NEVILLE BROTHERS / YELLOW MOON
この世で一番好きなアルバムは? と問われれば、私は多分「YELLOW MOON」と答えるでしょう。ネヴィル・ブラザーズ、89年の大名盤。このアルバムをプロデュースしたのはダニエル・ラノワ。
さて、ダニエル・ラノワと言えば、やはりU2でしょうか?それともブライアン・イーノとか? イーノはラノワの師匠のような存在ですし、ラノワのプロデューサーとしての出世作は84年にイーノと共に手がけたU2の「UNFORGETTABLE FIRE」ですよね。しかもその後もイーノとのコンビでU2作品に関わり、数度のグラミー賞を受賞したりしています。ですがね~、私にとってはネヴィル・ブラザーズなんですよ。1989年なんですよ。(ま、実質的には88年~89年なのかな。)
ダニエル・ラノワは、1951年、カナダはケベック州ハル出身のフレンチ・カナディアンです。その昔、カナダを巡るイギリスとの植民地戦争に敗れたフランス系カナダ人の多くがルイジアナに逃れ、ケイジャン文化を育んだと云う歴史があります。ラノワにとってもルイジアナ/ニューオーリンズは特別な地だったに違いありません。そのラノワが初めてニューオーリンズへ向かったのはネヴィル・ブラザーズ「YELLOW MOON」録音のためだったそうです。どういういきさつでラノワがネヴィルズをプロデュースすることになったのかは、私の知るところではありませんが、「ネヴィル・ブラザーズ自伝」の中で、シリル・ネヴィルは『会社側(A&M)がダニエル・ラノワとやるように言ってきてね、』と語っています。ラノワはセント・チャールズにあったヴィクトリア様式の邸宅をスタジオとして使ってこのアルバムを録音したそうです。またラノワはヴードゥーにのめり込んでいて、そこには霊能者が出入りしていたとか。
そんなムードで録られたこの「YELLOW MOON」。ニューオーリンズに限らない広がりを持ちながらも、ルイジアナに根付く奥深い神秘を感じさせるような大傑作となりました。まさにネヴィル・ブラザーズの“血と魂”を感じさせてくれる作品です。モワッとした幻想的な音空間や、低音の効かせ方などは、いかにもダニエル・ラノワな音作り。他のネヴィルズ作品と比べても、明らかにラノワ色の濃い作品のようにも思いますが、「ネヴィル・ブラザーズ自伝」の中で、シリル・ネヴィルはラノワについて『ぼくらをリラックスさせて、やりたいようにやらせてくれた』、チャールズ・ネヴィルも『おおくのプロデューサーみたいに、おれたちに対して支配的な態度に出ない』とそのラノワの立ち位置を絶賛しています。
確かにラノワ色が濃い一方で、シリルのメッセージ色やミクスチャー感覚が身を結んだのもこの作品ですし、チャールズ独特のメロディー・ラインがスタジオ作で初めて活かされたのもこのアルバムと言っていいでしょう。またアーロン・ネヴィルのゴールデン・ヴォイスも、それまでとは一味違うスピリチュアルな響きを感じさせますし、全体に漂う長兄アート・ネヴィルのクールネスのような感覚も秀逸です。これらメンバーの個性を引き出し、一つに纏めたダニエル・ラノワ、やはり恐るべし。このアルバムによって、ネヴィル・ブラザーズは自らの進むべき道を悟ったかのような、そんなターニングポイントとなった作品。私はそんな風に思っています。
BOB DYLAN / OH MERCY
さて、ボブ・ディランです。ボブ・ディランにダニエル・ラノワを紹介したのはU2のボノ。『ボブ・ディラン自伝』にその頃の話が詳しいです。それはボノがディラン宅の夕食に呼ばれたある夜のこと。ボノはディランの新曲のレコーディングに最適な人としてラノワの名を挙げ、その場でラノワに電話をかけ、ディランと直接話をさせたそうです。その時ラノワは「ニューオーリンズで仕事をしているので、来ることがあれば立ち寄ってほしい』という話をしたとか。おそらく、「YELLOW MOON」の録音中だったのでしょう。
ディランがニューオーリンズ、セント・チャールズに建つ例の邸宅に向かったのは、その「YELLOW MOON」もほとんど完成していた頃。そこでアーロン・ネヴィルが歌ったディラン曲「With God On Our Side」と「The Ballad Of Hollis Brown」の2曲を聴き深く感銘を受けます。この時のディランのアーロンに対する敬意を語った『ボブ・ディラン自伝』のくだりは、そのディランの言葉の美しさがとても感動的。ま、それはそうと、ディランは確かな手応えを感じ、数ヶ月後、再びニューオーリンズに赴きラノワと新作のレコーディングを開始するに至る訳です。その作品こそ「OH MERCY」。
