ルーツな日記

ルーツっぽい音楽をルーズに語るブログ。
現在、 フジロック ブログ と化しています。

ジミー・ジョンソン、安らかに

2019-09-21 17:51:28 | ソウル、ファンク
VA / THE FAME STUDIOS STORY 1961-1973 HOME OF THE MUSCLE SHOALS SOUND


9月5日、マスル・ショールズで活躍したギタリスト、ジミー・ジョンソンが亡くなれました。76歳でした。死因など詳しくは発表されてないようです。

1943年2月4日、アラバマ州シェフィールドに生まれたジミー・ジョンソン。1960年代半ばから、アラバマ州マスル・ショールズのフェイム・スタジオにて、ハウス・バンドの一員とし数々のソウル名曲のレコーディングに携わりました。

マスル・ショールズのフェイムと言えば、サザン・ソウルの聖地とも言える伝説的スタジオ。そのフェイム・スタジオが生み出すマジカルなサウンドを生み出す屋台骨となったのが、後にスワンパーズと呼ばれるハウス・バンドの面々。メンバーは、ジミー・ジョンソン(g)、ロジャー・ホーキンス(ds)、デヴィッド・フッド(b)、バリー・ベケット(kbd)、彼らはある意味、スタジオよりも伝説的存在と言えるかもしれません。

※上の写真は、フェイムの歴史と名曲名演が詰まったアンソロジー盤。右端にちらっと映っているギタリストがおそらくジミー・ジョンソン。

さて、このバンドのメンバーを集めるに当たって、スタジオ主のリック・ホールが最初に声をかけたのがジミー・ジョンソンだったそうです。その頃のジミーは、リック・ホールの周りをうろつき、レコーディングの技術なども見よう見真似で学んでいたとか。1964年頃、初代ハウス・バンドと言える当時のレコーディング・ミュージシャン達が揃ってナッシュヴィルへ去ってしまうという事態が起き、リック・ホールは、ジミー・ジョンソンをギタリスト兼第2エンジニアとして迎えたそうです。ドラムスには、ジミーと一緒にデル・レイズというバンドをやっていた、ロジャー・ホーキンスが座り、その後に、デヴィッド・フッドと、バリー・ベケットも加わります。この4人を核に多士済々なミュージシャンが入れ替わり立ち替わり、ソングライターにはダン・ペン、スプーナー・オールダム、ドニー・フリッツなどが居て、彼らをリック・ホールが仕切る。そんなフェイムの黄金時代にここを訪れたのは、ウィルソン・ピケット、クラレンス・カーター、パーシー・スレッジ、エタ・ジェイムス、オーティス・ラッシュ、などなど。数々の名盤が生まれました。

そしてアレサ・フランクリン。コロンビア・レコードから、ジャズ/ポピュラー色の濃い方向で売り出されたものの、大きな成功を掴むことが出来なかったアレサでしたが、心機一転、アトランティックへ移籍し、本格ソウル・シンガーとして再スタートを切る際、その第1歩に選んだのが、フェイム・スタジオでした。アトランティックからのデビュー・アルバムとなる「I Never Loved A Man The Way I Love You」のタイトル曲を録音するも、アレサ側とリック・ホールの折り合いが付かず、アレサはこの一曲だけでフェイムを後にすることになりますが、フェイムの持つマジカルな南部サウンドが、アレサの才能を刺激したことは間違いないでしょう。この後のニューヨーク録音でも、アレサはジミー・ジョンソンらフェイムのミュージシャンを呼び、名作を連発していきます。

さて、スワンパーズの4人は1969年にフェイムから独立し、マッスル・ショールズに接するシェフィールドに、新たにマッスル・ショールズ・サウンド・スタジオを設立しました。スタジオの所在地を冠したシェールの「3614 Jackson Highway」を皮切りに、ステイプル・シンガーズ、ウィリアム・ベル、ジョー・テックス、ボビー・ウーマック、ドン・コヴェイ、ジョニー・テイラー、などのソウル系はもちろんですが、むしろロックやポップスのアーティストがマッスル・ショールズのサウンドを求めてこのスタジオを訪れました。ボズ・スキャッグス、ロッド・スチュアート、ポール・サイモン、アート・ガーファンクル、ルル、レオン・ラッセル、ドン・ニックス、ボブ・シーガー、キム・カーンズ、フォセ・フェシリアーノ、ジョー・コッカー、レヴォン・ヘルム、などなど。いかにもな方々から意外な方まで、ありとあらゆるアーティストがレコーディングしています。

