ルーツな日記

ルーツっぽい音楽をルーズに語るブログ。
現在、 フジロック ブログ と化しています。

アイラ・タッカーを偲ぶ 1

2008-09-29 12:08:04 | ゴスペル
THE DIXIE HUMMINGBIRDS / THE DIXIE HUMMINGBIRDS 1939-76

08年6月24日、伝説的ゴスペル・カルテット、ディキシー・ハミングバーズのリード・ヴォーカリスト、アイラ・タッカーが心不全のためフィラデルフィアで亡くなられました。享年83歳。

ディキシー・ハミングバーズは、戦後のゴスペル及びソウル・ミュ-ジックに与えた多大な影響力から、かのサム・クックを擁したソウル・スターラーズと双璧を成す存在と言われています。特に中心人物でありリード・ヴォーカリストであるアイラ・タッカーの荒々しさの中にも黒人の気高さを感じる迫力のヴォーカルが後のソウル・シンガーに与えた影響は計り知れません。

写真のアルバムはそんなハミングバーズとアイラ・タッカーの魅力がたっぷり味わえる日本企画のベスト盤「THE DIXIE HUMMINGBIRDS 1939-76」。このアルバムが発売されたのは98年。実はそれまでハミングバーズは、その実力と評価に反し何故か日本では満足に紹介されてこなかったようで、このCDのリリースは決定版アンソロジーの登場と当時大変話題になりました。代表曲が多少漏れていたりもするようですが、年代順に全盛期の熱い歌声を堪能できる素晴らしいアルバムです。

1925年サウスカロライナ州スパータンバーグ生まれのアイラ・タッカー。彼のハミングバーズへの加入年月については諸説あるようですが、このアルバムの解説ではハミングバーズが1939年9月にデッカへ初録音を行った直後ではないかと言うことです。その時タッカーはまだ10代前半でした。ちなみにハミングバーズ自体はその10年程前、1928年にサウスカロライナ州グリーンズヴィルにある教会の少年コーラス隊が母体になり結成されたそうです。

やはりハミングバーズの全盛期と言えば50年代ですかね。このアルバムでももちろんその時代の名唱を聴くことができます。スローナンバーの「I'll Keep On Living after Die」でのタッカーの太く低い声からシャウト、ファルセットまで自由自在な表現力が素晴らしい。そして何よりその声自体の存在感が堪らない。もちろんカルテットならではのハーモニーも素晴らしい!

また、ソウル・スターラーズやブラインド・オーイズ・オブ・ミシシッピ、ベルズ・オブ・ジョイなど当時のライヴァル達の曲を小気味良く繋げるアップテンポの「Let's Go Out To The Programs - no.1」では、そのショーマンシップから彼等のエンターテイン振りが窺えます。実際、彼等のライヴはジェイムズ・ブラウンに通じるような、派手なアクションで失神者が続出する程の熱狂的なものだったとか。一度そんな映像を見てみたいです…。

さらに悲しみを湛えたスピリチュアルな「Poor Pilgrim Of Sorrow」も感動的。ハワード・キャロルのセンス抜群のギターも素晴らしい。こういった静かな曲をじっくりと聴かせるのも、男性カルテットの魅力ですよね。

そして60年代になるとハミングバーズは、BSR誌29号のゴスペル・カルテット特集曰く『公民権運動の時代を先頭を切って走った』そうです。タッカーの作となる65年の「If Anybody Ask You」は人種差別下での黒人の“自己確認”の歌だそうで、彼の力強い歌声にしびれます。

70年代では、何と言っても73年にグラミー賞『Best Soul Gospel Performance』部門を受賞した「Loves Me Like A Rock」です。この曲はポール・サイモンの曲で、もともとポール・サイモンのアルバム「ひとりごと」にハミングバーズが参加しバック・コーラスを務めたもので、あらためてハミングバーズ自身が録音したヴァージョンが、グラミー受賞しました。

ちなみにポール・サイモンの「ひとりごと」は、マスル・ショールズ録音を含む傑作として知られ、彼の米南部路線にハミングバーズも一役買ったといったところでしょうか。 それにしてもハミングバーズを招いたポール・サイモンは流石ですね。

76年にはタッカーと共にグループの要だったベース・パートのウィリー・ボボが亡くなります。彼の歌声は短い曲ですがアカペラの「Ezekiel Saw The Wheel」で堪能できます。

このアルバムが76年で終わっているように、ウィリー・ボボを失ったことがハミングバーズにとって一つの時代の終焉だったのかもしれませんね。しかしハミングバーズは80年代も、90年代も生き続け、アイラ・タッカーは歌い続けていたのだと思います。残念ながらその間の活動について私は良く知りません。ですが、2003年に、私の大好きなアルバムがリリースされます。

ですが、それについてはまた次回ということで。

フィル・ガイを偲ぶ

2008-09-22 19:04:10 | ブルース
BUDDY & PHILIP GUY / BUDDY & PHIL

在米ブルースギタリストの菊田俊介さんのブログによりますと、08年8月20日、シカゴ・ブルース・ギタリスト/シンガーのフィル・ガイが肝臓及び腎臓がんのため亡くなられたそうです。享年68歳。

