かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

温故知新・・・仙台・石巻の旅(3)

2011-11-04 22:18:57 | アズワンコミュニテイ暮らし
あっという間に、仙台を発つ日の朝になった。
昨晩は、高橋和子さんがぼくらといっしょに、福山着物店の2階に泊まった。
朝は、女性3人、福山夫妻が暮らす仙台市内の家を見学に行く。
 福山さんの木工は、趣味の域を越えているよう。
 高橋真也さん作の椅子・テーブルもあった。これも、なかなかのものらしい。



 午後は、松浦夫妻が訪ねてきてくれた。
 「とんかつのとんかつ屋」さんが、月曜日で定休日だ。
 松浦さんは、血色もよく、元気溌剌に見えた。
 「やあ、かわらないね」「そりゃ、そっちも」と言葉を交わしながら、松浦節がさく裂した。
 辰子さんは、ときどき合いの手を入れて、話だけでなく、実際の感想を加える。実に、絶妙な
間合いだった。

 
 なんで、仙台青葉城の入り口の商店街のようなところで、とんかつ屋の店を開くことになったのか?
松浦さんの母が近くにいたこと。まわりが、ラーメン屋とか食堂があって、とんかつ屋しか
出来なかったこと。
 開店の前日に、パン粉屋さんにパン粉の付け方を教えてもらって、ぶっつけ本番で始めたこと。
 客席10余人の店。店員さん2人も雇って、やりくりが出来なくなったころに、奥さまの辰子さんが
一緒にやるようになる。
 それから、夫婦二人三脚のとんかつ屋が再スタートした。

 松浦さんは、面白、可笑しく語っていた。実際は、松浦さんにしても、辰子さんにしても、
どんなだったんだろう。
 「いったん、軌道にのったら、あとはいけるもんだよ」と松浦さん。

 大震災の直後は、地域の人たちが食べるものを探すような事態になった。
 松浦夫妻は、冷蔵庫にあるものは全部出そう、そのうち炊き出しも始めた。
 近くにいた娘夫婦も、手伝てくれた。娘の夫は、やったこともない飯炊きに汗をかいた。
 そのうち、近所の人も道具や人の手をもって、応援に寄ってきたそうだ。
 地域のなかで、「とんかつのとんかつ屋」どんなことになっていくか、先が楽しみだ。 

 高橋和子さんへの支援餃子は、とんかつ屋さんが休みの時、お店に有志が集まって
つくっている。
 この夜、そのメンバーでもある佐藤真弓さん、山田和子さんもやってきた。
 お休みのお店で、みんなで鍋を囲んで、豚シャブということになった。
 女の人が多いので、手際良く準備ができて、湯気が部屋に充満するなかで、お肉や野菜を
頬ばった。佐藤さんや山田さんは、煮豆、ポテト、海藻の手料理など持ち寄った。
 この晩で、仙台の旅とお別れになる。
 ふと、「よくぞここまで、みんなで迎えてくれたなあ」と感慨が湧いてきた。

 だれからともなく、鈴鹿のサイエンズスクールのセミナーのことを聞く人がいて、「内観コース」や
「自分を知るためのコース」って、どんなことするのかが、話題になった。
「自分を”科学的にみる”なんて、難しそう」
「自分のなかを見るというのは、普段やれない感じだけど、やってみると難しくないし、面白い」と
ぼく。

 バスの時間は、午後9時半。
 名残り惜しいけど、みんなに見送られて「とんかつのとんかつ屋」を出発。福山秀子さんの車で
仙台駅まで送ってもらった。

 三人は夜行バスの座席におさまった。
 さて、それぞれ胸中、どんなものが去来していたか。
 そのうち、車内の照灯が消えた。「さあ、おやすみ」

 「温故知新」は、論語では「子曰、温故而知新、可以為師矣」となっているようだ。
桑原武夫著「論語」によると、「温故」の「温」は、冷めた食べ物を温めなおすことだという。
 ”過去の伝統を冷えきったそのままで固定するのではなく、それを現代の火にかけて新しい
味わいを問い直す・・”と。
 或いは、”伝統を墨守するのではなく、永遠の真理の今日的意味をさぐる”ということでも
あるらしい。
 こんなことまで、バスのなかで考えたわけではない。
 旧交を温めて、新しいその人に出会った感想が出て来た。
 よく考えたら、新しいその人に出会うために、新しい自分にも出会っていなかっただろうか。
 ”新しきを知る”といことは、まだ未知の世界が豊かにあって、そこへのささやかな一歩で
あるのかもしれない。

