毎年、年賀状はどんなのにしようか、とかんがえる。
干支とか、家族写真とかはなんとなく避けている。
来年はどんな年にしたいとおもっているかなあ、とか
今、どんなことに関心があるかな、それを受け取って
くれる人に伝えたいとか、そういうことをかんがえて
いるかな。
家族写真は避けているとはいっても、こんな家族で
暮らしてますよ、とご挨拶したい気持ちもある。
いろいろかんがえ、何か今の自分の気持ちにピッタシの
コトバがないかなと探していたら、こんな詩に目がとまった。
木 高良留美子
一本の木のなかに
まだない一本の木があって
その梢がいま
風にふるえている
一枚の青空のなかに
まだない一枚の青空があって
その地平をいま
一羽の鳥が突っ切っていく
一つの肉体のなかに
まだない一つの肉体があって
その宮がいま
新しい血を溜めている
一つの街のなかに
まだない一つの街があって
その広場がいま
わたしの行く手で揺れている
この詩を紹介してくれたのは、茨木のり子さん。
「この詩は未来への恋唄。・・未来は、現在の現実のなかに
すでに胚胎している、というのがこの詩の主題です」と
言っている。
そうだよな、とぼくもこの詩を読んで感じたし、そうおもう。
おそらく「現在の現実」をどう見るか、どう見えるか、そこが
急所だろうな。
一つの肉体のなかで、まだない一つの肉体、新しい血を
溜めている、天地の摂理、目に見えないものの世界に
確かさをおく、自身の転換が要るなあ、とおもいつつ、
来年への架け橋としたい。
恥ずかしながら、2015年を迎えるにあたって、ひとこと。
2015年もよろしくお願いします。
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