フィル・ガイは御存知バディ・ガイの弟。40年ルイジアナ州生まれ。50年代に兄を追ってシカゴに出てきたそうです。しかしシカゴ・ブルース・レジェンドに登り詰めた兄の華々しい活躍に比べれば、その陰に隠れ大きな成功を収めることは出来なかったかもしれません。私も正直、フィル・ガイのソロ作は聴いたことがありませんし、見たことすらないかも…。しかし、ブルース・ファン及びシカゴ・ブルース界にとっては、また一人、大きな存在を失ったことには間違いありません。

実は私が初めて買った黒人ブルースのCDでサイド・ギターを弾いていたのがフィル・ガイなのです。そのCDとはバディ・ガイの「STONE CRAZY」。ブルース・カーニバルで初めて観たバディ・ガイに衝撃を受け、とりあえず買ったCDでした。今から18年ほど昔の話。ですがこの時はただただバディ・ガイが聴きたかっただけでしたし、ブルースに対する知識もほとんど無かったので、フィル・ガイをはじめとするバック・メンバーには全く興味がなかったんですよね~。すいません…。

で、私がフィル・ガイという名を初めて意識したのは「JUNIOR WELLS & BUDDY GUY」というアルバムを手にしたときかもしれません。「STONE CRAZY」から数年後に中古で手に入れました。これはジュニア・ウェルズとバディ・ガイが初来日した75年の第2回ブルース・フェスティバルの模様を収めたライヴ盤で、フィル・ガイはこの時、バック・バンドのリーダーとして来日していたんですね。私はこのCDのライナーを読んで、バディの弟フィルの存在を知ったのだと思います。

ですが正直、その頃はそんなにフィルの存在を意識していませんでした。もちろんバンド・サウンドの素晴らしさがあってこそのシカゴ・ブルースですし、だからこそ私もブルースへのめり込んで行ったのだと思うのですが、やっぱり耳は主役のアーティストへいってしまうんですよね~。

そんな私にとって、突如フィル・ガイの存在がクローズアップされたのが一昨年06年に発売されたジュニア・ウェルズの発掘ライヴ盤「LIVE AT THERESA'S 1975」でした。75年の来日公演直前の地元シカゴでのライヴ。ここで聴けるフィル・ガイのプレイがディープで良いんですよ! ブルース・ギターここにあり!って感じで、脂の乗ったウェルズにも負けない濃~いブルース臭を発散しています。

そしてこの発掘ライヴ盤の直後にリイシューされたのがバディとフィルの兄弟名義による「BUDDY & PHIL」(写真)。オリジナルは81年にイギリスのJSPレコードからリリースされたもの。このJSP時代のバディ・ガイは、一般的に“低迷期”と呼ばれたりしていますが、このアルバムはなかなか面白いです。

まず暴走気味にすら感じる強烈なファンク・ナンバーの「Funk Is The Skunk」と「Feeling Sexy」からして凄いですし、まるでクラブの中で音楽と観客が絡みつくような19分にも及ぶライヴ録音「Knock On Wood」もそうとうヤバイ。そしてこのアルバムではフィル・ガイのヴォーカルを3曲で聴くことが出来ます。やっぱり声質自体はバディによく似ていますが、バディのように激情的と言うかヒステリックな感じではなく、まろやかな味があります。

そしてこのJSP時代に、フィルも遅すぎるアルバム・デビューを果たしたそうです。82年リリースの「Red Hot Blues」と言う作品だそうですが、残念ながら私は未聴。


さて、菊田俊介さんのブログによりますと、80年代以降、フィルは自分のバンドで活動していたそうです。また今年の7月4日にアイオワ州ダヴェンポート市で行われた“ミシシッピー・ヴァレイ・ブルース・フェス"に出演したフィルは、すでに癌で体調を崩していたようで、20キロ近く痩せた上に、椅子に座って演奏していたそうです。菊田さんは「こうして死の直前までプレーしていたミュージシャンシップには頭が下がる。」と賛辞を送っていましたが、まったくその通りですね。

フィル・ガイさん、安らかに。



アーティ・トラウムを偲ぶ

2008-09-19 13:26:50 | ルーツ・ロック
ARTIE TRAUM / THIEF OF TIME

70年代に花開いたウッドストック・シーンの中心人物の一人、アーティ・トラウムが08年7月20日に亡くなられました。4年前にガンの一種である眼内黒色腫という病気にかかり、今年5月に肝臓への転移が見つかったそうです。享年65歳。ベアズヴィルの自宅で、奥様や兄であるハッピー・トラウム達に見守られながら天国へ旅立ったそうです。

06年にはハッピー&アーティ・トラウムの未発表ライヴを集めたCD「LIVE RECORDINGS 1970's-1980's」が発売され、ボーナス・トラックとして新録音曲が3曲納められ、同年11月にはトムズ・キャビンの『聴かずに死ねるか』シリーズでハッピー&アーティ・トラウムとして25年振りの来日。さらに翌07年にはソロ作「THIEF OF TIME」をリリースと、元気な活動を見せてくれていたアーティー・トラウム。しかし今年の6月、トムズ・キャビンが彼の病状悪化を救うため、日本での募金活動を始めました。正直「え!そんなに悪いの?」と驚きました。そしてそれからたった一月と少しで逝ってしまいました。

