かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

もうろくについて

2011-11-25 09:17:42 | わがうちなるつれづれの記
 ある日、近くのショッピングセンターに行った時、トイレで小用をしようとした。
なかなか、その物に至らない。
 「おかしい!」
 何回か試みて、何とか用を足した。
 あとで、ふと思いついて、ズボンの下をチェックした。
 なんと、パッチを2枚はいていた。
 いつ、パッチを2枚重ねて、はいたのか?
 朝起きたときだろう。覚えがない。
 覚えがないといっても、実際2枚着用している。

 もうろくとは、老いぼれることらしい。
 ボケるも、もうろくと言う意味と、「暈ける」と書いて、”色が薄れてはっきりしなくなる”
という意味もあるらしい。”物の輪郭がぼやける””ピントがぼける”
 こういうことは、どうだろう、いまはじまったことか。
 ピントが一応合ってっていて、もうろくする、暈けるのであってほしいが・・
その時になったら、自分でどうにもならないかもしれない。
 せめて、いまやれること、やっておきたい。

はじめて作った味噌汁

2011-11-24 14:31:06 | わがうちなるつれづれの記
 ある朝、思いついて味噌汁を作った。生まれてはじめてじゃないかなあ。
 作り方は、前もって妻から聞いておいた。

 お椀に2杯分水を鍋に入れて、火にかけた。
 湯が湧いてきた。冷蔵庫から煮干しの粉末を出して、極小の匙にすり切り一杯を
鍋に入れた。
 冷蔵庫にあった豆腐を適当な大きさに切る。
 冷凍庫にあった油揚げを適当に切る。
 鍋に入れた。
 弱火にした。味噌を大匙一杯を入れる。
 妻が現れて、「味噌はお玉にだし汁を入れて、溶かしながら入れるのよ」と言った。
妻は、鍋の中でダマになっている味噌をすくって、お玉の中で溶かして入れ直した。
 出来あがった。
 妻に「飲んでみて」と勧めた。「いいんじゃない」
 次に飲む。
 実にうまい。味噌汁って、こんなに美味しかったのか。

 あまりにも簡単にできた。
 ポイントは、味噌はだし汁で溶かして入れる、その時の火加減は弱火か、止めて。

 粉末の煮干しは、妻がずいぶん前に作ったという。
 煮干しの頭とハラワタを一つづつ取る。ミキサーにかける。
 そういえば、寒いころだった、居間でそんな手仕事をやっていた。

 嗜好が違ってきているのを感じる。
 ご飯がおいしい。
 ちょっと塩がきいたおむすびは、さらにおいしい。
 梅干しの入ったおむすびがすきになった。
 梅干しとご飯の絶妙な組み合わせ。
 梅干しのすっぱさが、とても苦手だったのに。

 ジャコがおいしい。噛んだあと、口の中に滲みでてくる旨み。
 ジャコに酢を多めに、醤油少なめにかけると、またおいしい。
 この時の酢は、飲んでしまう。

 この間、湯がいたブロッコリーが夕食にのぼった。
 軸のところ、やわらかくて、ほんのり甘かった。
 旨みを感じた。
 「これって、やさいのお店に規格外で出ていたの」と妻。

 肉は好きだ。
 頭のなかは、大好きだ。
 実際は、美味しく食べているが、あまり量を求めていない感じ。

 甘いものが好きだ。
 でも、以前のように、甘いものを渇望しなくなっている。
 妻が、普段に和菓子の製作にいそしんでいることと
なにか関係があるか。

 嗜好が違ってきているのは、一過性のものか。
 わからない。
 小学生のころ、朝ご飯は、毎日毎日、ご飯と味噌汁と納豆だった。
 今頃の季節には、白菜の浅漬けが添えられた。
 味噌汁は、豆腐と油揚げの組み合わせがとっても好きだった。
 母に感謝というより、それらの絶妙な組み合わせの味にうっとりか、うっかりか、
全身浸っていた。

