哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

命を張った署長

2010-09-06 07:05:05 | 時事
 また前回の続きになるが、前回の4人のうち命を張ったといえるのは、まず鶴見署長が挙げられるだろう。1000人の暴徒の前で制止する行為は、ちょっとしたことで暴走する可能性が高いからだ。牧師も、見つけられたら危ないという意味で2番目に挙げられるかもしれない。シンドラーや千畝は、救う行為そのものに対して命を落とす危険は直接なかったように思われる。

 このように、命を張るという行為は普通人にはなかなかできないという意味で、貴い行為のように思われるが、正しい行為のために命をかけたという言い方をしてしまうと、池田晶子さんから喝をくらうだろう。正しい行為と命は天秤にかけることはできない。なぜなら我々は死とは何かを知らない以上、生をもよくは知ってはいない。知りもしないことを正しいことと比較できないのである。池田晶子さんは、ソクラテスについて繰り返しそのことを書いている。



「生きている限り誰も死を知っているはずはないのに、それを知っていることであるかのように恐れるのは、正しくないではないか。しかし、私は正しくも、自分がそれを知らないということを知っている。ゆえに死を恐れるということをしない。だから不正な死刑判決でもかまわない。」(『人生は愉快だ』「ソクラテス」より)

「かくして毒杯を仰いだとプラトンの筆によって記されたソクラテスを、後二千年間人々は、「正義に殉じた真実の人」と讃えている。すなわち、未だもって殺し続けているのである。」(『メタフィジカル・パンチ』「ソクラテスさん」より)



 未だもって殺し続けている、とは随分な謂いであるが、確かにそうなのであろう。