私は来日公演にも行かず、募金もしなかったような似非ファンですが、それでも彼の音楽を愛していた一人です。ハッピー&アーティ・トラウムの「DOUBLE-BACK」、マッド・エイカーズの「MUSIC AMONG FRIENDS」、その続編となるウッドストック・マウンテン・レヴューの「MORE MUSIC FROM MUD ACRES」などなど。70年代のウッドストック・サウンドを代表するアルバムであり、ルーツ好きなら必ず通る名作達ですね。

43年ニューヨーク州生まれのアーティ・トラウム。60年代のグリニッジ・ヴィレッジでフォークの洗礼を受け、68年にウッドストックへ移住。69年に兄ハッピーとのデュオ、ハッピー&アーティトラウムとしてのデビュー作「HAPPY & ARTIE TRAUM」をリリース。彼等の代表作である「DOUBLE-BACK」は71年リリースの2作目。暖かくフォーキーなサウンドはウッドストックのあの時代へタイムスリップさせてくれます。そして彼等の人望が傑作を生んだマッド・エイカーズの「MUSIC AMONG FRIENDS」。これはウッドストックの空気を一枚のアルバムに詰め込んだような素晴らしい作品。私がウッドストックのシーンに興味を持ったのはこのアルバムからかもしれません。


またアーティ・トラウムはギタリストとしても尊敬を集めていた人で、アコースティック・ギターの教則本やビデオが何本もリリースされています。彼のギターに息づくのは、ウッディ・ガスリーやピート・シーガーなどのフォークはもちろん、ビッグ・ビル・ブルーンジーやミシシッピ・ジョン・ハートなどブルース、さらにビル・モンローのカントリー、そしてジャズ。彼がNY時代に刺激を受け、吸収していったであろう音楽はまさに米ルーツミュージックの縮図。だからこそか、彼のギターが奏でるハーモニーは何処かロマンチックなんですよね。きっとみんなそこに惹かれるんでしょうね。ちなみにアーティはバンジョーも達者。


あ~、それにしても一昨年の来日公演は、行くべきでしたね…。悔やんでも仕方がありませんが、やっぱり悔やまれます。

アーティ・トラウムさん、安らかに。


*写真はアーティ・トラウムの最後のソロ作となった「THIEF OF TIME」。プロデュースはウェンディ・ウォルドマン。バックにはウォーレン・バーンハート(p)、トニー・レヴィン(b)、ゲイリー・バーク(ds)を配し、ゲストにジョン・セバスチャンやエイミー・ヘルム、ケニー・エドワーズなども参加。土臭さが薫るブルース・ナンバー「Where the Blues Began」や「Country Boy Blues」から、ジャジーな「Bonnie Jean」、ブラジル・テイストな「Thief of Time」や「Back in the Sugarcane」、さらにアコギの響きが美しすぎる「That Secret Place」。ヴァラエティ豊かな中に、アーティらしい洗練さとハート・ウォーミングな息遣いが感じられる作品です。ギターの素晴らしさはもちろん、素朴ながら温かみのあるアーティの歌声も味わい深いです。


アイザック・ヘイズを偲ぶ 2

2008-09-13 14:57:46 | ソウル、ファンク
ISAAC HAYES / ULTIMATE ISAAC HAYES CAN YOU DIG IT?

前回からのつづきです。

8月31日の東京JAZZ2008でサム・ムーアが歌った「I Stand Accused」。ジェリー・バトラーがオリジナルの名バラードで、サムの気持ちの入りまくった歌唱はこの日のハイライトと言っても良い極上の1曲でした。ですが随分渋い曲を、とも思ったものです。この名曲は色々な人が歌っていますが、実はアイザック・ヘイズもカヴァーしていまして、70年にシングル・カットされR&Bチャートに入るヒットとなっています。

後で知ったことなのですが、サム・ムーアはこの曲に数日前(8月10日)に亡くなったアイザック・ヘイズへのトリビュートの意を込めていたそうなのです。数日後のブルーノート公演ではインストで「Shaft」も披露していたとか。アイザック・ヘイズとサム・ムーアは同じスタックス・レコードの仲間です。しかも単なるレーベル・メイトではありません。

サムがスタックス入りした65年頃、アイザック・ヘイズはデイヴィッド・ポーターとソングライター・チームを組んでいました。実はサム&デイヴが歌い大ヒットした「Hold On, I'm Comin」や「When Something Is Wrong with My Baby」、「Soul Man」など、彼らの代表曲の殆どがヘイズ&ポーターのチームによって書かれた曲なのです。またサム&デイヴが歌った曲群こそが、ヘイズ&ポーターの代表曲でもあるのです。

この60年代半ばから後半に掛けてのスタックスは、サム&デイブとオーティス・レディングを2大看板とし、メンフィス・ソウルの雄としてアトランティックの後ろ盾を得た第1期全盛期です。この時、アイザック・ヘイズはコンポーザーという言わば裏方でそのヒットを支えていました。おそらくこの時期に後々ヘイズがソウルの一歩先を行くに充分なノウハウを培ったのだと思います。そしてそのノウハウを発展させて自分の脳裏にある世界を壮大なオーケストレーションを駆使し思うがままにサウンド化することに成功したのではないかと。それが「HOT BUTTERED SOUL」を生み、「SHAFT」へと繋がったのではないでしょうか。

