あっという間に、仙台を発つ日の朝になった。
昨晩は、高橋和子さんがぼくらといっしょに、福山着物店の2階に泊まった。
朝は、女性3人、福山夫妻が暮らす仙台市内の家を見学に行く。
福山さんの木工は、趣味の域を越えているよう。
高橋真也さん作の椅子・テーブルもあった。これも、なかなかのものらしい。
午後は、松浦夫妻が訪ねてきてくれた。
「とんかつのとんかつ屋」さんが、月曜日で定休日だ。
松浦さんは、血色もよく、元気溌剌に見えた。
「やあ、かわらないね」「そりゃ、そっちも」と言葉を交わしながら、松浦節がさく裂した。
辰子さんは、ときどき合いの手を入れて、話だけでなく、実際の感想を加える。実に、絶妙な
間合いだった。
なんで、仙台青葉城の入り口の商店街のようなところで、とんかつ屋の店を開くことになったのか?
松浦さんの母が近くにいたこと。まわりが、ラーメン屋とか食堂があって、とんかつ屋しか
出来なかったこと。
開店の前日に、パン粉屋さんにパン粉の付け方を教えてもらって、ぶっつけ本番で始めたこと。
客席10余人の店。店員さん2人も雇って、やりくりが出来なくなったころに、奥さまの辰子さんが
一緒にやるようになる。
それから、夫婦二人三脚のとんかつ屋が再スタートした。
松浦さんは、面白、可笑しく語っていた。実際は、松浦さんにしても、辰子さんにしても、
どんなだったんだろう。
「いったん、軌道にのったら、あとはいけるもんだよ」と松浦さん。
大震災の直後は、地域の人たちが食べるものを探すような事態になった。
松浦夫妻は、冷蔵庫にあるものは全部出そう、そのうち炊き出しも始めた。
近くにいた娘夫婦も、手伝てくれた。娘の夫は、やったこともない飯炊きに汗をかいた。
そのうち、近所の人も道具や人の手をもって、応援に寄ってきたそうだ。
地域のなかで、「とんかつのとんかつ屋」どんなことになっていくか、先が楽しみだ。
高橋和子さんへの支援餃子は、とんかつ屋さんが休みの時、お店に有志が集まって
つくっている。
この夜、そのメンバーでもある佐藤真弓さん、山田和子さんもやってきた。
お休みのお店で、みんなで鍋を囲んで、豚シャブということになった。
女の人が多いので、手際良く準備ができて、湯気が部屋に充満するなかで、お肉や野菜を
頬ばった。佐藤さんや山田さんは、煮豆、ポテト、海藻の手料理など持ち寄った。
この晩で、仙台の旅とお別れになる。
ふと、「よくぞここまで、みんなで迎えてくれたなあ」と感慨が湧いてきた。
だれからともなく、鈴鹿のサイエンズスクールのセミナーのことを聞く人がいて、「内観コース」や
「自分を知るためのコース」って、どんなことするのかが、話題になった。
「自分を”科学的にみる”なんて、難しそう」
「自分のなかを見るというのは、普段やれない感じだけど、やってみると難しくないし、面白い」と
ぼく。
バスの時間は、午後9時半。
名残り惜しいけど、みんなに見送られて「とんかつのとんかつ屋」を出発。福山秀子さんの車で
仙台駅まで送ってもらった。
三人は夜行バスの座席におさまった。
さて、それぞれ胸中、どんなものが去来していたか。
そのうち、車内の照灯が消えた。「さあ、おやすみ」
「温故知新」は、論語では「子曰、温故而知新、可以為師矣」となっているようだ。
桑原武夫著「論語」によると、「温故」の「温」は、冷めた食べ物を温めなおすことだという。
”過去の伝統を冷えきったそのままで固定するのではなく、それを現代の火にかけて新しい
味わいを問い直す・・”と。
或いは、”伝統を墨守するのではなく、永遠の真理の今日的意味をさぐる”ということでも
あるらしい。
こんなことまで、バスのなかで考えたわけではない。
旧交を温めて、新しいその人に出会った感想が出て来た。
よく考えたら、新しいその人に出会うために、新しい自分にも出会っていなかっただろうか。
”新しきを知る”といことは、まだ未知の世界が豊かにあって、そこへのささやかな一歩で
あるのかもしれない。
これは、帰ってきてから出て来たことだった。
昨晩は、高橋和子さんがぼくらといっしょに、福山着物店の2階に泊まった。
朝は、女性3人、福山夫妻が暮らす仙台市内の家を見学に行く。
福山さんの木工は、趣味の域を越えているよう。
高橋真也さん作の椅子・テーブルもあった。これも、なかなかのものらしい。
午後は、松浦夫妻が訪ねてきてくれた。
「とんかつのとんかつ屋」さんが、月曜日で定休日だ。
松浦さんは、血色もよく、元気溌剌に見えた。
「やあ、かわらないね」「そりゃ、そっちも」と言葉を交わしながら、松浦節がさく裂した。
辰子さんは、ときどき合いの手を入れて、話だけでなく、実際の感想を加える。実に、絶妙な
間合いだった。
なんで、仙台青葉城の入り口の商店街のようなところで、とんかつ屋の店を開くことになったのか?
