哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

災難の心得(週刊新潮今週号の「人間自身」)

2006-11-03 10:00:00 | 哲学
 池田晶子さんの週刊新潮連載「人間自身」今週号は、「災難の心得」という題でした。テレビでは、隣国の核のニュースも競馬やスポーツニュースも同一平面で報じられており、災難をリアリティーなく受け止められている事のおかしさを書いておられます。



「災難というのは、常に他人の災難である。高齢者の遭難騒ぎを見ても、それを感じる。自分は決して災難に遭わない、と認識していると思われる。

 この根拠のない思い込みをより正確に言うと、自分が死ぬということはない、死ぬのは常に他人である。あるいは、これからも生きているだろう、これまでも生きていたんだから。

 しかし、生きている者は必ず死ぬという当たり前に気がついていると、こうは言えないはずなのである。必ずというのは、必ずなのだから、それは先のことではない。何で死ぬかも関係ない。生きているまさにここに死は存在しているという根源の事実である。何が起きてもおかしくない。他人に起こり得た災難は、すべて自分にも起こり得ることだ。」



 確かに、今大地震が起きて家が崩れてもおかしくないし、今飛行機が上から落ちてきてもおかしくないですね。でも自分にそう簡単に起こりえないと思っている人が普通だから、池田さんは上のように書いておられるのでしょう。


 科学的な確率では大きな災難はそうみだりに起きないと思いますが、起きる可能性は確かに常にあります。

 確率の話をすると、よく宝くじの話題をするのですが、交通事故に遭遇する確率より、宝くじが当たる確率の方がかなり低いのです(『世間のウソ』新潮選書)。でも普通、人は交通事故には遭わないと思って道路を危なっかしく通行しつつ、宝くじは当たると思って買います。

 池田さんの仰る通り、人は生死についても同じように考えがちなのでしょう。



 ところで、災難といえばいつも気になっている良寛の言葉があります。

「災難に逢ふ時は災難に逢ふがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候。」

 テレビがなく、起こった災難は常に現前に繰り広げられる時代、災難に遭うときは遭い、死ぬ時は死ねば、他人の災難や他人の死を見て心を痛めることもない、というわけでしょうか。