67年にオーティスが亡くなり、翌年アトランティックと手切れになり、サム&デイブも離脱し、スタックスの第1期全盛期は幕を下ろします。本来ならここで倒産してもおかしくない程の痛手ですが、それを第2期全盛期へと引っ張ったのは、おそらく、いよいよ表舞台へ踊りだしたアイザック・ヘイズだったのではないでしょうか。「HOT BUTTERED SOUL」の成功が69年、それ以降ヒット作を連発します。極めつけは「SHAFT」。これらヒット作と呼ぶにはあまりにも斬新で冒険的かつ芸術的な作品群はニューソウルからブラック・シネマへとソウル・ミュージックの可能性を押し広げました。そしてメンフィス・ソウルの枠に留まらない、ブラック・パワーの急先鋒と化した新しいスタックスの先頭を走ったのです。

この頃のスタックスとアイザック・ヘイズがいかに凄かったかは映画「WATTSTAX」を観れば分かります。この映画は72年にスタックス主導で開催されたコンサートを記録したドキュメンタリー。10万人以上が集まったと言われるこのライヴの背景には人種差別など色々な問題の中での「黒人意識」があり、全ての演奏にそれを高めるかのような、この時代ならではの独特な熱さと高揚感があります。そしてそれらが爆発的なエネルギーを生んでいます。

ステイプル・シンガーズ、バーケイズ、アール・キングといった当時のスタックスを彩る数々のアーティストの熱演の後、大トリとしてアイザック・ヘイズが登場します。熱狂的な観客の歓声に迎えられてステージへ上がるアイザック・ヘイズにはまるで「黒人意識」のオピニオン・リーダーのようなオーラが感じられます。トレードマークのスキンヘッド、黒光りする裸の上半身にゴールドの鎖、そして独特の低音ヴォイスから発せられるソウルネス。それらが醸し出す圧倒的な存在感は、“登場”と言うより“降臨”と評したい、まさに“ブラック・モーゼス”の異名に相応しい、彼こそがこの時代を象徴するアーティストだったことを物語っています。

しかしソウル・ミュージックの中心を走り続けたスタックスも、残念ながら76年に終演を迎えます。アイザック・ヘイズはその後自身のレーベルを起こしたり、音楽活動を続けていきますが、俳優としても成功を掴みます。「ハッスル&フロウ」や「レインディア・ゲーム」など多数の映画に出演しているそうです。また声優としてテレビアニメ「サウス・パーク」でのシェフ役も有名。そしてヘイズにとって遺作となった映画がこの秋に公開予定の「ソウル・メン」。監督はマルコム・D・リー。題名の通りサム&デイヴを連想させる映画のようですが、伝記映画ではなさそうです。


米南部の鄙びたレーベルだったスタックスを、日に陰に支えたアイザック・ヘイズ。そのスタックスが倒産30年後の06年に復活し、アンジー・ストーンや、ソウライヴ、レイラ・ハサウェイ、そして最近ではリオン・ウェアの新作などもリリースし活況を呈していますが、アイザック・ヘイズはその新生スタックスと最初に契約を交わしたアーティストの一人だったそうです。スタックスでの新作を出して欲しかったですが、それはかなわぬ夢となってしまいましたね。

アイザック・ヘイズさん、安らかに。


*写真のアルバムは05年にリリースされたCD2枚、DVD1枚の計3枚組、スタックス時代のベスト・アルバム。アップ・テンポの「Theme from Shaft」の格好良さはもちろんですが、「I Stand Accused」をはじめとするスロー・ナンバーの数々には、この人がバラディアーとして非凡な才能の持ち主だったことをあらためて思い知らされます。男の私もこの低音にはうっとりです。未発表ライヴのゴスペル・ナンバー「His Eye Is On The Sparrow」も感動的ですが、やはり目玉はDVD。4曲だけという付録のようなものですが、なかでもオリジナルの映画では観れなかった「ワッツタックス」でのライヴ映像は鳥肌物。


~関連過去ブログ~ お時間有ったらぜひ!

 08. 9. 9 アイザック・ヘイズを偲ぶ 1

アイザック・ヘイズを偲ぶ 1

2008-09-10 12:48:40 | ソウル、ファンク
ISAAC HAYES / HOT BUTTERED SOUL

08年8月10日、アイザック・ヘイズが亡くなりました。メンフィスの自宅で倒れているところを発見され、病院に運ばれましたが既に息を引き取っていたそうです。発見された時、近くにあったランニングマシンが動いたままの状態だったとか…。65歳でした。

アイザック・ヘイズは映画「黒いジャガー」のテーマ曲「Theme from Shaft」の大ヒットで知られる黒人ソウル・シンガー。いかついスキンヘッドに超低音ヴォイスというキャラも凄いですが、彼が黒人音楽界に与えた影響は計り知れません。

