かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

ラダック MEETS スズカ  (3)

2011-11-29 09:39:37 | アズワンコミュニテイ暮らし
 今回、ラダックのスカルマさんはじめ、ラダックの暮らし、生き方に関心のある方々が鈴鹿の地に寄り合い、お互いもそうだし、スカルマさんを通じてラダックが近くなった。

 20日(日)午後2時、鈴鹿カルチャーステイションの玄関ホールと喫茶コーナーが、
”ラダック MEETS スズカ”の特設会場になった。
 この日は、大阪や四日市から、「懐かしい未来」のメーリングリストや人伝てで知った
という人も来ていた。

 スカルマさんは、ラダックの民族衣装を身につけて、登場した。
 ラダックの自然や社会の様子をスライドショーで、話してくれた。
 ついで、坂井和貴さんが”鈴鹿カルチャーステイションの活動をビデオで紹介。


 ワールドカフェになる。
 各テーブルで、ラダックの暮らしについてとか、日本でのコミュニテイーづくりについてとか、
話し合いがあった。


 


 そのあと、もう一度、スカルマさんが、今回の交流の感想を発表した。
 この時のスカルマさんは、熱が籠っていて、彼のなかにある人生の至福ともいうような境地から、
コトバがあふれてくるように感じた。
 じぶんが感じたままに・・


 ――スカルマさんの家族は大家族だ。畑が忙しいとき、ネパールからも働きに来る人がいる。
子どものころ、そのような人の一人がいつの間にか居ついて、家族の一員のようにして
暮らしている。
 時々、ふらっといなくなる。戻って来る。居る時、なにかやれることをやっている。家族のものは、
それに何か言うわけでもなく、咎めることもしない。それで、歳を重ねているという。

 ――村のなかには、ぶらっと家にやってきて、そこらにあるものを持っていく人がいる。
 ”盗んだ”といえば、そうかもしれないけど、家族のものがそれを問題にしていなかった。
 「ああ、またあの人が持って行った」という。
 その人の家に行くと、持って行ったものがある。家族の者は、「あそこにあった」とは言って
いるけど、”盗んだ”ということにならなかった。

 ――家族だったら、どんな現れになるだろう、振り返ってみたら、そんな感じだったとスカルマさん。
 お金もあるけど、地域の家族同士が支え合って農作業をやっていくので、ほとんど使わない。
 鈴鹿でリンカの試みがあるけど、人と人が家族のような間柄のときは、リンカも要らなくなる。

 どんなコトバだったか、正確には覚えていないが。
 昨晩の懇談会の感想が、スカルマさんのなかで、そのときさらに醸成されたかのようだった。


 「ラダックには、道がなかったんです」とスカルマさん。
 いまでも、辺境の地域に行くと、そんな感じらしい。
 おそらく、人が家と家の間を往来するときに村人が踏みしめた足跡が”道”というものだったのだろう。
 3000メートルを超えたところにある山岳地帯。透き通るような山岳の美しさはあっても、訪れる
人はおおくなかったに違いない。
 それが、周囲の近代化の動きの影響が及ぶようになり、大きな道がラダック地域に入りこんできた。

 「鈴鹿には、コミュニテイーの人と人がいまのようにやれているのは、サイエンズスクールがあるのが
大きいと思う。ラダックでは、冬の寒さは厳しくて、外で作業が出来ない。その時期、チベット仏教の
僧侶たちが家々をまわって、説教をするんです。冬の間に、みんな”善い人”になっている」と
スカルマさんは微笑んだ。
 インターネットで、ラダックを検索していたら、チベット仏教の修行する少年僧侶(?)の写真を
見た。目が、美しい。微笑みが天真なこころから現れてくる感じ。
 「これって、スカルマさんの目とも、微笑みとも、どこかかさなってくるなあ」


 ラダックには、これからも道がもっとついていくのではないか。
 鈴鹿では、もうこれ以上道は要らないと言いたくなるほど、道がついている。
 それぞれ、置かれた社会条件や環境は、相当違う。
 でも、人間の本来性、人と人とで作る社会のことや、社会気風がどうありたいかということでは、
これからともに、それぞれ研究・実践をする間がらで、交流していけるのではないか。
 これは、日本とラダックというだけでなく、それぞれの団体相互で、人と人の間で、
そうそう夫婦の間でも、そうありたいと・・・こんなふうにまとめたくないけど・・まずは。