 これは、帰ってきてから出て来たことだった。

 
 
 
 





 

温故知新・・・仙台・石巻の旅(2)

2011-11-04 07:52:15 | アズワンコミュニテイ暮らし
 10月29日の午後は、福島県相馬市から伊達良子さんが、車で1時間以上かけて、会いに来てくれた。

 彼女は、介護施設でケアーマネージャーの仕事をしている。
 ぼくらを懐かしく思ってくれているのが感じられて、うれしかった。
 介護施設での仕事は、やりがいがあるようでした。
 大きな梨とジョナゴールドというリンゴを持ってきてくれた。
 「祖父が作っている。放射能は出ていないの。飯館はたいへんだけど、相馬はそんなでもない」
 帰りがけに、持参した「人と社会を科学する SCIENZ サイエンズ 2010 No.0」を
買っていかれた。

 伊達良子さんと話しているとき、佐山武志さんが、ぼくらが居るのを知って、訪ねてくれた。
 佐山さんは、在宅介護の仕事をしている。
 彼の見ているお年寄りは、仙台市の海寄りの地域の人が多かった。
すぐに一軒一軒訪ねて回った。
「お前に、何が出来ると言うんだ!」と怒鳴られたこともあったという。
「なにはともあれ、一人じゃないんです、そばにいますから・・、これを伝えたかった」と佐山さん。

 29日夜は、松浦夫妻が青葉城近くでやっている「とんかつのとんかつ屋」のとんかつを
牧美さんがもってきてくれて、みんなで舌づつみを打った。

鳴子温泉近くで働いている高橋真也さんも遅れて、やってきた。
 3.11とその直後の話、その後身の周りで起こったこと、これからの夢など、話は尽きることが
無かった。寄った人は、真也さんの話に耳を傾けた。


  
 翌30日は、真也さんが運転する車で、塩釜、松島、奥松島。東松山、石巻、女川の現在を
案内してもらった。これは、また別に報告したい。

 その午後は、高橋和子さんに、石巻の仮設住宅から福山秀子さん宅に送ってもらった。
夜は、木須勉・博子夫妻も加わって、持ち寄りの夕食会になった。


 木須博子さんは、のり巻き。彼女は西友の惣菜部門で働いている。上手に出来ている。
 牧美さんは、ジャガイモの煮物とカブの中華風。
 「カブは、小浪さんが持ってきてたものよ」
 和子さんは、マグロの刺身と”はらこめし”炊き込みご飯の上に、採れたてイクラをのせた
郷土料理。
 福山秀子さんは、紅茶につけた焼き豚。大好評。

 木須勉さんは、そのとき高所作業車で高木の枝を剪定していた。大いに揺れたが下の同僚は
のんきに構えていた。たまたま伸びていたアームの両側に樹木があって倒れなかった。
異変を感じた同僚がアームを縮めてくれて、命拾いした。

 福山さんと木須さんは、ウイスキーの水割りで杯を重ねて、なめらかな語りになっていった。
 福山さんは、「志があって、あのような暮らしをしてきた。他の人も、そうじゃないか」と言った。
実感が籠っている。
 木須さんも、うなずいている。
 10年かけて、それぞれが、やっとの思いで今の暮らしをつくってきた。
 そのときに、大震災だった。
 お互いに支え合っていこうという機運が、ごくあたりまえに生じた。
 一人ひとりのなかで、なにかこころが動いているのを感じた。


 鈴鹿でやっている地域通貨の試みの話では、活発な意見がかわされた。
 木須さんは、畑で野菜をつくる、白鳥さんや福山さんは、「ウッドデッキ」など、木工をやる。
 「そんなのおもしろいんじゃない。距離がはなれていても、できるかも」と福山さん。

 白鳥さんは、「なんでも心の内を語れる仲間がいるのは、うれしい。もちろん、いまの職場の
同僚も大事だけど」とポツリ・・


 三日目の晩が更けていった。