のため亡くなられました。享年80歳。
写真のアルバムは、そのパイントップ・パーキンスとヒューバート・サムリンの共演盤「LEGENDS」。98年作。
他にも沢山の方々が亡くなられました。以下、拙文ながら「ルーツな日記」的追悼。
PINETOP PERKINS & WILLIE 'BIG EYES' SMITH / JOINED AT THE HIP
2011年9月16日、パイントップ・パーキンスと共に70年代のマディ・バンドのリズムを支えたドラマー、ウィリー・スミスが亡くなられました。享年75歳。脳梗塞でした。アーカンソー州ヘレナ生まれ。60年代初め頃からマディのバンドへ出入り始めますが、69年から本格的なレギュラー・ドラマーの座に座ります。パイントップ・パーキンスのピアノとのコンビネーションには定評があったようです。2010年にはパイントップ・パーキンスとの共演盤「 JOINED AT THE HIP」(写真)をリリースし、グラミー賞『Best Traditional Blues Album』部門を受賞しています。このアルバムではドラムスを息子のケニー・スミスに任せ本人は歌とハープに専念しています。
MOJO BUFORD / CHAMPAGNE & REEFER
2011年10月11日に81歳で亡くなられたモジョ・ビュフォード。マディ・ウォーターズのバックで知られるミシシッピ出身のブルース・ハーピスト。マディのバンドには60年代後半から参加して出たり入ったり。70年代にはパイントップ・パーキンスやウィリー・スミスとも同僚でした。ちなみに本名はGEORGE BUFORD で、“MOJO”は「Got My Mojo Workin' 」を十八番にしていたことからついたニックネームだとか。写真は彼の99年のソロ・アルバム。ボブ・マーゴリン(g)と二人でやってる数トラックが凄く良いです!
AMY WINEHOUSE / LIONESS: HIDDEN TREASURES
2011年7月23日、ロンドンの自宅で亡くなられたエイミー・ワインハウス。まだ27歳の若さでした。死因はアルコールの過剰摂取だったそうです。まだまだこれからという若さと、いかにも彼女らしい死に方が、かえって衝撃的で悲し過ぎました。グラミー賞授賞式にて「Rehab」で賞主要3部門を立て続けに受賞した際の彼女の表情とパフォーマンスは今でも目に焼き付いています。写真は彼女の死後にリリースされた新作(蔵出し音源を中心にサラーム・レミとマーク・ロンソンが完成させた)。最後のレコーディングとなったトニー・ベネットとのデュエット「Body And Soul」は涙無しには聴けません。
GIL SCOTT-HERON / I'M NEW HERE
ギル・スコット・ヘロン、2011年5月27日にニョーヨークの病院で死去。享年62歳。ミュージシャンであり、詩人でもあった彼。ジャズやファンクをブレンドした音楽をバックにメッセージ性の高いポエトリー・リーディングをするスタイルは“黒いディラン”と評され、ヒップ・ホップなど後塵のアーティストに多大な影響を与えました。2010年には16年振りとなるスタジオ作「I'M NEW HERE」(写真)をリリースして存在感を示していました。この最新作が魔力的な刺激を持った素晴らしい作品だっただけに、そのリリースから間もない死は残念でなりません。
MARVELETTES / ULTIMATE COLLECTION
マーヴェレッツのヴォーカリスト、グラディス・ホートン。2011年1月26日、ロサンゼルスで亡くなられました。65歳。モータウンを代表するガールズ・グループの一つだったマーヴェレッツ。61年のデビュー曲「Please Mr. Postman」はモータウン初の全米ナンバーワン・シングルとなりました。もちろんこの曲でリード・ヴォーカルを務めたのがグラディス・ホートンでした。ビートルズがカヴァーしたことでも知られますね。他に「Playboy」や「Don't Mess with Bill」などのヒット曲も。グラディスのハスキーな声、好きでした。
