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ケン太とのprecious days

3度の不登校を経て、なんとか高校を卒業し、社会人になったケン太。社会での成長&安定を見守る母のブログです。

母を偲ぶ

2019-02-14 23:31:11 | 私(みぃみ)
バレンタインの今日は、母の命日です。

亡くなって8年になります。
生きていたら92歳。

いやいや、あっという間ですね。

今日、お花とお菓子を買ってきて母にお供えしました。


今日は母の話をしたいと思います。

母は大腸がんを発症し、手術しましたが2年後に再発。
質の悪いガンで、主治医は、再手術しても完治は難しいだろうと。
高齢であるため、放射線治療の副作用で苦しむよりも、
緩和ケアで看取ることを選択しました。

最後は自宅で静かに息を引き取りました。


母は私と同じく父とは再婚です。
結核の療養所で父と知り合いました。

前の夫は、商人で、母も仕事を手伝ったりしていたそうですが、
ある日、母と幼い男の子を残して蒸発してしまいました。

2年か3年?行方不明の場合、夫の同意がなくても、籍を抜くことができるそうで、
離婚が成立しました。

その後、母は結核になった実母の看病をしますが、母は他界。
自分も結核になってしまいます。

自分は死ぬわけにはいかないと、役所に掛け合い、手術してもらえることに。
その後、療養生活に入るため、子どもを叔母に預けます。

叔母は子どもがかわいくなってしまい、養子にしたいと申し出てきたそうです。
入籍すれば、扶養手当も貰えるし、それで子どもの面倒をみれるからと。

叔母に子どもの面倒を見てもらっているため、母はその申し出を断れなかったそうです。

まだ物心がつく前の男の子。
すでに、叔母のことを母と思っていると思われます。

泣く泣く子どもを手放しました。

私の異父兄弟になります。


実はこのことがわかったのは、私が離婚したからなのです。
離婚しなければ、きっと母の胸の中だけに留めていたと思います。

私が離婚した頃、親戚が話しているのを聞いたのです。

「親が離婚して、子どもも離婚だなんてねぇ~」
「名前まで一緒だったからね」
「〇〇さん(私の名)知らないんでしょ?」

最初は???でしたが、

母が父とは再婚だったこと、
母の子どもの名前と、私の元夫の名前が漢字まで一緒だったことを後に知りました。

名前まで一緒だったなんてね。
何の因果なんでしょうかね。

母も私も縁を繋ぐことができない名前になってしまいましたけど・・・


それともうひとつ、明らかになったことは、
その母の子どもから毎年、年賀状が届いていました。

遠い親戚かと思っていましたが、名前でわかりました。

毎年、印刷のみの何のメッセージもない年賀状でしたけど。
結婚してお子さんがいるということだけはわかりました。

私の兄だったなんて。。。

年賀状が来ていたということは、母が実の母であることは聞かされていたのでしょうね。

でも、私が知らされていなかったので、
年に1回、年賀状のやりとりすることしかできなかったのだろうと想像します。



母は、前の夫の話はしてくれましたが、子どもの話はしませんでした。

だから、私から母に聞くことはなかったです。

母の妹である叔母や父から話を聞いて知りました。



父も苦労をしていますが、
母も自分の子どもを手放すという苦労をしています。

子どもを手放すなんて・・・
どんな思いだったのでしょう・・・

私には想像ができないです。


私は母に凄く凄く大切に育ててもらったという記憶があります。
ちょっと過保護だったと思います。

でも、それは、子どもを手放すという経験があったからかもしれませんね。


自分の手で自分の子どもを育てて・・・

それができることは幸せなことです。

いろいろあってもね


母が教えてくれているように思います。




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