42年テネシー州生まれ。60年代前半にメンフィスのスタックス・レコードへ入り、キーボーディスト、ソング・ライターとして活躍。自身のアルバム・デビューは67年の「PRESENTING ISAAC HAYES」。ですが彼のシンガーとしての成功は69年の2nd作「HOT BUTTERED SOUL」(写真)から。このアルバムは当時のアナログ盤で長尺曲が片面2曲づつの計4曲しか入っていないという当時としては異例の作品。しかし3分間ポップスの寄せ集めではなく、自身の世界観をアルバム単位で表現し、ソウル・ミュージックを芸術の域へ高めた最も早い作品であり、ニュー・ソウルの幕開けと評価される作品です。しかも斬新なわりに大ヒットし、米R&Bチャートの1位を獲得しています。

さらにここからアイザック・ヘイズの快進撃が始まります。WIKIのチャート表を見ますと、「HOT BUTTERED SOUL」から、71年の「BLACK MOSES」まで4作連続でR&Bチャートの1位を獲得。サントラの「SHAFT」を入れれば5作連続です。しかもPOPチャートでも10位前後に顔を出し、さらにジャズ・チャートでも首位を獲得しているから面白い。確かにこの頃のヘイズはジャズ色も濃いんですよね。その後75年の「CHOCOLATE CHIP」まで大ヒットを続けています。

しかしピークは何と言っても「SHAFT」でしょう。映画「黒いジャガー」のサントラ盤ですが、米POP、R&B、JAZZ全てで1位に輝き、テーマ曲「Theme from Shaft」は黒人作曲家としては初めてのアカデミー歌曲賞を受賞しています。

この映画「黒いジャガー」は70年代のブラックシネマ・ムーヴメントの火付け役であり金字塔と言われる名作。ヘイズがスコアを担当したサントラはほとんどがインスト曲で、彼が作曲、アレンジ、プロデュースを一人で仕切り、作り上げた世界観は、その完成度と共に黒人アーティストとしての高い意識を世に示しました。ちなみにこの翌年にカーティス・メイフィールドの「SUPER FLY」がリリースされます。

この頃のアイザック・ヘイズはまさに黒人アーティストとしての扉を次々に開けていったイメージ。その扉をスティーヴィーもマーヴィンもカーティスも潜って行ったといっても過言ではないでしょう。

そして現在最高峰のR&Bアーティストの一人であり私も大好きなアリシア・キーズもヘイズからの影響を語っていたり。実際にヘイズの「Walk On By」をカヴァーしたり、リメイク版の「SHAFT」に曲を提供したりと、ヘイズへのリスペクトを表しています。彼の開けた扉は現在のR&Bへ続く扉でもあるのです。

何故、アイザック・ヘイズにそれが可能だったのか? それはやはりスタックスでの初期、裏方の仕事をしていた経験が大きいのではないでしょうか? その辺も含めて次回に続きます。



東京JAZZまとめ、その2

2008-09-04 11:21:55 | フェス、イベント
SAM MOORE / OVERNIGHT SENSATIONAL

東京国際フォーラムで開催された東京JAZZ2008。最終日8月31日の鑑賞日記。ちなみに昼の部しか観てません。テーマは『TOKYO JAZZ 2008 meets BLUE NOTE TOKYO』。でも何故かソウル・デイと化した面子にウハウハでした。(正確な時間は覚えていませんので、オフィシャル・サイトのタイムテーブル通りの時間を記載しています。概ね時間通りだったと思いますけど。)


昨日同様11時過ぎに国際フォーラムに到着。

11:45~アリスター・スペンス・トリオ
ネオ屋台村特設ステージ。シュラスコと言うブラジルのバーベキューを食べながら。ご飯の上に焼いた牛肉が載ってるんですけど、結構沢山乗ってて大満足。もちろん味も良かったです。フェス気分満喫。そして本会場のホールAへ向かう。

12:15~セク・ケイタSKQ
ホールA内ロビーにてウェルカム・ステージ。これが良かった! コラ、パーカッション、ヴォーカルのアフリカ組みに、ウッド・ベースとヴァイオリンが入る変り種バンド。アフリカmeetsドーグ・ミュージックと言ったら誉めすぎかもしれませんが、異人種、異ジャンルの混合音楽はかなり刺激的でした。コラの演奏を間近で見れたのも初めてで、美しい音色に聴き入りました。

13:00~ロベン・フォード
いよいよ本編スタート。気になるギタリストではありますが、ライヴを観るのは初めて。ここまでブルース・ロック路線だとは驚きました。しかし熱くディープになりすぎず、爽やかさを留めているところがフュージョン的ですかね ?個人的にはそこが少々もどかしかったり。「Riley B. King」は凄く良かったです。終演後ロビーに張り出されたセット・リストはこんな感じ。
1.Lateral Climb
2.Indianola
3.Supernatural
4.Riley B. King
5.Cannonball Shuffle
6.There'll Never Be Another You
7.Peace on My Mind
8.Luvin Cup

14:10~サム・ムーア
素晴らしかったです! 完璧なソウル・ショー。女性コーラス隊とブラス・セクションを含んだバック・バンドの演奏も最高! ソウルの温かさというか、リズムがふくよかなんですよ。サム・ムーアの歌声もキレと深みが合ってまだまだ現役。これがソウルだ! という貫禄のステージでした。このレポ、ちょっと長くなります。ご勘弁を。

