池田晶子さんの週刊新潮連載「人間自身」今週号は、「お正月の復権」という題でした。
「永遠的循環の中の、一回的人生。いま生きているということ自体が、奇跡的なことである。ああ今年も無事に皆の顔を見ることができた。奇跡的なこと、おめでたいことだ!
存在の奇跡性に気がつくと、人生の風景は明らかに改まるのである。」
存在の奇跡性=一年を無事に過ごせて生きていられたこと、ということだそうです。
一年を生きてきたことが奇跡、今生きていることも奇跡。奇跡的なことが起これば、確かにおめでたいのですから、お正月がいかにおめでたいか、ですね。
本当は、今生きていることが奇跡なら、毎朝おめでたいはずなんですよね。今日も生きていた、おめでたい!と。池田さんも前にそのようなことを書いておられました。
通常我々は、一日生きているだけで奇跡とは通常思っていませんが、例えば戦時であれば必ずしもそうは言っていられません。それに、交通戦争という言葉があったように、本当の戦争でなくても命を失う機会はいくらでもあります。今日も命があってめでたい、という気持ちがあれば、命をもてあそぶような殺人事件は起きないのかもしれません。
先日テレビで放映された番組での塩野七生さんの話でも、似たような話がありましたが、その件はまたの機会に書きます。
「永遠的循環の中の、一回的人生。いま生きているということ自体が、奇跡的なことである。ああ今年も無事に皆の顔を見ることができた。奇跡的なこと、おめでたいことだ!
存在の奇跡性に気がつくと、人生の風景は明らかに改まるのである。」
存在の奇跡性=一年を無事に過ごせて生きていられたこと、ということだそうです。
一年を生きてきたことが奇跡、今生きていることも奇跡。奇跡的なことが起これば、確かにおめでたいのですから、お正月がいかにおめでたいか、ですね。
本当は、今生きていることが奇跡なら、毎朝おめでたいはずなんですよね。今日も生きていた、おめでたい!と。池田さんも前にそのようなことを書いておられました。
通常我々は、一日生きているだけで奇跡とは通常思っていませんが、例えば戦時であれば必ずしもそうは言っていられません。それに、交通戦争という言葉があったように、本当の戦争でなくても命を失う機会はいくらでもあります。今日も命があってめでたい、という気持ちがあれば、命をもてあそぶような殺人事件は起きないのかもしれません。
先日テレビで放映された番組での塩野七生さんの話でも、似たような話がありましたが、その件はまたの機会に書きます。