そしてローリング・ストーンズ。彼らが全米ツアー中にマッスル・ショールズ・サウンド・スタジオを訪れ、「Brown Sugar」、「Wild Horses」など、名盤「STICKY FINGERS」となる楽曲を録音したのは有名ですね。69年の12月ですから、まだスタジオが出来て間もない頃。残念ながらスワンパーズとのセッションは無かったようですが、ジミー・ジョンソンはエンジニアとしてストーンズのレコーディングに貢献しました。ただ、ストーンズの場合は、マッスル・ショールズのサウンドを求めてというより、人知れずレコーディング出来る小さなスタジオを探した結果、ここにたどり着いたそうですけどね。でもそこに、不思議な引力というか、運命的なものを感じさせられますよね。ストーンズはここでの録音で、真の南部臭を纏い、それを原動力に70年代の黄金時代へ突き進んだのかもしれません。



Muscle Shoals Has Got The Swampers

こちらは、昨年リリースされた、スワンパーズの未発表音源集。69年から70年代末頃まで、アラバマ州シェフィールドはジャクソン・ハイウェイ3614番地に居を構えたMUSCLE SHOALS SOUND STUDIOでの録音を中心に、90年代の録音も含まれています。ちなみに、MUSCLE SHOALS SOUND STUDIO は、79年にアラバマ・アベニュー1000へ引っ越しています。ファンキーなその名も「Swampers」に始まり、ロックンロール、サザン・バラード、AOR風から長尺ジャズまで、流石にスタジオミュージシャンらしい職人肌を感じさせつつ、南部グルーヴに溢れたご機嫌なインストアルバムです。ちなみにタイトルの「Muscle Shoals Has Got The Swampers」は、レイナード・スキナードが「Sweet Home Alabama」の歌詞にスワンパーズを織り込んだ有名な一説から。写真の右端がジミー・ジョンソン。これ聴いてると、そのふくよかなグルーヴが、マッスルショールズの旅へと連れてってくれるようです。

ジミー・ジョンソンさん、安らかに。

ペドロ・ベル、安らかに

2019-09-05 23:19:21 | ソウル、ファンク
FUNKADELIC / STANDING ON THE VERGE OF GETTING IT ON

8月27日、P-FUNK系のアルバム・ジャケットを手掛けたことで知られる、ペドロ・ベルが亡くなられました。69歳だったそうです。

ペドロ・ベルは、ファンカデリックの73年作「Cosmic Slop」を始め、「Standing on the Verge of Getting It On 」など、その後のファンカデリック作品や、ジョージ・クリントンのソロ作品のジャケット・デザインをを手掛けました。細かい筆致と色使いにより、ありとあらゆるキャラや文字が溢れる、サイケデリックで混沌とした刺激的な作風で、ディープなファンカデリックのイメージ作りに多大な影響を与えました。

ペドロ・ベルの描くファンカデリックの独特のアルバム・ジャケットは私も大好きでした。一目でファンカデリック!!って分かりますし、当時のファンカデリックの無秩序感を見事に表していますよね。それは悪夢のようなファンタジー。アートと呼ぶには落書きのようであり、難解と言うよりはブラック・ジョークのようでもある。そしてその独創的なタッチはヒップホップにも通じるものと思えます。

ディープなファンクをイラストで表現し、後々までファンの脳裏に焼き付くような、そんな象徴的な作品を残したペドロ・ベル、安らかにお眠りください。




スティーヴィー・ワンダーがライヴ活動を休止

2019-07-09 01:03:23 | ソウル、ファンク
7月6日にロンドンで開催されたBSTフェスティバルに出演したスティーヴィーワンダーが、9月に腎臓移植手術を受けるため、しばらくライヴ活動を休止することを発表したそうです。現在は人工透析を受けているそう。

病状についての詳しい発表は無いようですが、とても心配です。


実は私、さほど深刻ではありませんが腎不全を患っているので、大好きなアーティストが腎臓に関する病気で苦しんでいるのは、とても気になるんです。

スティーヴィー・ワンダーはもちろん、私にとってフェイヴァリット・アーティストの一人です。

先のライヴでは、手術に問題ないことを説明もしていたそうなので、きっと大丈夫だとは思いますが、

早く良くなって、またあの素晴らしい歌声を聴かせてくれることを願っています。


頑張ってください!スティーヴィーワンダー!!