1曲目は「Peter Gun」。ブルース・ブラザーズでも有名なインスト曲ですね。続いてサム&デイヴの代表曲「Hold On, I'm Coming」。この曲でサム・ムーアがゆっくりと登場。

そしてエディ・フロイドの「Knock On Wood」では女性コーラスのブレンダ・ヴォーンとデュエット。この女性は日本で活躍している黒人ソウル・シンガーで、私も一度ライヴを観に行きたいと思っていた人だけに、ここで歌が聴けたのは嬉しかったです。

次の曲はジミヘンで有名な「Them Changes」。バディ・マイルスの曲ですね。結構意外な選曲かな? 続く「I Can't Stand The Rain」はアン・ピーブルズがハイから出した大ヒット曲。前半は女性コーラス隊をフューチャーしていましたが、終盤でサムはマイクから離れ地声で熱唱。70超えてるとはとても思えない、ハリのあるハイトーンがホールにこだましました。

それにしてもサム・ムーアの声は凄いです。ソウル・レジェンドと呼ぶに相応しい貫禄の響きです。もちろん全盛期に比べれべ衰えているでしょう。ですがそこにはサザン・ソウルの全盛期を築き上げた誇りと、これまで歌い続けてきた深い年輪がしっかりと刻み込まれているのです。彼にしか成し得ないソウル。流石は“ソウル・マン”なのです。

ゴツゴツとした腰にくるリズムが心地よいサム&デイヴの「You Don't Know Like I Know」。これぞスタックスですよ! そしてベン・E・キングの「Don't Play That Song」。これはサムの06年の最新作「OVERNIGHT SENSATIONAL」に収録されていた曲。バック・コーラスのキャロウェイとのデュエット。このキュートな女性は2年前のブルーノート公演でもコーラスを務め、やっぱりこの曲をサムとデュエットしていましたね。なんかおじいちゃんと孫娘みたいな感じで微笑ましかったです。

そしてこの日のハイライトとなる1曲、「I Stand Accused」。ジェリー・バトラーがオリジナルの名バラードです。選曲が渋いですね。敢えて「Something Is Wrong With My Baby」を外してこの曲を歌った真意は良くわかりませんが、極上の出来映えでした。やっぱりサム・ムーアは素晴らしい。

スロー・ナンバーでソウルの真髄を見せた後は自信の代表曲、サム&デイヴの「Soul Sister Brown Sugar」で盛り上がる。続いて「Standing On The Shakey Ground」。耳なじみのある曲なのですが、何の曲だか分からず…。帰宅後調べたところテンプテーションズですか? これも意外な選曲。

終盤は凄い! オーティス・レディングの「I Can't Turn You Loose」ではサムの合図で観客は総立ち。あのホーンリフが始まると同時に爆発するかのごとく盛り上がる観客。これぞサザン・ソウル。最後はサム&デイヴの2連発! 「I Thank You」~「Soul Man」で締め。「Soul Man」のホーンリフが始まった時は泣きそうになりましたね。ブルーノートのようなクラブではなく、国際フォーラムという大ホールで、70歳を超えたサム・ムーアをみんなが総立ちで楽しんでる図はかなり感動的でした。それもこれも本物のソウル・マンだからこそ!

それにしても完成度の高いショーでした。サム&デイヴ時代の黄金のヒット曲はもちろん、オーティス・レディングやエディ・フロイドというスタックス時代の戦友や、メンフィスのもう一方の雄、ハイレーベルのヒット曲を交えた、サザン・ソウル・レヴュー。そこにバディ・マイルズやテンプテーションズのナンバーが絡み、その全ての曲がサム・ムーアとバンドによって新たな色彩を加えられ、サム・ムーアー・レヴューとして完成されたような。天晴れでした!

ちなみに終演後ロビーに貼り出されたセット・リストはこんな感じ。

01. Peter Gun
02. Hold On, I'm Coming
03. Knock On Wood
04. Them Changes
05. I Can't Stand he Rain
06. You Don't Know Like I Know
07. Don't Play That Song
08. I Stand Accused
09. Soul Sister Brown Sugar
10. Standing On The Shakey Ground
11. Mr. Pitful
12. I Can't Turn You Loose
13. I Thank You
14. Soul Man

ですが、実はリストに修正が入ってるんです。本当はあと3曲多かったのですが消されてるんです。それは12と13の間に「Something Is Wrong With My Baby」、そしてアンコールに「I've Got News For You」と「You Are So Beautiful」。え~!この3曲、超聴きたかったんですけど~! 「Something Is Wrong With My Baby」と「You Are So Beautiful」は2年前のブルーノート公演で私が最も感動した曲ですし、「I've Got News For You」はデヴィッド・サンボーンの新作で共演した曲ですから、サンボーンの飛び入りが予定されてたんじゃないんですか~??? 何故アンコールやらなかったんでしょう? あ~、このリスト見なければ良かった…。

さて、日記に戻ります。

15:30~スライ & ザ・ファミリー・ストーン
これは先日既に書いたので、詳しく書きませんが、スライはスライでした!