この時はニューオーリンズのソニアットストリートに建つやはり古い邸宅をスタジオとしてレコーディングを始めたそうです。ラノワはこういうシチュエーションが好きなんでしょうね。そしてラノワが集めたミュージシャンの中には、ウィリー・グリーン(ds)、トニー・ホール(b)、ブライアン・ストルツ(g)、シリル・ネヴィル(per)といったネヴィル・ブラザーズのメンバー達も居ました。ですがニューオーリンズ色はほとんど感じられません。なのに「YELLOW MOON」と似たようなムードを感じさせられる。それはやはりラノワの感性の成せる技なのでしょうね。この作品は、レコーディング・アーティストとしてはそれまでに比べれば停滞気味だったディランの80年代において、まさに起死回生の傑作となりました。また、ラノワならではの音響的音像から、ある程度ラノワに任せて製作されたと想像していたこの作品ですが、実はそうでもなかった難産振りが赤裸々に語られる『ボブ・ディラン自伝』は必読です。
DANIEL LANOIS / ACADIE
そして89年にリリースされたダニエル・ラノワの1stソロ作「ACADIE」。大半がニューオーリンズで録音されたこの作品も、上記2枚のアルバムと地続きの作品と考えていいでしょう。タイトルはフランス語でアカディ。英語ならアケイディア(ACADIA)。カナダ東部のフランス語圏地域を指す言葉だそう。ルイジアナのケイジャン文化を語る上で決して避けられない言葉ですね(ケイジャンの語源はアカディアン=アカディア人から来ています)。参加ミュージシャンにはウィリー・グリーン(ds)、トニー・ホール(b)というネヴィル・ブラザーズのリズム隊の他、シリル、アーロン、アートの名前もクレジットされています。ですがネヴィル・ブラザーズとはまた違う、ダニエル・ラノワにとっての“血と魂”を感じさせる作品に仕上がっています。独特のエコー処理による立体感溢れる叙情的なサウンドが聴くものの想像力を刺激し、悠久の旅に連れて行ってくれるような。そして最後を締めるアーロンが歌う「Amazing Grace」の素晴らしいこと!!!
この3作品には、何か同じ不思議な魔法がかけられてるように思います。その魔法、それが私にとっての「89年のダニエル・ラノワ」。
さて、そのダニエル・ラノワが来日中です。私は明日、1月18日、ビルボードライヴ東京にて観てまいります。もちろん89年だけがラノワではありません。その後も素晴らしい仕事を連発しています。ちなみに昨年リリースされた彼のバンド、ブラック・ダブ名義の最新作「BLACK DUB」がめっちゃ素晴らしい作品なのですが、それにはまた近々触れることもあると思いますので、またその時に。
この世で一番好きなアルバムは? と問われれば、私は多分「YELLOW MOON」と答えるでしょう。ネヴィル・ブラザーズ、89年の大名盤。このアルバムをプロデュースしたのはダニエル・ラノワ。
さて、ダニエル・ラノワと言えば、やはりU2でしょうか?それともブライアン・イーノとか? イーノはラノワの師匠のような存在ですし、ラノワのプロデューサーとしての出世作は84年にイーノと共に手がけたU2の「UNFORGETTABLE FIRE」ですよね。しかもその後もイーノとのコンビでU2作品に関わり、数度のグラミー賞を受賞したりしています。ですがね~、私にとってはネヴィル・ブラザーズなんですよ。1989年なんですよ。(ま、実質的には88年~89年なのかな。)
ダニエル・ラノワは、1951年、カナダはケベック州ハル出身のフレンチ・カナディアンです。その昔、カナダを巡るイギリスとの植民地戦争に敗れたフランス系カナダ人の多くがルイジアナに逃れ、ケイジャン文化を育んだと云う歴史があります。ラノワにとってもルイジアナ/ニューオーリンズは特別な地だったに違いありません。そのラノワが初めてニューオーリンズへ向かったのはネヴィル・ブラザーズ「YELLOW MOON」録音のためだったそうです。どういういきさつでラノワがネヴィルズをプロデュースすることになったのかは、私の知るところではありませんが、「ネヴィル・ブラザーズ自伝」の中で、シリル・ネヴィルは『会社側(A&M)がダニエル・ラノワとやるように言ってきてね、』と語っています。ラノワはセント・チャールズにあったヴィクトリア様式の邸宅をスタジオとして使ってこのアルバムを録音したそうです。またラノワはヴードゥーにのめり込んでいて、そこには霊能者が出入りしていたとか。
そんなムードで録られたこの「YELLOW MOON」。ニューオーリンズに限らない広がりを持ちながらも、ルイジアナに根付く奥深い神秘を感じさせるような大傑作となりました。まさにネヴィル・ブラザーズの“血と魂”を感じさせてくれる作品です。モワッとした幻想的な音空間や、低音の効かせ方などは、いかにもダニエル・ラノワな音作り。他のネヴィルズ作品と比べても、明らかにラノワ色の濃い作品のようにも思いますが、「ネヴィル・ブラザーズ自伝」の中で、シリル・ネヴィルはラノワについて『ぼくらをリラックスさせて、やりたいようにやらせてくれた』、チャールズ・ネヴィルも『おおくのプロデューサーみたいに、おれたちに対して支配的な態度に出ない』とそのラノワの立ち位置を絶賛しています。