CORNEL DUPREE / TEASIN'
テキサス生まれの名セッション・ギタリスト、コーネル・デュプリー。2011年5月8日に死去。享年68歳。晩年は肺気腫を患っていたそうです。キング・カーティス、アレサ・フランクリン、ダニー・ハサウェイ、ロバータ・フラック、彼のギターに彩られたアーティストは数知れず。また職人的名グループ、スタッフでの活躍も忘れられませんね。そしてもちろんソロ・アーティストとしても。写真は74年のソロ・デビュー作「TEASIN'」。これ良いですよね~。職人肌の佇まいから、聴けば聴く程味が出てくる。ジャジーで、ソウルフルで、そしてブルージー。彼ならではのファンキー&メロウな感覚も秀逸。日本にも何度も来日しています。私も一度だけ生で観たことがありますが、あの独特のタイム感に酔いしれました。
さらにこの「TEASIN'」に参加していたパーカッショニスト、ラルフ・マクドナルドも2011年12月18日、67歳で亡くなられました。肺癌だったそうです。ジャズ/フュージョン系を中心に、アリサ・フランクリン、ビル・ウィザース、アシュフォード&シンプソンなどのソウル系からデヴィッド・ボウイ、ビリー・ジョエルなどロック/ポップス系まで、まさに引く手数多、八面六臂の活躍を続けてきた鉄人。また、ロバータ・フラック&ダニー・ハサウェイの「Where Is The Love」など、コンポーザーとしても魅力的でした。
WARDELL QUEZERGUE / STRUNG OUT
2011年9月6日、鬱血性心不全のため81歳で亡くなられたワーデル・ケゼルグ。“クレオールのベートーベン”と賞されるニューオーリンズの偉大なるアレンジャー。もちろん編曲だけでなく、ミュージシャンであり、バンド・リーダーであり、プロデューサーでもありました。ニューオーリンズ作品の至る所で彼の名前を見つけることが出来ます。彼なくしてニューオーリンズは語れない程。あのプロフェッサー・ロングフェアの「Big Chief」のホーン・アレンジもこの人ですからね。しかもニューオーリンズだけではないんです。写真は彼がメンフィスのマラコ・スタジオで手がけた録音を集めたコンピ盤。C.P.ラヴ、ジミー・ドビンズ、ペギー・スコット&ジョ・ジョ・ベンソン等を収録。偉大な方でした。
BENNY SPELLMAN / GOLDEN CLASSICS FORTUNE TELLER
2011年6月3日、ニューオーリンズのR&Bシンガー、ベニー・スペルマンが亡くなられました。79歳。ヒット曲と言えば「Lipstick Traces」ぐらいしかないベニー・スペルマンですが、何故かニューオーリンズR&Bファンの間で人気が高いようです。私も大好きです。それは何故か?やはりアラン・トゥーサン作のこの曲が素晴らしく良いのと、人懐っこいスペルマンの歌声に魅せられ、この曲こそニューオーリンズを代表するR&Bの1曲と思えてしまうからでしょう。それにローリング・ストーンズがカヴァーした「Fortune Teller」のオリジナルを歌ったのもスペルマンでした。さらにアーニー・K・ドゥのヒット曲「Mother in Law」の低音のキメ部分を歌っているのもスペルマン。この曲でのスペルマンの活躍っていうのもニューオーリンズらしいんですよね~。わずかな大舞台でニューオーリンズ印の決定打を放ったベニー・スペルマン。でも生まれはフロリダだったりするんですけどね。写真は「Lipstick Traces」と「Fortune Teller」だけではないベニー・スペルマンの魅力がたっぷり味わえるコレクション。これぞニューオーリンズ!