覚えてる夢

2011-11-12 07:54:42 | わがうちなるつれづれの記
 今朝の夢は、覚えている。
 
 浴衣姿で見覚えのない街を歩いている。にぎやかな通り。人とすれ違う。
正月だと気がつく。「おめでとう」とあいさつしていない。
向こうから来た人に「おめでとう」と声をかけるが、黙って通り過ぎていく。
 妻がいっしょにいないことに気づく。
 妻を呼びに行こうと、両側に木造の家が並ぶ、宿場町みたいなところに
くると、向かい合わせにある二軒の家から、炎が上がり、燃えていた。
 その辺にいる人が火消しをしている。ぼくも着物姿のおばさんから
水を入れたバケツをもらい、家に飛び込む。
 その時は、もう消えていた。
 帰ろうとすると、今度は前の家から、「また火がでた」と声がした。
二階で子どもがたくさんいる家族がご飯を食べている。
 「はやく水を!」と二階から降りて、外にいる人たちにバケツリレーを
呼び掛ける。
 一階に何人かのおばあさんがいて、「騒がしいね」と言った。
 火は消えたらしい。
 妻小浪も火事騒ぎのなかにいた。
 いっしょに帰ろうと思ったが、見当たらない。
 よく知っている女の人に、「知らないかなあ」と聞く。「居ると思う」と言った。
 隣の部屋を見ると、炬燵にうつ伏せになっていた。
 「帰ろう」
 トイレに行きたくなった。
 そこで、目が覚めた。
 
 最近では、夢をこんなに覚えているのはめずらしい。
 

仙台・石巻の旅、おしまいに

2011-11-10 11:25:40 | アズワンコミュニテイ暮らし
 今回の旅では、何人もの旧知の人たちと再会した。
 自分なりに、それぞれの人と新しい出会いをしたという実感がある。
 被災された人にも会い、その現場も案内してもらった。

 おしまいに、感想をまとめたかった。
 でも。胸のあたりに何か塊りとしてあるのだけれど、それをうまく取り出せない
もどかしさがある。

 新しく出会ったというけど、どんなものに出会ったのか?
 出会った一人ひとりは、震災体験が今からの人生を深くしらべていくキッカケに
なっているように感じたが、それは震災体験があっても、なかっても、
その人のなかに、ずっとあったものではなかったか。
 
 絆とか、支え合いということが、震災以後、どこに行っても、このことの大事さが
言われている。
 「そうだよなあ」と思う。
 これって、震災が起きたから、俄かに大事になったわけではないだろう。

 土台だけになった街や廃墟のなった工場群を見た。
 たくさんの方が亡くなったり、いまだに行方不明の人もいる。
 近親の人、親しくしていた隣人を失った、被災を免れた人も、その悲しみは
瓦礫が片付き、復興して街のかたちがあらわれても、なかなか癒えないのではないか。

 「消えた街と人、まぬがれた街と人」と言ったけど、なんでそんな言い方をしているのか
じつは、自分でもよく分かっていない。
 
 今回、出会った人たちの話を聞くたび、人の安否を気遣ったり、お互い困っている人を
見たら、なんとかできないかと自ずと情が湧いてくる、そこからのいろいろなあらわれが
あったと感じた。
震災後、消息が知れなかった人に会ったりしたら、「ああ、無事だったんだね」と喜びが
湧きだしてくる。
 
 そのたびに、そこのところ、震災がキッカケで一人ひとりのこころに上ってきている
情のようなもの、それが一過性に終わらないように願わない人はいないだろうなと思った。

 そこは、震災や大津波というものがあっても、なかっても、一人ひとりにとって、
またともに暮らすお互いにとって、一番切実なことなのではないかなあ。

 どんなに仕事が順調にいっていると言っても、家庭で伴侶が悲しい思いをしていたら、
仕事の成功など、どのくらいのものか。
 この辺は、人それぞれ、考え方、生き方があると思うが・・。
 
 震災で、なにもかも失って、残るのものは、何だろうと考えた。
 それは、震災に遭わなくても、日々の暮らしがどのように見えているか、どのように見て
どのようにふるまっているのだろうと、こんどは自分に向いてきた。
 なんか、その辺に、ぼくの場合はなってきそうだ。
 
 復興といっても、街のかたちがもとに戻る程度では、どんなものだろう。
 人と人がどんな間柄のものか。
 家々は流されても、社会まで流されてしまったのだろうか。
 人と人の絆は、あらたにつくるようなものだろうか。
 
 どうしたら、一人ひとりが、ほんとうに安定して、満ち足りた社会があらわれてくるだろう。

 
 胸のあたりに、塊りとしてあるもの、ちぎってコトバにしてみた。
                                   (一応、終わりに)


 

”久しぶりです、上野さん”・・・健生みえの会月例会

2011-11-10 11:11:55 | わが健康生きがいづくり三重の会記録
 今回は、久しぶりに南伊勢の上野さんが参加された。元気そうなお顔を見て、嬉しくなった。
 芋煮祭のあとなのか、会はなにか親しさのような熱を感じた。