確かにラノワ色が濃い一方で、シリルのメッセージ色やミクスチャー感覚が身を結んだのもこの作品ですし、チャールズ独特のメロディー・ラインがスタジオ作で初めて活かされたのもこのアルバムと言っていいでしょう。またアーロン・ネヴィルのゴールデン・ヴォイスも、それまでとは一味違うスピリチュアルな響きを感じさせますし、全体に漂う長兄アート・ネヴィルのクールネスのような感覚も秀逸です。これらメンバーの個性を引き出し、一つに纏めたダニエル・ラノワ、やはり恐るべし。このアルバムによって、ネヴィル・ブラザーズは自らの進むべき道を悟ったかのような、そんなターニングポイントとなった作品。私はそんな風に思っています。
BOB DYLAN / OH MERCY
さて、ボブ・ディランです。ボブ・ディランにダニエル・ラノワを紹介したのはU2のボノ。『ボブ・ディラン自伝』にその頃の話が詳しいです。それはボノがディラン宅の夕食に呼ばれたある夜のこと。ボノはディランの新曲のレコーディングに最適な人としてラノワの名を挙げ、その場でラノワに電話をかけ、ディランと直接話をさせたそうです。その時ラノワは「ニューオーリンズで仕事をしているので、来ることがあれば立ち寄ってほしい』という話をしたとか。おそらく、「YELLOW MOON」の録音中だったのでしょう。
ディランがニューオーリンズ、セント・チャールズに建つ例の邸宅に向かったのは、その「YELLOW MOON」もほとんど完成していた頃。そこでアーロン・ネヴィルが歌ったディラン曲「With God On Our Side」と「The Ballad Of Hollis Brown」の2曲を聴き深く感銘を受けます。この時のディランのアーロンに対する敬意を語った『ボブ・ディラン自伝』のくだりは、そのディランの言葉の美しさがとても感動的。ま、それはそうと、ディランは確かな手応えを感じ、数ヶ月後、再びニューオーリンズに赴きラノワと新作のレコーディングを開始するに至る訳です。その作品こそ「OH MERCY」。
この時はニューオーリンズのソニアットストリートに建つやはり古い邸宅をスタジオとしてレコーディングを始めたそうです。ラノワはこういうシチュエーションが好きなんでしょうね。そしてラノワが集めたミュージシャンの中には、ウィリー・グリーン(ds)、トニー・ホール(b)、ブライアン・ストルツ(g)、シリル・ネヴィル(per)といったネヴィル・ブラザーズのメンバー達も居ました。ですがニューオーリンズ色はほとんど感じられません。なのに「YELLOW MOON」と似たようなムードを感じさせられる。それはやはりラノワの感性の成せる技なのでしょうね。この作品は、レコーディング・アーティストとしてはそれまでに比べれば停滞気味だったディランの80年代において、まさに起死回生の傑作となりました。また、ラノワならではの音響的音像から、ある程度ラノワに任せて製作されたと想像していたこの作品ですが、実はそうでもなかった難産振りが赤裸々に語られる『ボブ・ディラン自伝』は必読です。
DANIEL LANOIS / ACADIE
そして89年にリリースされたダニエル・ラノワの1stソロ作「ACADIE」。大半がニューオーリンズで録音されたこの作品も、上記2枚のアルバムと地続きの作品と考えていいでしょう。タイトルはフランス語でアカディ。英語ならアケイディア(ACADIA)。カナダ東部のフランス語圏地域を指す言葉だそう。ルイジアナのケイジャン文化を語る上で決して避けられない言葉ですね(ケイジャンの語源はアカディアン=アカディア人から来ています)。参加ミュージシャンにはウィリー・グリーン(ds)、トニー・ホール(b)というネヴィル・ブラザーズのリズム隊の他、シリル、アーロン、アートの名前もクレジットされています。ですがネヴィル・ブラザーズとはまた違う、ダニエル・ラノワにとっての“血と魂”を感じさせる作品に仕上がっています。独特のエコー処理による立体感溢れる叙情的なサウンドが聴くものの想像力を刺激し、悠久の旅に連れて行ってくれるような。そして最後を締めるアーロンが歌う「Amazing Grace」の素晴らしいこと!!!
この3作品には、何か同じ不思議な魔法がかけられてるように思います。その魔法、それが私にとっての「89年のダニエル・ラノワ」。
さて、そのダニエル・ラノワが来日中です。私は明日、1月18日、ビルボードライヴ東京にて観てまいります。もちろん89年だけがラノワではありません。その後も素晴らしい仕事を連発しています。ちなみに昨年リリースされた彼のバンド、ブラック・ダブ名義の最新作「BLACK DUB」がめっちゃ素晴らしい作品なのですが、それにはまた近々触れることもあると思いますので、またその時に。