BERT JANSCH / L.A. TURNAROUND
ブリティッシュ・フォーク界の伝説的ギタリスト、バート・ヤンシュ。2011年10月5日、肺癌のため67歳で亡くなられました。ジョン・レンボーン達と共にブルースからの影響も取り入れながら、それまでの英フォーク/トラッドの枠を越えた革新的な英国フォークを作りあげていった偉人。ペンタングルでの活躍も知られますね。写真は74年のソロ作。ブリティッシュ・フォークの香りを濃厚に残しながらも、マイク・ネスミスやレッド・ローズの参加による米カントリー色との兼ね合いが見事。ジェシ・エド・デイヴィスとのスワンプ・セッション的な曲もあったりで面白い。ついついギターに耳が行きがちですが、バート・ヤンシュの暖かく優しい歌声、そしてソングライターとしての資質も見逃せません。
EARL GILLIAM / TEXAS DOGHOUSE BLUES
ダイアルトーンが誇るテキサスのブルース・ピアニスト&オルガン奏者、アール・ギリアム。2011年10月20日(19日?)に81歳で亡くなられました。少なくとも50年代から活動しているブルース・マンで、当時わずかなシングルを残しているものの、その後の足取りはほとんど知られていないとか。そしてそれから数十年後の2005年、突如リリースされた彼のファースト・アルバムが写真の「TEXAS DOGHOUSE BLUES」。このとき既に70歳代半ば。エグ味抜群の鍵盤裁きも歌声も全てがディープ。流石ダイアルトーンなリアル・ブルースです。
HOWARD TATE / HOWARDE TATE
2011年12月2日、白血病及び多発性骨髄炎により72歳の生涯を閉じたハワード・テイト。03年の復活劇からの初来日も記憶に新しい不世出のソウル・シンガー。黒く輝くようなこの人の声は本当に素晴らしい! でも私は来日公演を見逃してるんですよね~。毎年行っていたパーク・タワー・ブルース・フェスティヴァル。ハワードが出た年は何故か敬遠してしまったのです。これは悔やんでも悔やみきれませんね。写真は72年にアトランティックからリリースされた彼のソロ作。ホーン隊を含むクールな熱を感じさせるバックの演奏に、抑制を効かせながらジワジワとエモーションを満たしていくようなハワードの歌声にはホント痺れさせられます。しかしこの後70年代後半から彼の人生は狂い始め、家族を失い、仕事を失い、ホームレス同然となり、消息不明になったとか…。そして03年に大復活を果たす訳です。復活作となった「REDISCOVERED」も素晴らしいアルバムでした。もう一度来日して欲しかった…。
そしてこの「HOWARDE TATE」をプロデュースしたのがジェリー・ラゴヴォイ。彼も2011年7月13日にニューヨークの病院で亡くなられています。ハワード・テイトにとっては育ての親のような存在。ハワードはこのアルバムだけではなく、60年代からラゴヴォイの元で録音を重ねヒットを出していました。また復活作「REDISCOVERED」のプロデュースももちろんラゴヴォイが務めました。このジェリー・ラゴヴォイはフィラデルフィアで活躍したプロデューサーで、東海岸のR&Bシーンを影で支えた功労者でした。またソングライターとしても知られ、ハワードの曲はもちろん、アーマ・トーマス~ローリング・ストーンズの「Time Is On My Side」、アーマ・フランクリン~ジャニス・ジョプリンの「Piece Of My Heart」の作者としても知られます。
ASHFORD &SIMPSON / THE BEST OF ASHFORD &SIMPSON
夫婦デュオ、アシュフォード&シンプソンの夫、ニック・アシュフォード。2011年8月22日、咽喉ガンのため亡くなられました。享年70歳。私がこの世で最も好きな曲、マーヴィン・ゲイ&タミー・テレルの「Ain't Nothing Like The Real Thing」の作者がアシュフォード&シンプソン。もちろんマーヴィン&タミーの代表曲「Ain't No Mountain High Enough」もこの二人の作品。ヴァレリー・シンプソンが曲を作り、ニックが作詞をしていたそうです。楽曲クレジットに彼等の名前があればまずハズレ無しという、ソウル界屈指のソングライター・チームでした。70年代以降は自ら夫婦デュオとして活躍し「Found a Cure」や「Solid」などのヒット曲を残しています。09年には夫婦で来日し素晴らしいステージを見せてくれました。写真のアルバムは、83年にリリースされた通算11枚目の夫婦名義作「HIGH-RISE」。バックにはニューヨークの腕利きが集められ、ラルフ・マクドナルドも参加しています。
DAVID HONEYBOY EDWARDS / THE WORLD DON'T OWE ME NOTHING
伝説のブルースマンにして最後のデルタ・ブルースマン、デヴィッド”ハニーボーイ”エドワーズが2011年8月29日、 鬱血性心不全により亡くなられました。享年96歳。チャーリー・パットンやロバート・ジョンソンと同じ空気を吸った男、デヴィッド”ハニーボーイ”エドワーズ。2010年のグラミー賞で功労賞を受賞された時、大して嬉しそうな顔もしないブルース爺っぷりがえらく格好良く思えましたね。この人の弾き語りブルース、好きでした。そんじょそこらのひよっ子には絶対に真似出来ない本物のブルース。
BIG JACK JOHNSON & THE OILERS / ALL THE WAY BACK
ミシシッピのブルース・ギタリスト、ビッグ・ジャック・ジョンソンが2011年3月14日に亡くなられました。70歳。南部好きにとっては特別なギタリストですよね~。フランク・フロスト、サム・カーと組んだジェリー・ロール・キングスでもお馴染みでしたね。ですが彼が亡くなったことにより、元JRKの3人も皆故人となってしまいました。天国で仲良く再結成してくれてると良いですね。写真のアルバムは、彼が自身のバンド、OILERSを率いての98年作。脂ぎった南部汁、出てます!