 「じゃあ、今月も、それぞれやってきた活動など報告し合っていきましょうか」と中井さん。
 いつもは、この口火、大平さんがきっている。今日は、病院に行っている。


 辻屋さんが、四日市にある傾聴ボランテイアの講習会に行っているという話をしてくれた。
この11月、4回の連続講習があって、その一回目に参加してきた。
「聴くというのは、奥が深い。実践もした。"聴く"をやろうとすると、相手の人の話を
聞いてはいるけど、"ええ!"とか"いやあ、そうじゃない"みたいなものが、
自分のなかで起きてくる。もし、それがすこしでもあったら、その人は心を開いてくれなくなる。
むづかしい」と辻屋さん。

 上野さん「そうなんだよな。十分に分かっているつもりでも、女房となると・・・」
 伊藤敏正さん「聴くことが出来たら、相手の人が自分で解決をしていくんだね」
 伊藤八重子さん「難しいのよね。娘が子育てが出来ないと言って来た時も、ただ聴くだけだった。
十分に聴いたころ合いに、”孫が自分のはきもの、キチンと揃えていたじゃない”と言ってやったの。
それで、娘はなにを感じたのか、それで電話を切ったの」
 余川さん「ぼくなんかは相手より先にすぐ結論をだしてしまう。分かっているつもりだけど、
なおらんなあ」
 一同、大笑い。それぞれ身に覚えがありそうだ。


 10月21日(金)鈴鹿市社会福祉協議会から来ていただいて、健生みえの会の希望者による
「メンタルパートナー養成講習会」が鈴鹿カルチャーステイションでもたれた。
 そのあと、山崎さんの「傾聴ボランテイアにかける思い」を話してもらう機会があった。
 辻屋さんは、それがキッカケで、"聴く"に関心をもつようになったと言う。

 10月初めから、土と日曜日を使って、「地域再生コーデイネター養成講座」
&「健康生きがいアドバイザー講座」が鈴鹿カルチャーステイションで開催されている。
来年1月までの予定。
 そのうち、「健康生きがいアドバイザー養成」の講座を健生みえの会のメンバーが何単位か
受け持った。
 やってみての感想を聞きたいと声があがった。

 ◆伊藤敏正さん「中高年と健康いきがい」
   いま、なぜ、中高年にとって、健康・生きがいがテーマになるか。はじめの総論でしたが、
  みんな熱心に聞いてくれた。
 ◆伊藤八重子さん「中高年と健康」
   テキストにすべて書いてあるですね。それで、体験をもとにした健康の話ををしました。
 ◆大平照子さん「中高年と家族」
   参加者が、家族のこと考えることを通して、お互いに打ち解けられないかと工夫しました。
 ◆宮地昌幸さん「中高年と社会参加」
   ブログに書いてしまったので・・・
 ◆鈴木英治さん「生涯学習と生きがい」
   "自己覚知"について、紙芝居をつくって話した。

 このほか、大平さんも講座をもったけど、残念ながら聞けなかった。
 今後は”未来の里山プロジェクト”代表高崎広さんの講座や中井さんの
”街のはたけ公園プロジェクト”の講座も予定されている。

 辻屋康子さんから。
 知人の三重県議の女性と「健生みえの会」って、どんなことをやっていくの?聞かれた。
はたと、考えた。話していくうち、それぞれはいろいろなキッカケから地域活動を始めている。
それが、一応形が出来ると、そこからどう展開していくか、ちょっと考えてしまうようなところが
あるようだ。
「それぞれの活動をネットワークしていく。そんなところが、見えてきている」と康子さん。

 東海道五十三次の企画が、ずっと前から東京の健康生きがいづくり協議会からはじまって
いるらしい。ときどき、その企画に意欲がある伊藤敏正さんから、伺っていた。
 いまは、愛知県内の東海道を毎月10余キロ、地域の参加者を募集しながら少しづつ、進んで
いるらしい。
 来年3月には、三重県桑名に入る予定だとか。
 「まだ先の話だけど、夏には四日市、鈴鹿、亀山となってきます。」
 上野さん「ただ歩くだけでなく、地域の歴史のある名所旧跡も訪ねたり、そういう企画も
考えることになる」
 何人か「いちど、私たちも歩いてみたい・・」
 なにか、やってみようと言う機運があるようだ。


 11月第四土曜日の"アクションデー”の場所は決まらなかった。
 これは、宿題です。       
                                        (宮地)