さて、サム・ムーアの感動とスライ・ストーンの毒気が抜ききれないまま、私の東京JAZZ本編は終了です。後ろ髪引かれながらホールAを後にし、ネオ屋台村へ。夏の終わりを感じながら悪あがきのようにライヴを観ました。

16:45~セク・ケイタSKQ
先程、ロビーでライヴをしていたバンド。今度はギャラリーもかなり集まっていて、かなり盛り上がっていました。バンドもノリノリで凄く良いライブでした。やっぱりコラって良い音色しますね。

17:45~FUYU 真っ昼間の宇宙
日野JINO賢二さんのブリブリなベースが格好良かったです。

19:00~オマール・ゲンデファル
崇高なジャンベの音が天高く響き渡り、私の夏が終わりました。


初めて体験した東京JAZZ。かなり楽しかったです。1アクトの演奏時間が短いのがたまに傷ですがそれも仕方ないですかね。来年も刺激的なメンツを集めていただきたいものです。ちなみにアンケートにはアレサ・フランクリンと書いておきました…。
とりあえず、今年私が観た中でのベスト5です。

1位:リシャール・ガリアーノ & ザ・タンガリア・カルテット
1位:ミシェル・カミロ・トリオ
3位:サム・ムーア
4位:スライ & ザ・ファミリー・ストーン
5位:ハンク・ジョーンズ & ロン・カーター with NHK交響楽団
5位:上原ひろみ~HIROMI’S SONICBLOOM

1位と5位は甲乙つけられませんでした。スライは客観的な完成度ではどうかと思いますが、私の興奮度を加味してこれぐらいの順位に落ち着かせました。それにしても1位の2組は素晴らしかったです!




東京JAZZまとめ、その1

2008-09-02 17:03:14 | フェス、イベント
とりあえず、私が観た東京JAZZをまとめておきます。

3日間の開催とは言え、東京国際フォーラムという大ホールで指定席という状況では、やはりフジやサマソニを体験した後ではフェス感に乏しいのは否めません。ですが開催日前1週間程に渡り『東京JAZZ CIRCUIT 2008』と題し丸の内周辺で無料ライヴが連日楽しめたのは、今日はどのステージで誰を観ようか?というフェス気分が味わえ楽しかったです。しかも出演者には上原ひろみ、フレドリカ・スタール、エリック・ダリウス、ダニエル・パウターといったアーティストも含まれていたのですから。さらに本編開催日の週末には国際フォーラムの地上広場でネオ屋台村スーパーナイトと称し、屋外で屋台料理を食べながらジャズが楽しめるなど、都会のジャズ・フェスとして、多角的に参加出来る仕掛けはなかなか楽しかったです。スタンプ・ラリーもありましたし。

という訳で、私の東京JAZZ鑑賞日記です。(正直、時間については覚えていませんので、オフィシャルサイトのタイムテーブルの時間を記載させていただきました。おそらく概ね時間通りに進んでいたと思いますので…。すいません、いいかげんで…。)



8月30日(土曜)

午前11過ぎに国際フォーラムに到着。ネオ屋台村で早めの昼食を食べようと物色した結果、鳥の唐揚げが入ったアロハロールに決定。唐揚げが美味しかったです。

11:30~ドンキー・モンキー
ネオ屋台村の特設ステージにて。フランス人ピアニストと日本人ドラマーの女性二人組。即興をベースにしたアヴァンギャルドな演奏。この人達を観るのは2度目ですが、屋外が似合っていました。

12:15~ロメイン・コリン・トリオ
本会場のホールA内ロビーにてのウェルカム・ステージ。鍵盤、ドラムス、ベースのトリオ編成。ジャムっぽい演奏が格好良かったです。ドラマーはマーティン・バリホラ? 似てましたけど、違うのかな?

13:00~jammin' Zeb
いよいよ東京JAZZ 本編。テーマは『GREAT AMERICAN STANDARDS』。トップ・バッターは男性4人組のアカペラ・コーラス・グループ。ナット・キング・コールの「Orange Colored Sky」とか歌ってました。初めて聴くグループでしたが、なかなか良かったです。

13:15~上原ひろみ & 熊谷和徳
楽しみにしていたデュオ。個人的にはこのプログラムのメイン。二人とも白の衣装で決め、上原さんはハットまで被り、古き良きアメリカのミュージカルを思わせる雰囲気。曲は「Rhapsody In Blue」。上原さんのピアノに絡みつくような熊谷さんのタップ。二人のホットなパフォーマンスはミュージカルと評するにはあまりにもアグレッシブでしたが、私が期待していたよりは上品にまとまり過ぎてる印象も。やっぱりアメリカン・スタンダードだからですかね。それとピアノの音が小さかった…。

14:00~ザ・グレイト・ジャズ・トリオ by ハンク・ジョーンズ special guest appearance by デヴィッド・サンボーン
終演後ロビーに張り出されたセットリストはかんな感じ。
1.In A Sentimental Mood
2.Recorda Me
3.Wave
4.Nicas Dream
5.Mercy Mercy Mercy
6.Comin Home Baby
7.Blue Monk
- encore-
8.Oleo
う~ん、出音が小さい。ジャズのコンサートって静かなんですね。6と7でサンボーンがジョイント。もっと吹きまくって欲しかったですが、ゲストですから仕方ないですね。やたら刻みまくるドラマーのブレイクが格好良かったです。

