今日のネットニュースで知ったのですが・・・
「夜回り先生」である水谷修先生。
苦しんでいる子どもにメッセージを伝えようとした始めたブログを閉鎖されたのですね。
相談件数が増え続けているようです。
日々、何百本も相談?
それも「死にたい」というキーワードのものばかり。
個別に対応したくても、とてもできない数ですね。
子ども達の状況は少しもよくなっていないという現実。
先生も心を痛めているのではないでしょうか。
先生はたくさんの書物の中で、若者達へのメッセージを書かれているようです。
どうか今、苦しんでいるお子さん達が、そのメッセージに救われますように・・・
「夜回り先生」のことはかなり前ですが、番組で知りました。

夜の繁華街でたむろしている若者に声をかける先生の姿を取材した番組を2~3回、見たことがあります。
非行、暴走族、家出・・・
まだ未成年のそんな子ども達が夜の街に渦まいています。
そんな中に入っていき、友達のように話しかける「夜回り先生」
少年少女たちが、次第に心を開き、話し始めます。
それを、黙って聞いて、どんな話でも否定せず、正そうとせず、
「何かあったら何時でも電話して」と電話番号を教える先生。
そんな先生をすでに知っていて、明るい表情で先生に話かける。
そんな子どももいました。
先生は数えきれないほどの、たくさんの子ども達を救ってきたと思います。
世間では、一番命の危険がある先生と呼ばれていたようですが、
非行の若者、暴走族からは、「夜回り先生」と呼ばれていました。
何故、命の危険がある?
非行を働く、子ども達を大人が押さえつけようとするから、
または正論で諭そうとするから、子ども達は反発するのですよね。
そうではないやり方があるんだ。
この時、学びました。
その時の先生の言葉で、今でも忘れられない言葉があります。
「帰る家があったら、この子たちはここにいない」
非行を働いたり、家出をしたりというのは、
親の虐待、または無関心が原因。
つまりは、親子関係が崩壊してしまっているということですね。
先生が接していたのは、外をうろつく、やんちゃ系です。
学校に行っていなかったとしても、学校に行けなくなる「不登校」ではなく、
学校なんて行くものか!という「登校拒否」の方だと思います。
「不登校」と「登校拒否」の違いは、その子の持っている性格傾向だと思います。
家庭で問題が起きた時の出方が違う。
元気な子は外に飛び出していく。
大人しい子は家に籠る。
出方は違うけど、根本にある問題にそう差はないと思います。
だから、子どもに対しての接し方も違いはないのでは?
水谷先生の言葉をあちこちから引っ張ってきたので、ここに書き出してみますね。
先生がどのようにお子さんに接していたのかがよくわかると思います。
『わたし、リストカットやってた』
『おれ、カツアゲやってた』
『わたし、家に引きこもってた』
いいんだよ。
昨日までのことは、みんないいんだよ。
『おれ、死にたい』『わたし、死にたい』
でも、それだけはダメだよ。
まずは今日から、水谷と一緒に考えよう」
目の前で覚せい剤をやっている子がいても『やめろ』とは言いません。
悲しい顔でただ座っているだけ。
「おれ、シンナー吸ってしまった」
いいんだよ。今までやったことはみんないいんだよ。ただ、次はやるなよ。
まじめな子ほど、まじめにドラックを使い、まじめに壊れていく。
心に傷をもった子ほど、その心の傷を埋めるために必死にドラックを使う。
そして、死んでいく
「寂しさ」を、ネットやメール、あるいはだれかが癒やしてくれることは、絶対にありません。
一時、癒やされても、その後には、さらなる「寂しさ」が襲ってきます。
「寂しさ」は、戦うものではありません。
寄り添って生き抜くものです
答えが出ないから苦しんでいる。
考えること止めよう
幸せはきちんと伝染します。
自分が幸せになれば、必ず誰かに幸せをもたらします
私は勇敢ではないし、正義感が人より特に強いわけでもない。
ただ少しでも仲良くなりたくて、彼らに近づいていく
夜の繁華街で一体どれくらいの時間を過ごしただろう。
そこで何人の子どもたちと出会っただろう。いつでも私は寂しかった。
大好きな子どもたちと出会いたくてしょうがなかった
彼らは非行に走るが、非行に走りたくて走るんじゃない。
望んでもいないのに孤独を強いられ、その孤独に耐える方法を知らないだけだ。
学校はモノを考えられない子どもだらけにしている。
失敗してもいいんです。
なぜ、失敗したか、それを自分で考えることで、前に進むことができる
自分でモノを考えさせるためには、しゃべっちゃだめなんです。
待つことですよ。水谷、しゃべんないですよ
子どもに嘘をつかずに生きようとするほど、
子どもの側について生きようとするほど、
私は大人の社会から排除されていく。
でもこれは仕方がない。
子どもたちはよく失敗するし、その失敗を許せない大人が多いからだ
生きていてくれてありがとう
~~~~~~~~~~~~
最後に、先生のブログでの最後のメッセージです。(抜粋)
ともかく、一歩でも太陽の下外に出ることを頼んでいます。
人は、悩み苦しむと閉じこもってしまいます。
そして、暗い夜に考え込み、自らの悩みや苦しみをさらに増幅させてしまいます。
悩み苦しむのは、答えが出ないからです。
どんなに考えようと苦しもうと、そこに答えはありません。
考えること、悩むことを、まずはいったん捨てて、外に出て、太陽の下で動くことです。
電車に乗って山や海へと行くこともいいでしょう。
本を読むことも助けになります。
いつもありがとうございます
応援ポチ、よろしくお願いいたします!
