哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

千畝、シンドラー、署長、牧師

2010-09-04 16:55:11 | 時事
 昨日の関東大震災時の鶴見警察の件に関連して、もうひとつ思い出した。このブログでも以前書いたと思うのだが、アフリカのツチ族とフツ族の民族同士の対立での大量虐殺事件だ。このとき、一方の民族の女性を10数人程かくまった牧師がいた(確かキリスト教の牧師だったと思うが)。家屋の狭い屋根裏のようなところに押し込めたので、大人数は入れられず、あとから助けを求めてきた人は断ったというから、他の例ほど感動を呼ばないのかもしれない。

 ここで思ったのは、なぜこのように助ける行為に及んだかが、上の例だと牧師という職業であることが大きいように思った。宗教は基本的に人助けが目的だから、可能な範囲でそれを行ったように思える。牧師としての職業精神に沿った行為を行ったというわけだ。

 そうすると鶴見警察の件も、警察官であったことがかなり大きい要素を占めるように思えてきた。民族が違っても、殺人行為に及びそうな状況を警察の立場で促進するわけにはいかない。警察官という職業規律に従おうというような職務意識は、普通の人なら持っている。ただ、1000人の勢力に囲まれても貫徹できるかは、その人の胆力によりそうだ。

 シンドラーも、経営者の立場でユダヤ人労働者を安価に利用できたという点で、経営合理性から行った行為である要素が大きいようだ。それが結果的にユダヤ人を救うことになったが、あまり崇高な精神からユダヤ人を救ったというわけではない、という批判を聞いたことがある。

 以上の3人に対して、杉原千畝だけは同類にできない。職業精神とか他律的な観点から結果的にユダヤ人を救ったのではなく、むしろ職業規律に反してユダヤ人を救ったからだ。大使館からユダヤ人が救いを求めてビザ発給を求めたとき、外交官だった千畝は本国にビザ発給の可否を問うが、ドイツと同盟を結んでいる政府の回答は「不可」であった。彼は公務員なわけだから、政府の指示に従うのが本来であったが、結果的に大使館撤収時までの数日間に約6000人のビザを発給した。この事件によって彼は“戦後”に外務省から処分を受け、ロシア関連の商社に再就職したそうだ。彼の名誉が回復したのは、日本のシンドラーとして有名になってから何年もたってからであった。

 個人の正義を第一とし、国や所属する集団の意向に反して行動することは、今の時代であっても決して簡単なことではないように思える。正しい行為とは何か、サンデル調に考えてみたい。