15:10~ハンク・ジョーンズ & ロン・カーター with NHK交響楽団
プログラム最後を締める豪華共演。正直、全く期待していませんでしたが、これが素晴らしかったです! 躍動感抜群のオーケストラは音色も表情豊かでまさに極上。そして「My Favorite Things」などで芳醇なスウィング感を演出したのはロン・カーター! やっぱりこの人凄いです。「Over The Rainbow」でのメロウ&スウィートなフレーズの数々にうっとりでした。最後は鳴り止まない拍手に何度もステージを去っては戻りを繰り返していましたが、結局アンコールはありませんでしたね~。
1.Cuba Overture
2.My Favorite Things
3.Over The Rainbow
4.Gershwin Medley
5.Porgy And Bess Medley

ここで一旦会場を後にしてネオ屋台村へ。外はあいにくの雨。雨にも負けずにおやつにカルピス・バター&生クリームのワッフルを食べる。

16:50~ニコラ・フォルメル & 川嶋哲郎
ネオ屋台村のステージにて。時間的に多分この人たちだと思うのですが、ワッフルに夢中でよく覚えていません…。すいません。でもジャズを聴きながら食べるワッフルは美味しかったです。なんかフェスっぽいなと思いながら。

再び本会場入り。

18:15~大城 蘭
ロビーにてのウェルカム・ステージ。開演前からかなりの人だかり。人気あるんですか? 私は初めて聞きましたけど、和製ノラ・ジョーンズと呼ばれたりしているそうです。それも頷ける感じでなかなか良かったです。

19:00~HIROMI’S SONICBLOOM
いよいよ夜の部。このプログラムのテーマは『DRAMATIC NIGHT』。トップバッターは、この日通しての私のメインである上原ひろみ。流石に格好良かったです。特に「上を向いて歩こう」での上原さんのソロ! キーボードとピアノの同時弾きから激情のピアノ・ソロへ。あれは圧巻でした。でももっとヒュージンスキーが弾きまくってくれても良かったのに、と思ったり。それはジャパン・ツアーでのお楽しみですかね? 会場の盛り上がりは凄まじかったです。
1.Softky As In A Morning Sunrise
2.Clair De Lune
3.Uewo Muite Aruko
4.I Got Rhythm
5.Caravan
- encore -
6.Time Out

20:10~リシャール・ガリアーノ & ザ・タンガリア・カルテット
個人的なメインが終わり、フ~っと一息ついているところで始まったリシャール・ガリアーノ。思わず身を乗り出しちゃいました。とにかくリズムが熱い! 昼の部のアメリカン・スタンダードは“上品”でしたし、ソニックブルームのノリは良くも悪くも“フュージョン的”でした。それに比べてリシャール・ガリアーノとそのバンドが放つリズムは肉感的というか野性的。ヨーロッパとラテンが交じり合うような情熱的な演奏に目と耳を釘付けにされました。リシャール・ガリアーノのアコーディオンの素晴らしさは言わずもがなですが、パーカッション奏者も凄かった。マラカス的な楽器だけで信じられないほどグルーヴィーで多彩なリズムを演出したり、あれには驚きました。バンドのヴァイオリン奏者が来れなかったのは非常に残念でしたが、代役の寺井尚子さんも大健闘していたと思います。

21:30~ミシェル・カミロ・トリオ
このトリオも凄かった。リシャール・ガリアーノとの流れで観れたのがまた幸運でした。この2組には、土地とか、民族とか、血とか、そう言ったバックボーンを持つ音楽の素晴らしさをまざまざと見せ付けられた感じです。ミシェル・カミロの音楽は“ラテンのノリ”と簡単に評するにはあまりにもプログレッシヴでしたが、彼の熱い血を感じずには居られないパフォーマンスでした。驚異的なアタックで弾かれるピアノの音色は美しくも鮮やかであり、情熱的。まるで一瞬の空気を次から次へと掴み取っていくかのようなスピード感は、まるで彼の感性が溢れでるようであり、それはまたエモーショナルの極致。またトリオが織り成すサウンドも圧倒的な素晴らしさでした。大歓声に応えてのアンコールは「テキーラー!」で大盛り上がりに終了。残念ながら“ドラマチック”な共演は実現しませんでしたが、それでも大満足でした。


始まった当初は音の小ささに驚きましたが、それもリシャール・ガリアーノ辺りから気にならなくなりました。私の耳が慣れたのか、演奏の密度がそれを感じさせなかったのか? それと終演後にセット・リストをロビーに掲示してくれるのは嬉しいですね。ここにアゲたリストもそれの写しです。間違っていたらごめんなさいね。ただ最後の出演者ミシェル・カミロについては作成が間に合わなかったのか、貼り出されていませんでした。ちなみにリシャール・ガリアーノは横文字が達筆すぎて良くわかりませんでした。しかも英語じゃなさそうですし…。解読出来たらアップします。

ちなみに上写真の3点セットは、なんとスタンプラリーの記念に頂いた景品なんです。今年のパンフレットとTシャツ、ポスター。オフィシャルグッズとして売ってるものをセットにしてくれるなんて凄いですよね。しかも売り切れ続出の商品なんですよ! 恐るべしスタンプラリー! 恐るべし東京JAZZ! 


8月31日については次回。