私の知っている方なんですが、介護職に就いていましたが、最近、引退しました。
ケアマネの資格も取得し、介護ステーションでバリバリ働いていたんですけどね
高齢のお母さまが近くに住むことになり、お母さまのサポートの方に力を注ぎたいということでした。
でも、実はそれは表向きの理由であって、本当は、仕事に行き詰り、ずっと辞めたがっていたらしいのです。
お母さまのことで、辞める理由ができたということのようです。
同じ介護ステーションで働いている友達の話でそれがわかりました。
「全てのことにおいて、なぁなぁに出来ないのよねぇ~私なんか、嫌なことを言われても聞き流しちゃうし、いちいち気にしないんだけど、それが出来ないの。なんとかしようと思ってしまうから、利用者さんとぶつかってしまうこともあったんだよね。そんなこともあって、ずっと前から辞めたがっていたみたい」と。
なるほど~そうだったとは・・・
でも、意外じゃなかったです。
彼女は頭もいいし、仕事もテキパキこなすタイプ。
生徒会の会長もやってました。
(私は役員繋がりで、何度かランチをしたことがある程度のおつき合い)
教育にも熱心で、お子さん二人いますが、どちらもご優秀で、名のある会社に就職しています。
親の望むレールの上を順調に進んでくれたものと思われます。
多分「自分の子育ては正解だった」という自負があると思います。
それは実際に、彼女と話する中で、感じていたことでした。
会話の中でちょっと気になっていたのは・・・
常に彼女が、主導権を握っていたこと。子どもに対し・・・
「行かせた」「やらせた」「選ばせた」・・・
他の人の話になった時に・・・
「大学に行かなかったみたいだよ。なんで、行かせなかったんだろう・・・」と不思議がっていたことも。
(これは不登校ではなく、大学に進学しなかったということです)
どうでもいいけど、私も子どもを大学に行かせてないんですけどね
「行かせなかった」のではなく、本人が「行かなかった」のですけど
子どもが親の望み通りに動けたことで、子どもは親が上手く誘導するもんだ・・と思っていたのではないかな?
普通、そんな思い通りに行かないものですけどね
私は痛い目にあっていますので。はい
彼女にとって、介護職というのは、どうにも思い通りにならない、得たいの知れないものに、翻弄される日々だったのかもしれません。
経験のない私が言える立場ではないのですが。
でも、思い通りにならない子を育ててきたので
何か通じるものがあるように思います。
最終的に学んだことは、そもそも子どもを思い通りに育てるなんて無理!ということ。
どれだけ見ないふりができるか・・・気にしないでいられるか・・・必要以上に不安にならないか・・・
そういう自分でいられるかどうか・・・
「口に出す」よりずっと難しいことだと思います。
子どもなんて思い通りにはならないんだ・・・と思えた時から肩の力が抜けたような気がします。
「こうでなきゃ」「こうであってほしい」から開放されたのですから。
少し楽になれました。
そして、けん太ともいい関係性を取り戻せたような気がします。