ダン・ペン&スプーナー・オールダムの良い仕事

2019-03-17 13:56:54 | ソウル、ファンク
現在来日中のダン・ペンとスプーナー・オールダム。伝説的なレーベル/スタジオであるFAMEの立役者であり、サザン・ソウル・シーンに欠かせない存在だった2人。作曲者、ミュージシャン、アーティストとして、必ずしもコンビで活動していた訳ではありませんが、今回は敢えて、2人の共作曲に絞っていくつか有名どころを集めてみました。





James & Bobby Purify - I'm Your Puppet HQ

ダン・ペン&スプーナー・オールダムが書き上げた数ある名曲の中でも、屈指の名曲。66年にUSポップ・チャートの6位まで上る大ヒットとなりました。フロリダ出身のデュオ、ジェイムス&ボビー・ピューリファイは、この後もスマッシュヒットを連発しますが、70年代に入る頃には失速してしまいました…。


Take Me Just as I Am

元々はFameからダン・ペン自身が65年にシングル・リリースしていたものを、67年、ソロモン・バークがダン・ペンのプロデュースでアトランティックからヒットさせた名曲。


"Sweet Inspiration" by the Sweet Inspirations

ホイットニー・ヒューストンの母が在籍し、アレサ・フランクリンやエルヴィス・プレスリーのバックを務めたことでも知られるザ・スウィート・インスピレーションズ。彼女達のデビューアルバムから最初のヒットとなった曲。


Box Tops:Cry Like A Baby

メンフィスで結成された白人のソウル/ロック・グループ。67年にダン・ペンのプロデュースでレコーディングした1stシングル「The Letter」がいきなり全米1位になる大ヒット。68年のシングル「Cry Like A Baby」はペン&オールダムによるナンバーで、こちらも全米2位のヒットを記録。チップス・モーマンのプロデュースでアメリカン・サウンド・スタディオにて録音。ちなみにシンガーは後にパワー・ポップ・バンドのビッグ・スターを結成するアレックス・チルトンです。


Percy Sledge - Out Of Left Field

言わずと知れたパーシー・スレッジ。68年のアルバム「TAKE TIME TO KNOW HER」にはペン&オールダムによる曲が3曲収録され、「Out Of Left Field」もそのうちの1曲でしたが、こちらは既に前年にシングル・リリースされていたようで、スマッシュ・ヒットを記録しています。


Janis Joplin - A Woman Left Lonely

ジャニス・ジョプリンです。名盤「PEAL」収録。名曲です。



という訳で、私は今日、日曜日、ビルボードライヴへ2人のライヴを観に行ってまいります。上記の曲はやってくれるでしょうか?2人の演奏で聴くと、また違った極上の味わいなので、楽しみです。

ワー・ワー・ワトソンを偲んで

2019-01-05 22:48:13 | ソウル、ファンク
WAH WAH WATSON / ELEMENTARY

昨年、2018年10月24日に亡くなられたワー・ワー・ワトソン。米国のソウル/R&B/ジャズ・シーンを影で支えたセッション・ギタリストの代表格の一人でした。享年67歳。

彼について書きかけていた記事があったので、遅ればせながら、その名演の数々を偲んで、ここに掲載します。



1951年デトロイトに生まれたワー・ワー・ワトソン。本名メルヴィン・レイジン。上の写真は彼の唯一のソロ作「ELEMENTARY 」。1976年の作品。ジャズがファンキーになり、ソウルがジャジーに洗練されていった70年代。両者の接近に双方から貢献したのがデイヴィッド・T・ウォーカー、フィル・アップチャーチ、そしてワー・ワー・ワトソンといった職人ギタリスト達でした。マーヴィン・ゲイ、ハービー・ハンコック、クインシー・ジョーンズなど、当時の最先端サウンドの中核を担ったワー・ワー・ワトソンが、その人脈と経験を生かして制作したのがこの「ELEMENTARY 」でした。ワウが絶妙に効いた極上のファンキー・ギターをたっぷり味わえるのはもちろん、作曲者として、プロデューサーとして、そしてシンガーとしての魅力も存分に味わえます。バックにはハービー・ハンコック(key)、デイヴ・グルーシン(key)、ジョー・サンプル(p)、レイ・パーカー・ジュニア(g)、デイヴィッド・T・ウォーカー(g)、ジェームス・ジェマーソン(b)、ウィルトン・フェルダー(b)、ルイス・ジョンソン(b)、ウィリー・ウィークス(b)、オリー・ブラウン(ds)、アーニー・ワッツ(sax)などなど、とんでもないメンバー達が集結しています。






