本屋の文庫の棚をつらつらと眺めていたら、詩人の谷川俊太郎さんと、ヘーゲルの翻訳で有名な長谷川宏さんとのコラボで出来上がったという、表題の本を見つけました。元の単行本は2001年出版とあります。
詩と哲学のデュオ、とは面白い試みですね。長谷川さんは谷川さんの詩を「品が良く、遊びが多く、軽やかだとの印象をもった」と書いています。しかし軽薄さとは全く違い、久里浜@さんにコメントいただいた通り、徹底された言葉のわかりやすさがあり、そしてわかりやすさの中に本質を極めるような深さを持っているように思います。
この本から谷川さんの詩の一部を抜粋してみます。
「また朝が来てぼくは生きていた
・・・
百年前ぼくはここにいなかった
百年後ぼくはここにいないだろう
・・・
魚たちと鳥たちとそして
ぼくを殺すかもしれないけものとすら
その水をわかちあいたい」(「朝」から)
こんな風に雄大な視点から俯瞰したようなところが、谷川さんを「宇宙人」と名付けているわけですね。
ところで長谷川さんの文も悪くはないのでしょうが、池田晶子ファンとしてはもし池田さんがこの本に登場していればどんなにわくわくしたことだろうと思います。詩人のような池田さんの文章なら、谷川さんの詩とそれこそ「詩のボクシング」のようにしのぎを削る熾烈なコラボになっていたかもしれません。
詩と哲学のデュオ、とは面白い試みですね。長谷川さんは谷川さんの詩を「品が良く、遊びが多く、軽やかだとの印象をもった」と書いています。しかし軽薄さとは全く違い、久里浜@さんにコメントいただいた通り、徹底された言葉のわかりやすさがあり、そしてわかりやすさの中に本質を極めるような深さを持っているように思います。
この本から谷川さんの詩の一部を抜粋してみます。
「また朝が来てぼくは生きていた
・・・
百年前ぼくはここにいなかった
百年後ぼくはここにいないだろう
・・・
魚たちと鳥たちとそして
ぼくを殺すかもしれないけものとすら
その水をわかちあいたい」(「朝」から)
こんな風に雄大な視点から俯瞰したようなところが、谷川さんを「宇宙人」と名付けているわけですね。
ところで長谷川さんの文も悪くはないのでしょうが、池田晶子ファンとしてはもし池田さんがこの本に登場していればどんなにわくわくしたことだろうと思います。詩人のような池田さんの文章なら、谷川さんの詩とそれこそ「詩のボクシング」のようにしのぎを削る熾烈なコラボになっていたかもしれません。