松浦さんの母が近くにいたこと。まわりが、ラーメン屋とか食堂があって、とんかつ屋しか
出来なかったこと。
開店の前日に、パン粉屋さんにパン粉の付け方を教えてもらって、ぶっつけ本番で始めたこと。
客席10余人の店。店員さん2人も雇って、やりくりが出来なくなったころに、奥さまの辰子さんが
一緒にやるようになる。
それから、夫婦二人三脚のとんかつ屋が再スタートした。
松浦さんは、面白、可笑しく語っていた。実際は、松浦さんにしても、辰子さんにしても、
どんなだったんだろう。
「いったん、軌道にのったら、あとはいけるもんだよ」と松浦さん。
大震災の直後は、地域の人たちが食べるものを探すような事態になった。
松浦夫妻は、冷蔵庫にあるものは全部出そう、そのうち炊き出しも始めた。
近くにいた娘夫婦も、手伝てくれた。娘の夫は、やったこともない飯炊きに汗をかいた。
そのうち、近所の人も道具や人の手をもって、応援に寄ってきたそうだ。
地域のなかで、「とんかつのとんかつ屋」どんなことになっていくか、先が楽しみだ。
高橋和子さんへの支援餃子は、とんかつ屋さんが休みの時、お店に有志が集まって
つくっている。
この夜、そのメンバーでもある佐藤真弓さん、山田和子さんもやってきた。
お休みのお店で、みんなで鍋を囲んで、豚シャブということになった。
女の人が多いので、手際良く準備ができて、湯気が部屋に充満するなかで、お肉や野菜を
頬ばった。佐藤さんや山田さんは、煮豆、ポテト、海藻の手料理など持ち寄った。
この晩で、仙台の旅とお別れになる。
ふと、「よくぞここまで、みんなで迎えてくれたなあ」と感慨が湧いてきた。
だれからともなく、鈴鹿のサイエンズスクールのセミナーのことを聞く人がいて、「内観コース」や
「自分を知るためのコース」って、どんなことするのかが、話題になった。
「自分を”科学的にみる”なんて、難しそう」
「自分のなかを見るというのは、普段やれない感じだけど、やってみると難しくないし、面白い」と
ぼく。
バスの時間は、午後9時半。
名残り惜しいけど、みんなに見送られて「とんかつのとんかつ屋」を出発。福山秀子さんの車で
仙台駅まで送ってもらった。
三人は夜行バスの座席におさまった。
さて、それぞれ胸中、どんなものが去来していたか。
そのうち、車内の照灯が消えた。「さあ、おやすみ」
「温故知新」は、論語では「子曰、温故而知新、可以為師矣」となっているようだ。
桑原武夫著「論語」によると、「温故」の「温」は、冷めた食べ物を温めなおすことだという。
”過去の伝統を冷えきったそのままで固定するのではなく、それを現代の火にかけて新しい
味わいを問い直す・・”と。
或いは、”伝統を墨守するのではなく、永遠の真理の今日的意味をさぐる”ということでも
あるらしい。
こんなことまで、バスのなかで考えたわけではない。
旧交を温めて、新しいその人に出会った感想が出て来た。
よく考えたら、新しいその人に出会うために、新しい自分にも出会っていなかっただろうか。
”新しきを知る”といことは、まだ未知の世界が豊かにあって、そこへのささやかな一歩で
あるのかもしれない。
これは、帰ってきてから出て来たことだった。