THE TEMPTATIONS / ALL DIRECTIONS
さて、70年代のワー・ワー・ワトソン。彼の代表的プレイとして必ず上げられるのがテンプテーションズの「Papa Was A Rollin' Stone」ですね。彼をモータウンに連れてきたのは、ジャクソン5の初代プロデューサーとしても知られるボビー・テイラーでした。そしてノーマン・ホイットフィールドが手掛けるサイケデリック・ファンクで、ワー・ワー・ワトソンのワウギターが炸裂します。ワー・ワー自身も彼が「モータウンに果たした最大の貢献」と自負する名演です。ちなみにワー・ワー・ワトソンが、彼の代名詞ともなるワウを使うきっかけとなったのは、モータウンの先輩ギタリスト、デニス・コフィがワウペダルを使っているのを見て驚いたからだそうです。



MARVIN GAYE / LET'S GET IT ON
マーヴィン・ゲイによる説明不要の大名盤。73年の作品。ワー・ワー・ワトソンは、デイヴィッド・T・ウォーカー、レイ・パーカー・ジュニアと共に、官能のギター・グルーヴを担っています。タイトル曲の印象的なワウギターは彼の手によるものという説もある。また、この作品が録音された時期は、モータウンが本社をデトロイトからLAに移した直後にあたり、そのセッションにはジョー・サンプル(p)、ポール・ハンフリー(ds)、アーニー・ワッツ(sax)など、LA界隈のミュージシャン達が参加していて、この時既にロスに移住していたワー・ワー・ワトソンがその橋渡しをしたとか。



QUINCY JONES / BODY HEAT
クインシー・ジョーンズによる74年の名盤。このアルバムって、アーサー・アダムス、デイヴィッド・T・ウォーカー、デニス・コフィ、エリック・ゲイル、フィル・アップチャーチといった、当時を代表するセッション・ギタリストが顔を揃えてるんですよね。もちろんその中にワー・ワー・ワトソンもいます。レオン・ウェアの活躍でも知られるアルバムですが、クインシー・ジョーンズとモータウン系ミュージシャンとの繋がりも興味深いところ。ワー・ワー・ワトソンは、「MELLOW MADNESS」、「I HEARD THAT!」など、この後のクインシー・ジョーンズ作品にも参加していきます。



HERBIE HANCOC / SECRETS
クインシーともう一人、ワー・ワー・ワトソンのギター・グルーヴを愛したジャズ界の大物と言えば、ハービー・ハンコック。72年の「HEAD HUNTERS」以降、ブラックファンク路線を追求していたハンコックの76年作「SECRETS」。プロデュースは70年代のハンコック作品と言えばのデヴィッド・ルービンソン。そしてワー・ワー・ワトソンがアソシエイト・プロデューサーにクレジットされている。レイ・パーカー・ジュニアとの鉄壁コンビによるファンキーなバッキングが冴え渡る一方、全7曲中5曲でハンコックと共作するなど、その活躍が光ります。ハービー・ハンコックは「FEETS DON'T FAIL ME NOW」、「MR. HANDS」など、その後もワー・ワー・ワトソンを重用しています。また、2005年の東京ジャズにハービー・ハンコックがヘッドハンターズで出演した際、黙々と気持ち良さそうにチャカ、チャカとカッティングしているワー・ワー・ワトソンの姿が印象的でした。



BOBBY WOMACK / SAFETY ZONE
ボビー・ウーマックの75年作。本作はハンコックの「SECRETS」同様、プロデューサーにデヴィッド・ルービンソン、アソシエイト・プロデューサーにワー・ワー・ワトソンを迎えている。1曲目の「Everything's Gonna Be Alright」でのワウ・ギターの格好良いこと!! ワー・ワー・ワトソンとレイ・パーカー・ジュニアの共作による「Love Ain't Something You Can Get for Free」でのチャカポコも気持ち良い〜。 この曲はワーワーのソロ作「ELEMENTARY 」でセルフ・カヴァーしていますが、名曲ですよね〜。



MICHAEL JACKSON / OFF THE WALL
マイケル・ジャクソンが名実共にソロ・アーティストとして旅立った傑作「OFF THE WALL」。79年の作品。彼の「ジャクソンズとは違う作品にしたい」という願いを助けたのがクインシー・ジョーンズでした。この名作にワー・ワー・ワトソンは3曲で参加しています。「It's The Falling In Love」での効果音的なオシャレなプレイも素敵ですが、ルイス・ジョンソン作のフロア名曲「Get On The Floor」でのスピード感を煽るようなバッキングもまた際立っています。