LATTIMORE BROWN / Nobody Has to Tell Me
サザン・ソウル界屈指の名シンガー、ラティモア・ブラウン。3月25日に交通事故で亡くなられました。60年代に残したSound Stage Sevenへの名唱はもはや伝説的。そしてその後の長い不遇時代を乗り越え、近年は「Pain In My Heart」のシングルを発表するなどして元気な声を聴かせてくれていました。なのにそれから程なく、自宅近くで車にはねられてしまうという悲しい死。写真の作品は09年にリイシューされたSound Stage Seven録音集。名曲「I Know I’m Gonna Miss You」は泣けます。
EUGENE McDANIELS / OUTLAW
ユージン・マクダニエルズ。2011年7月29日に自宅で死去。76歳。私はロバータ・フラックの1st作「FIRST TAKE」が大好きで、特に1曲目の「Compared To What」にやられた口なんですが、その作者がユージン・マクダニエルズでした。もちろん、ロバータが歌ったユージン作と言えば、「Feel Like Makin' Love」の方が有名なんでしょうけどね。写真は彼の70年のアルバム「OUTLAW」。スワンプ・ロック風味のタイトル曲から始まり、SSWとしての味わいが色濃く感じられる雰囲気ながら、メッセージ性の高いアーティスティックな歌詞を真っすぐに歌うユージンの歌唱はやはりニューソウル。この時代、特にロバータ・フラック、ダニー・ハサウェイ、レス・マッキャン、そしてユージン・マクダニエルズ、彼等の空気感、大好きでした。
SOUL CHILDREN / GENESIS
元ソウル・チルドレンのリード・シンガーのひとり、J.ブラックフット。2011年11月30日、メンフィス近くのメソジスト・ジャーマンタウン病院で死去。65歳。癌だったそうです。スタックス屈指のヴォーカル・グループであるソウルチルドレンは男2人、女2人の4人組で、メンバー全員がリードをとれる実力派グループでした。中でも野太くシャウトするJ.ブラックフットの歌唱! その強烈に南部臭を発散しながら突き進むかのような歌唱が、グループを引っ張っていました。写真のアルバムは72年リリースの3作目。もちろんスタックスから。ヒット曲「Hearsay」での、重心の低い南部産リズムにのったJ.ブラックフットの豪快な歌唱はまさにディープ。スロー・ナンバー「All That Shines Ain't Gold」も素晴らしい! ソウルチルドレン解散後はソロ・シンガーとして活躍し、「Taxi」などのヒットを飛ばしました。
他にもロレッタ・ハロウェイ、マーヴィン・シーズ、フィービー・スノウ、シルヴィア・ロビンソン、レイ・ブライアント、ジョージ・シアリング、ゲイリー・ムーア、クラレンス・クレモンズなど多くの方が亡くなられました。さらにスモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズのギタリスト、マーヴ・ タープリンとか、フォートップスのバンド・リーダーを務めていたジョージ・ラウントリーとか。スカタライツのオリジナル・ドラマーであるロイド・ニブとか。ボブ・ディランの元恋人スーズ・ロトロとか。
柳ジョージさん、ジョー山中さん、中村とうようさん、スーちゃん…。
私が個人的に多少なりとも思い入れのある方達だけでも、本当に沢山の方々が亡くなられました。残念でなりません。
みなさま、安らかに。