文藝春秋5月号の、塩野七生さんの「日本人へ」48は「戦争の本質」という題でした。一部要約して抜粋してみます。
「戦争とは、良い悪いの区別がないだけでなく、防衛のための戦争か侵略のための戦争かの区別さえもむずかしい。いや、戦争は、ほとんどとしてよいくらいに侵略戦争である。なぜなら、防衛のつもりで行った戦争に勝ったとたんに、防衛線を確実なものにしたくなって侵略することになるからである。
・・たとえ戦争に正義がウンヌンされるようになっても、戦争そのものが姿を消したわけではない。それはおそらく、頭をガツンとやられないかぎりは言うことをきかない、国家や民族や部族が後を断たないからだろう。昔も今も、人間性のこの現実は変わらないのではないかと思っている。」
最初の一文「戦争に良い悪いの区別はない」に、まずは考えさせられます。
本当に、戦争に良い悪いの区別はないのでしょうか。戦争は勝者にとっては良いが、敗者にとっては悪いという相対的な意味であれば、それは本当の良い悪いではありませんよね。また少なくとも侵略戦争であれば、他人の土地や財産を略奪する意味がありますから、悪いことと考えやすいのですが、そもそも侵略戦争か防衛戦争か区別がつかないのであれば、やはり良い悪いの区別がつきません。
ただ良い悪いは別として、歴史上人類は戦争を止めるということはこれまではなかったし、これからも止めない気がします。塩野さんの言う通り、人間はいつの時代も変わらないと、歴史を見ればそうとしかいえないということですね。
そうは言っても私たちは、人間同士がなぜ戦争をするのか、考えます。池田さんの謂いなら、お互い何者でもない者がなぜ殺しあわなくてはならないのか、ということですよね。
ところで、本号の巻末のガイカンロクというところに、池田晶子さんの訃報記事が載っていました。それによると、池田さんは慶応大学卒業後、モデルクラブでブラブラしていたということで、「モデル出身の女性哲学者」で売り出そうとした出版元もあったそうです。今で言えば、エビちゃんとかモエちゃんとかが「存在とは何か」と言い出すようなものでしょうか。全く想像がつきませんが。
「戦争とは、良い悪いの区別がないだけでなく、防衛のための戦争か侵略のための戦争かの区別さえもむずかしい。いや、戦争は、ほとんどとしてよいくらいに侵略戦争である。なぜなら、防衛のつもりで行った戦争に勝ったとたんに、防衛線を確実なものにしたくなって侵略することになるからである。
・・たとえ戦争に正義がウンヌンされるようになっても、戦争そのものが姿を消したわけではない。それはおそらく、頭をガツンとやられないかぎりは言うことをきかない、国家や民族や部族が後を断たないからだろう。昔も今も、人間性のこの現実は変わらないのではないかと思っている。」
最初の一文「戦争に良い悪いの区別はない」に、まずは考えさせられます。
本当に、戦争に良い悪いの区別はないのでしょうか。戦争は勝者にとっては良いが、敗者にとっては悪いという相対的な意味であれば、それは本当の良い悪いではありませんよね。また少なくとも侵略戦争であれば、他人の土地や財産を略奪する意味がありますから、悪いことと考えやすいのですが、そもそも侵略戦争か防衛戦争か区別がつかないのであれば、やはり良い悪いの区別がつきません。
ただ良い悪いは別として、歴史上人類は戦争を止めるということはこれまではなかったし、これからも止めない気がします。塩野さんの言う通り、人間はいつの時代も変わらないと、歴史を見ればそうとしかいえないということですね。
そうは言っても私たちは、人間同士がなぜ戦争をするのか、考えます。池田さんの謂いなら、お互い何者でもない者がなぜ殺しあわなくてはならないのか、ということですよね。
ところで、本号の巻末のガイカンロクというところに、池田晶子さんの訃報記事が載っていました。それによると、池田さんは慶応大学卒業後、モデルクラブでブラブラしていたということで、「モデル出身の女性哲学者」で売り出そうとした出版元もあったそうです。今で言えば、エビちゃんとかモエちゃんとかが「存在とは何か」と言い出すようなものでしょうか。全く想像がつきませんが。