ここに挙げた作品は、もちろん氷山の一角です。ワー・ワー・ワトソンの参加した作品は、数多あります。バリー・ホワイト、ポインター・シスターズ、ビル・コスビー、スモキー・ロビンソン、フォー・トップス、アルバート・キング、ビル・ウィザース、などなど。さらにSMAPのバックもやってたり。2000年代以降も、ブライアン・マックナイト、アンジェリック・キジョー、マックスウェル、ラファエル・サディーク、マーカス・ミラーなどの作品に彼の名前を見つけることが出来ます。中でも最も新しいのが、クリス・デイヴの最新ソロ作。


CHRIS DAVE AND THE DRUMHEDZ / CHRIS DAVE AND THE DRUMHEDZ
現行ブラック・ミュージック界、最高峰のドラマーであるクリス・デイヴによる、ソロとしては初作となる2018年作。ワー・ワー・ワトソンは、1曲だけではありますが、アンダー・ソン・パークをフィーチャーした「Black Hole」に招かれています。クリス・デイヴとアンダー・ソン・パークの邂逅という刺激的なファンキー・サウンドに、ワー・ワー・ワトソンのギターが切れ込んでいきます。もしかしたら、これが最後の録音だったかもしれませんね…。

ワー・ワー・ワトソンを偲んで

2019-01-05 22:46:54 | ソウル、ファンク
WAH WAH WATSON / ELEMENTARY

昨年、2018年10月24日に亡くなられたワー・ワー・ワトソン。米国のソウル/R&B/ジャズ・シーンを影で支えたセッション・ギタリストの代表格の一人でした。享年67歳。

彼について書きかけていた記事があったので、遅ればせながら、その名演の数々を偲んで、ここに掲載します。



1951年デトロイトに生まれたワー・ワー・ワトソン。本名メルヴィン・レイジン。上の写真は彼の唯一のソロ作「ELEMENTARY 」。1976年の作品。ジャズがファンキーになり、ソウルがジャジーに洗練されていった70年代。両者の接近に双方から貢献したのがデイヴィッド・T・ウォーカー、フィル・アップチャーチ、そしてワー・ワー・ワトソンといった職人ギタリスト達でした。マーヴィン・ゲイ、ハービー・ハンコック、クインシー・ジョーンズなど、当時の最先端サウンドの中核を担ったワー・ワー・ワトソンが、その人脈と経験を生かして制作したのがこの「ELEMENTARY 」でした。ワウが絶妙に効いた極上のファンキー・ギターをたっぷり味わえるのはもちろん、作曲者として、プロデューサーとして、そしてシンガーとしての魅力も存分に味わえます。バックにはハービー・ハンコック(key)、デイヴ・グルーシン(key)、ジョー・サンプル(p)、レイ・パーカー・ジュニア(g)、デイヴィッド・T・ウォーカー(g)、ジェームス・ジェマーソン(b)、ウィルトン・フェルダー(b)、ルイス・ジョンソン(b)、ウィリー・ウィークス(b)、オリー・ブラウン(ds)、アーニー・ワッツ(sax)などなど、とんでもないメンバー達が集結しています。






THE TEMPTATIONS / ALL DIRECTIONS
さて、70年代のワー・ワー・ワトソン。彼の代表的プレイとして必ず上げられるのがテンプテーションズの「Papa Was A Rollin' Stone」ですね。彼をモータウンに連れてきたのは、ジャクソン5の初代プロデューサーとしても知られるボビー・テイラーでした。そしてノーマン・ホイットフィールドが手掛けるサイケデリック・ファンクで、ワー・ワー・ワトソンのワウギターが炸裂します。ワー・ワー自身も彼が「モータウンに果たした最大の貢献」と自負する名演です。ちなみにワー・ワー・ワトソンが、彼の代名詞ともなるワウを使うきっかけとなったのは、モータウンの先輩ギタリスト、デニス・コフィがワウペダルを使っているのを見て驚いたからだそうです。



MARVIN GAYE / LET'S GET IT ON
マーヴィン・ゲイによる説明不要の大名盤。73年の作品。ワー・ワー・ワトソンは、デイヴィッド・T・ウォーカー、レイ・パーカー・ジュニアと共に、官能のギター・グルーヴを担っています。タイトル曲の印象的なワウギターは彼の手によるものという説もある。また、この作品が録音された時期は、モータウンが本社をデトロイトからLAに移した直後にあたり、そのセッションにはジョー・サンプル(p)、ポール・ハンフリー(ds)、アーニー・ワッツ(sax)など、LA界隈のミュージシャン達が参加していて、この時既にロスに移住していたワー・ワー・ワトソンがその橋渡しをしたとか。



