哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

インターネットでの言葉の発信

2009-11-15 01:45:10 | 時事
 前々回も書いたように、池田晶子さんはインターネット、とくにブログに使われる低価値な言葉を嫌った。考えられていない言葉が氾濫しているからだ。逆に言えば、考えられた言葉なら、ブログだろうが決して全否定するものでもないのだろう。

 一般人が自らの言葉を、インターネット上に限られるとはいえ世間に向けて発信できるブログは、やはり画期的なシステムだと思う。ただ、簡単に発信できるから、池田さんの言う通り、安易な言葉が大勢を占めてしまうわけだ。よく池田さんが書いていた通り、本当に価値のある言葉こそが残っていくはずとすれば、いずれ多数のブログが淘汰されていくだろうが、今のところそんな気配はなさそうである。

 とはいえ、インターネット上で淘汰されてきている事象もあるようだ。鳴り物入りのセカンドライフが必ずしも活況ではなくなったり、Wikipediaの編集数が増えなくなってきている等である。これらは、単純に言えば多くの人々の関心を惹きつけ続けられなくなったことにあると思われるが、インターネットの行く末を少し反省的に考える材料にはなるだろう。

 一方で今、動画が注目を集めているという。インターネットでアクセスの多い動画が、NHKのニュース番組内で定期的に紹介されるなど、急に脚光を浴びた世界だ。動画は、言葉よりも映像で何かを伝えようとするものであるが、伝達する内容のレベルは、その作成の安易さからブログと同程度に低価値なものも多いようである。ただブログと異なるのは、言葉の壁が少し低いことだろう。一般人が、全世界を視聴者にできるシステムは、やはり凄いと思わざるを得ない。ただ言葉と同様に高価値なものが発信され、価値ある言葉のように残っていくのかどうか。やはり懐疑的に考えてしまう。