自分の人生に悩んだあげくかどうか知らないが、死刑になりたいからといって殺人を犯す事件が後を絶たない。しかも、若年者だけでなく熟年と思しき年齢の者でも、である。この世相は、池田晶子さんが生きていた時代と今と、ほとんど変わっていないのだろう。あるいは、もっと悪くなっているかもしれない。
48 他人を殺す前に、自分が死んでみるべきである
青年期の一時期、生死について悩み、自意識過剰になるのは当たり前のことで、そういう時は、かつてなら、自殺を考えるか、実際に自殺するかしたものだ。そうではなかっただろうか。しかし、自分のことで悩んでも、誰も他人を殺そうとはしなかった。これはどうしてなのか。
言うまでもない、自分のことを悩むことと、他人を殺すこととの間には、いかなる関係もないからである。自分の存在、自分の生死、まったく正当に不可解であるこれらの事柄が、他人を殺すことで理解できることになるわけがない。死が不可解で、なぜ他人を殺すのか。(『考える日々Ⅲ』「そうでなければ、それまでだ」より)
48 他人を殺す前に、自分が死んでみるべきである
青年期の一時期、生死について悩み、自意識過剰になるのは当たり前のことで、そういう時は、かつてなら、自殺を考えるか、実際に自殺するかしたものだ。そうではなかっただろうか。しかし、自分のことで悩んでも、誰も他人を殺そうとはしなかった。これはどうしてなのか。
言うまでもない、自分のことを悩むことと、他人を殺すこととの間には、いかなる関係もないからである。自分の存在、自分の生死、まったく正当に不可解であるこれらの事柄が、他人を殺すことで理解できることになるわけがない。死が不可解で、なぜ他人を殺すのか。(『考える日々Ⅲ』「そうでなければ、それまでだ」より)