QUINCY JONES / BODY HEAT
クインシー・ジョーンズによる74年の名盤。このアルバムって、アーサー・アダムス、デイヴィッド・T・ウォーカー、デニス・コフィ、エリック・ゲイル、フィル・アップチャーチといった、当時を代表するセッション・ギタリストが顔を揃えてるんですよね。もちろんその中にワー・ワー・ワトソンもいます。レオン・ウェアの活躍でも知られるアルバムですが、クインシー・ジョーンズとモータウン系ミュージシャンとの繋がりも興味深いところ。ワー・ワー・ワトソンは、「MELLOW MADNESS」、「I HEARD THAT!」など、この後のクインシー・ジョーンズ作品にも参加していきます。



HERBIE HANCOC / SECRETS
クインシーともう一人、ワー・ワー・ワトソンのギター・グルーヴを愛したジャズ界の大物と言えば、ハービー・ハンコック。72年の「HEAD HUNTERS」以降、ブラックファンク路線を追求していたハンコックの76年作「SECRETS」。プロデュースは70年代のハンコック作品と言えばのデヴィッド・ルービンソン。そしてワー・ワー・ワトソンがアソシエイト・プロデューサーにクレジットされている。レイ・パーカー・ジュニアとの鉄壁コンビによるファンキーなバッキングが冴え渡る一方、全7曲中5曲でハンコックと共作するなど、その活躍が光ります。ハービー・ハンコックは「FEETS DON'T FAIL ME NOW」、「MR. HANDS」など、その後もワー・ワー・ワトソンを重用しています。また、2005年の東京ジャズにハービー・ハンコックがヘッドハンターズで出演した際、黙々と気持ち良さそうにチャカ、チャカとカッティングしているワー・ワー・ワトソンの姿が印象的でした。



BOBBY WOMACK / SAFETY ZONE
ボビー・ウーマックの75年作。本作はハンコックの「SECRETS」同様、プロデューサーにデヴィッド・ルービンソン、アソシエイト・プロデューサーにワー・ワー・ワトソンを迎えている。1曲目の「Everything's Gonna Be Alright」でのワウ・ギターの格好良いこと!! ワー・ワー・ワトソンとレイ・パーカー・ジュニアの共作による「Love Ain't Something You Can Get for Free」でのチャカポコも気持ち良い〜。 この曲はワーワーのソロ作「ELEMENTARY 」でセルフ・カヴァーしていますが、名曲ですよね〜。



MICHAEL JACKSON / OFF THE WALL
マイケル・ジャクソンが名実共にソロ・アーティストとして旅立った傑作「OFF THE WALL」。79年の作品。彼の「ジャクソンズとは違う作品にしたい」という願いを助けたのがクインシー・ジョーンズでした。この名作にワー・ワー・ワトソンは3曲で参加しています。「It's The Falling In Love」での効果音的なオシャレなプレイも素敵ですが、ルイス・ジョンソン作のフロア名曲「Get On The Floor」でのスピード感を煽るようなバッキングもまた際立っています。


ここに挙げた作品は、もちろん氷山の一角です。ワー・ワー・ワトソンの参加した作品は、数多あります。バリー・ホワイト、ポインター・シスターズ、ビル・コスビー、スモキー・ロビンソン、フォー・トップス、アルバート・キング、ビル・ウィザース、などなど。さらにSMAPのバックもやってたり。2000年代以降も、ブライアン・マックナイト、アンジェリック・キジョー、マックスウェル、ラファエル・サディーク、マーカス・ミラーなどの作品に彼の名前を見つけることが出来ます。中でも最も新しいのが、クリス・デイヴの最新ソロ作。


CHRIS DAVE AND THE DRUMHEDZ / CHRIS DAVE AND THE DRUMHEDZ
現行ブラック・ミュージック界、最高峰のドラマーであるクリス・デイヴによる、ソロとしては初作となる2018年作。ワー・ワー・ワトソンは、1曲だけではありますが、アンダー・ソン・パークをフィーチャーした「Black Hole」に招かれています。クリス・デイヴとアンダー・ソン・パークの邂逅という刺激的なファンキー・サウンドに、ワー・ワー・ワトソンのギターが切れ込んでいきます。もしかしたら、これが最後の録音だったかもしれませんね…。

ビッグ・ジェイ・マクニーリー R.I.P.

