哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

『多神教と一神教』(岩波新書)

2007-04-15 00:06:50 | 
 以前紹介した松岡正剛さんの本(『17歳のための世界と日本の見方』)のなかで、一神教と多神教の違いが生まれた背景として、前者は砂漠の思想、後者は森林の思想、という説明ができると書かれています。この説明は端的でわかりやすそうですが、安易に感じられなくもありません。


 そこで、今回は多神教と一神教の生まれた過程について考察した本を紹介します。古代人の「心性」を捉えようとする非常に面白い本です。ソクラテスが精神・魂の重要性を説いたことにも触れられており、池田晶子ファンにもお薦めの内容です。


 さて、この本で一神教の生まれた歴史的な要因をどう考えているか、ですが、いろいろな要因を挙げている中で一番関連性が深いと思われるのは、アルファベットの発明と民族の抑圧だそうです。

 既にメソポタミア文明で楔形文字が作られていますが、文字の種類が多くて少数の者しか扱えなかったものが、時代を下り少数のアルファベットによる文字の利用が広がっていったそうです。文字を利用できる人が増えることにより、言葉が聞くもの中心から読むもの中心に変わり、それによりいろんな概念というものが整理されます。それと同時に、宗教的心性も変わっていったというのです。つまり種々の神がだんだんと統合され、一つの神への信仰に変わっていったのです。このように、少数のアルファベットの使われはじめた時期と、ユダヤ教の発生とが軌を一にするのだそうです。まさに「はじめに言葉ありき」です。


 一方で、エジプトで抑圧されたユダヤ民族が、抑圧に対する救済を望んだことが、多神から一神を崇拝するようになったきっかけだそうです。


 
 ところで、ソクラテスが話し言葉を重視した理由について、この本では、書き言葉になることによって失われてしまう「心性」が話し言葉にはあったからではないか、と推測しています。
 確かに、池田晶子さんの「言葉は命」というときも、何となくイメージは話し言葉であるように思います。