息をするように本を読む

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と、なんだかだらだら日常のことなども

カルトの子

2010-11-17 16:02:00 | 著者名 や行
米本和広 著

そんじょそこらのホラーなんて比じゃない。
怖い。

カルトは個々の人間性を否定して取り込もうとする。
取り込まれるとそれが幸せだと思い込み、まっしぐらに突き進む。
そして、そこに子どもがいたら?

そう、そこにいて、親の感情のままにカルトで育つしかなかった子どもたちの話だ。

あのオウムの中で尊師をいちずに信じるより生きる道がなかった子。
ヤマギシズムは理想の社会だと教え込まれ、教育の機会もなくただ働きを続けてきた子。
十歳からは大人という教えを信じ、保護される機会が大幅に遅れていたライフスペースの子。
激しい体罰を愛と信じる親から布教に引きずり回され、考えることを知らずに育つエホバの子。
教祖のカップリングによって誕生し、物品販売や布教に駆けずり回る親を玄関で待ち続けた統一教会の子。
カルトを離れて10年以上の年月がたっても、クリスマスや誕生日を祝う気持ちがわからなかったり、わずか3か月のカルト生活の苦しみを親に吐露するまでに7年間の歳月を要したり。

どれも悲惨そのものだ。
それでも、幼い頃に愛された記憶がある子や親がカルトにはまりきる前の暮らしを知っている子は、
まだいくらか救われる。
家庭が何かを知らない子は、普通などわからないし、社会に溶け込むことが困難だ。

いろいろなことを知り、疲れてしまった大人にとって、“考えなくてよい”ことは魅力的だ。
実際、私が尊敬するシスターが昔「神様にすべてをささげてシスターになるっていうのは
ある意味楽なのよ。たくさんのことを考えずにすむから」と話していた。
カルトではないきちんとした宗教でもその側面は確かにあるのだろうし、
単に悪いともいえないのだ。

私はミッションスクールで教育を受けたことがあるため、宗教とカルトの線引きは
はっきりとしたいと思っている。
また、日本人の宗教アレルギーは表面的なもので、実際は気持ちの中に宗教的なものを
大切にしている人は多いと考えている。
そしてだからこそ、宗教の名をかたるカルトが、大学のサークルで、育児グループで
おけいこごとのサロンではびこっていくのを許せない気持ちが強い。
できれば少しでも宗教に触れる機会をもって、カルトを見極める力を若いうちに
つけられればいいと願う。

余談だが、この中に出てくるエホバの証人「海老名べテル」の見学シーンは、某マルチまがい企業の
オフィスツアーを思い出させた。

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