2018-09-18 23:12:20 | ソウル、ファンク
Big Jay McNeely - Nervous Man Nervous - Federal 1953



ビッグ・ジェイ・マクニーリーが、2018年9月16日、癌のため亡くなられたそうです。享年91歳。

1927年4月29日、米カリフォルニア生まれのサックス奏者。1947年頃にジョニー・オーティスの楽団に参加。1949年に初ヒット「The Deacon's Hop」を飛ばして以降、そのロッキンなサックス・ブロウと、寝転んだり、のけぞったりという派手なパフォーマンスで、 リズム&ブルース、ジャンプ・ミュージックを代表するホンカーとして活躍。”キング・オブ・ホンキング・サックス”と呼ばれるレジェンドでした。2012年と2015年には来日し、ブラッデスト・サキソフォンとの共演を楽しませてくれたこともあり、日本のファンにとってもかけがえの無い存在でした。


ビッグ・ジェイ・マクニーリーさん、安らかに。

アレサ・フランクリンの葬儀

2018-09-01 09:35:20 | ソウル、ファンク
昨日8月31日、デトロイトのグレイター・グレイス・テンプルにて、アレサ・フランクリンの葬儀が行われました。

現地時間で朝10時からの予定とのことで、実際に何時から始まったのかは知りませんが、日本時間では、深夜から早朝までという時間帯でした。


YouTubeで生配信したり、CNNで生中継したりしていたので、私も少し見ていたのですが、アリアナ・グランデが「Natural Woman」を歌ったり、葬儀とはいえ、さすがはゴスペルの世界、結構賑やかなので驚きました。


印象的だったのは、ファンタジアの「You've Got a friend」と、ジェニファ・ハドソンの「Amazing Grace」。どちらもゴスペルフィーリングたっぷりで感動的でしたね。

チャカ・カーンが歌ったゴスペル「Goin' Up Yonder」も凄かったですし、シャーリー・シーザー&ターシャ・コブス・レナードも半端なかった! 他にもヨランダ・アダムスとか、クラーク・シスターズなど、素晴らしい歌声を聴かせてくれました。やっぱりゴスペルって凄いな、って思いましたね。あと意外なところでは、カントリーのフェイス・ヒルがこちらも有名なゴスペル「What A Friend We Have In Jesus」を歌ったことですかね。しかもカントリーというより黒人ゴスペル的なフィーリングで歌ってらして、なかなか良かったです。

ハイライトはやはりスティーヴィー・ワンダー。ハーモニカ・ソロで讃美歌「The Lord’s Prayer」、そしてキーボードを弾きながらの「As」。どちらも気持ちのこもった素晴らしいパフォーマンスでした。特に「The Lord’s Prayer」は泣けましたね…。メロディーをすごく崩してると思うんですけど、その崩し方がまた感動的で、ホント素晴らしかった!!

あとスティーヴィーの前にグラディス・ナイトも少し歌うんですけど、これも素晴らしいですね。

でも、こういったパフォーマンスの間も、アレサの棺がステージの前に安置されている風景が、なんとも不思議な感じでしたね。


最後はジェニファ・ホリデイが「Climbing High Mountains, Tryin' to Get Home」を。これは退場の讃美歌ということで、これをバックに来場者と共にアレサの棺も会場を去っていく。なんか厳かな雰囲気を想像しますが、アップテンポの曲というのがさすがゴスペル。しかもジェニファ・ホリデイは何かに取りつかれたかのように激しくシャウトしまくる。あのいつ終わるとも知れないシャウト、感動的でしたね。


日本の葬儀とはまるで違いますが、こういう送り方も良いもんですね。

アレサも最後にこんなに素晴らしい歌をたくさん聴かせてもらい、喜んでいらっしゃるかと思います。



アレサ・フランクリンさん、安らかに。長い間、素晴らしい歌声を有難うございました。



アーカイヴ動画→ Aretha Franklin funeral: FULL memorial service
フェイス・ヒルが2時間57分ぐらい、アリアナ・グランデは3時間23分ぐらい、クラーク・シスターズが3時間45分ぐらい、シャーリー・シーザー&ターシャ・コブス・レナードが5時間25分ぐらい、チャカ・カーンが6時間4分ぐらい、ファンテイジアは6時間53分ぐらい、ビショップ・ポール・モートンとヨランダ・アダムスが7時間25分ぐらい、ジェニファ・ハドソンは8時間13分ぐらい、グラディス・ナイトが9時間11分ぐらい、そしてスティーヴィー・ワンダーは9時間20分あたり。そのあとジェニファ・ホリデイ。

エディ・チャンク・ウィリスを偲んで

2018-08-22 20:19:46 | ソウル、ファンク
60年代、モータウンの数々のヒット曲を支えたハウス・バンド、ファンク・ブラザーズのギタリスとして活躍したエディ・“チャンク”・ウィリス(Eddie “Chank” Willis)が、8月20日、米ミシシッピ州ゴアスプリングスの自宅で亡くなられたそうです。享年82歳。