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「夜回り先生」である水谷修先生。
苦しんでいる子どもにメッセージを伝えようとした始めたブログを閉鎖されたのですね。
相談件数が増え続けているようです。
日々、何百本も相談?
それも「死にたい」というキーワードのものばかり。
個別に対応したくても、とてもできない数ですね。
子ども達の状況は少しもよくなっていないという現実。
先生も心を痛めているのではないでしょうか。
先生はたくさんの書物の中で、若者達へのメッセージを書かれているようです。
どうか今、苦しんでいるお子さん達が、そのメッセージに救われますように・・・
「夜回り先生」のことはかなり前ですが、番組で知りました。

夜の繁華街でたむろしている若者に声をかける先生の姿を取材した番組を2~3回、見たことがあります。
非行、暴走族、家出・・・
まだ未成年のそんな子ども達が夜の街に渦まいています。
そんな中に入っていき、友達のように話しかける「夜回り先生」
少年少女たちが、次第に心を開き、話し始めます。
それを、黙って聞いて、どんな話でも否定せず、正そうとせず、
「何かあったら何時でも電話して」と電話番号を教える先生。
そんな先生をすでに知っていて、明るい表情で先生に話かける。
そんな子どももいました。
先生は数えきれないほどの、たくさんの子ども達を救ってきたと思います。
世間では、一番命の危険がある先生と呼ばれていたようですが、
非行の若者、暴走族からは、「夜回り先生」と呼ばれていました。
何故、命の危険がある?
非行を働く、子ども達を大人が押さえつけようとするから、
または正論で諭そうとするから、子ども達は反発するのですよね。
そうではないやり方があるんだ。
この時、学びました。
その時の先生の言葉で、今でも忘れられない言葉があります。
「帰る家があったら、この子たちはここにいない」
非行を働いたり、家出をしたりというのは、
親の虐待、または無関心が原因。
つまりは、親子関係が崩壊してしまっているということですね。
先生が接していたのは、外をうろつく、やんちゃ系です。
学校に行っていなかったとしても、学校に行けなくなる「不登校」ではなく、
学校なんて行くものか!という「登校拒否」の方だと思います。
「不登校」と「登校拒否」の違いは、その子の持っている性格傾向だと思います。
家庭で問題が起きた時の出方が違う。
元気な子は外に飛び出していく。
大人しい子は家に籠る。
出方は違うけど、根本にある問題にそう差はないと思います。
だから、子どもに対しての接し方も違いはないのでは?
水谷先生の言葉をあちこちから引っ張ってきたので、ここに書き出してみますね。
先生がどのようにお子さんに接していたのかがよくわかると思います。
『わたし、リストカットやってた』
『おれ、カツアゲやってた』
『わたし、家に引きこもってた』
いいんだよ。
昨日までのことは、みんないいんだよ。
『おれ、死にたい』『わたし、死にたい』
でも、それだけはダメだよ。
まずは今日から、水谷と一緒に考えよう」
目の前で覚せい剤をやっている子がいても『やめろ』とは言いません。
悲しい顔でただ座っているだけ。
「おれ、シンナー吸ってしまった」
いいんだよ。今までやったことはみんないいんだよ。ただ、次はやるなよ。
まじめな子ほど、まじめにドラックを使い、まじめに壊れていく。
心に傷をもった子ほど、その心の傷を埋めるために必死にドラックを使う。
そして、死んでいく
「寂しさ」を、ネットやメール、あるいはだれかが癒やしてくれることは、絶対にありません。
一時、癒やされても、その後には、さらなる「寂しさ」が襲ってきます。
「寂しさ」は、戦うものではありません。
寄り添って生き抜くものです
答えが出ないから苦しんでいる。
考えること止めよう
幸せはきちんと伝染します。
自分が幸せになれば、必ず誰かに幸せをもたらします
私は勇敢ではないし、正義感が人より特に強いわけでもない。
ただ少しでも仲良くなりたくて、彼らに近づいていく
夜の繁華街で一体どれくらいの時間を過ごしただろう。
そこで何人の子どもたちと出会っただろう。いつでも私は寂しかった。
大好きな子どもたちと出会いたくてしょうがなかった
彼らは非行に走るが、非行に走りたくて走るんじゃない。
望んでもいないのに孤独を強いられ、その孤独に耐える方法を知らないだけだ。
学校はモノを考えられない子どもだらけにしている。
失敗してもいいんです。
なぜ、失敗したか、それを自分で考えることで、前に進むことができる
自分でモノを考えさせるためには、しゃべっちゃだめなんです。
待つことですよ。水谷、しゃべんないですよ
子どもに嘘をつかずに生きようとするほど、
子どもの側について生きようとするほど、
私は大人の社会から排除されていく。
でもこれは仕方がない。
子どもたちはよく失敗するし、その失敗を許せない大人が多いからだ
生きていてくれてありがとう
~~~~~~~~~~~~
最後に、先生のブログでの最後のメッセージです。(抜粋)
ともかく、一歩でも太陽の下外に出ることを頼んでいます。
人は、悩み苦しむと閉じこもってしまいます。
そして、暗い夜に考え込み、自らの悩みや苦しみをさらに増幅させてしまいます。
悩み苦しむのは、答えが出ないからです。
どんなに考えようと苦しもうと、そこに答えはありません。
考えること、悩むことを、まずはいったん捨てて、外に出て、太陽の下で動くことです。
電車に乗って山や海へと行くこともいいでしょう。
本を読むことも助けになります。
いつもありがとうございます

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