1936年6月3日ミシシッピ州グレナダに生まれのエディー・ウィリス。彼がモータウンに入ったのは1959年だそう。まだモータウンの原型が出来たかかどうかの頃、その最初のスターと言われるマーヴ・ジョンソンというシンガーがおりまして、エディー・ウィリスはそのマーヴ・ジョンソンのバックもやっていたらしいので、ほぼ最古参の一人と言って良いでしょう。その後、ファンク・ブラザーズの一員として数多のヒット曲の録音に携わりました。ですがファンク・ブラザーズには他にもジョー・メッシーナやロバート・ホワイトといった主力ギタリストがおりまして、実際にどのヒット曲のどこを誰が弾いているのか確定するのはかなり困難だったりするんです。


The Marvelettes - Please Mr. Postman (1961)

エディー・ウィリスがギターを弾いた代表曲の1曲としてあげられるのが、マーヴェレッツの「Please Mr. Postman」(1961)。モータウン初の全米第1位となり、躍進の先駆けとなった曲。WIKIによれば、参加ギタリストはエディー・ウィリスの一人だけのようなので、ミュート気味のトロピカルな感じのギターが彼なのでしょう。ドラムをマーヴィン・ゲイが叩いていることでも知られる曲ですね。


The Temptations - The Way You Do The Things You Do

テンプテイションズの初ヒットとなる「The Way You Do The Things You Do」(1964)。こちらもエディー・ウィリスがプレイした代表的な1曲。歯切れの良いリズム・ギターが最高です。このカッティングのチャカっとしたキレと音色がエディー・ウィリスの持ち味と言ってよいでしょうか? 何せ、エディー・チャンク・ウィリスと呼ばれる、ニックネームの”チャンク”は、彼のバックビートが強烈なリズムギターが、チャンク!チャンク!と聴こえることから付いたそうですから。


The Supremes-You Keep Me Hangin' On

スプリームスの「You Keep Me Hangin' On」(1966)の印象的なギター・リフは、モールス信号をヒントに作られたそうですが、これを弾いているのはロバート・ホワイト。ですがALLMUSICのバイオによりますと、ロバート・ホワイトが高音で、エディー・ウィリスが低音を弾いたと。つまりこのリフはロバート・ホワイトとエディ・ウィリスによるツイン・ギターだったってことですか?良く聴くと、確かに低音も聴こえます。YouTubeには、この曲の歌の無いトラックもあるのですが、それを聴くともっと良く2本のギターが鳴っているのが分ります。→The Funk Brothers - You Keep Me Hangin' On 


Stevie Wonder - I Was Made To Love Her

このスティーヴィー・ワンダーの名曲「I Was Made to Love Her」(1967)で印象的なキラキラした音色のリフはエディー・ウィリスによるエレクトリック・シタールらしい。ですがその一方で、この曲のサイド・ギターを担当したのがエディ・ウィリスだという文献もあり、よく分かりません。結局全部彼が弾いてるのかな〜?


Gladys Knight & The Pips - Friendship Train

グラディス・ナイト&ザ・ピップスの「Friendship Train」(1969)もエディー・ウィリスの代表プレイに挙げられる曲のようですが、まさか冒頭の派手なワウギターではないでしょう。それはデニス・コフィー辺り。と言うことは、超ファンキーなリズム・ギターがエディ・ウィリスと言うことになりますが、これ、めちゃくちゃ格好良いですよね!!



70年代後半にはモータウンを離れているようでしたが、それ以降も各所で活躍し、アルバート・キング、ウィリアム・ベル、ボビー・ウーマック、ジョニー・テイラーなど、意外なところにも、彼の名前を見つけることが出来ます。

最近では、もちろん2004年のファンク・ブラザーズの映画「永遠のモータウン」にも出演されていましたし、2010年にフィル・コリンズがリリースした、モータウンのトリビュート作品にも参加されていました。



エディー・チャンク・ウィリスさん、安らかに。

悲しい訃報 アレサ・フランクリン、死去

2018-08-17 01:58:43 | ソウル、ファンク
先日、アレサ・フランクリンが危篤との報をお知らせいたしましたが、

16日、膵臓がんのためミシガン州デトロイトの自宅にて亡くなられたそうです。76歳でした。


覚悟はしていましたが、やはり悲しいですね。残念ですね。


不世出のクイーン・オブ・ソウル、アレサ・フランクリン。

数えきれないほどの素晴らしい歌を、ありがとうございました。

ご冥福をおお祈りいたします。


アレサ・フランクリンさん、安らかに。