かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

色川武大「善人ハム」を読む

2012-04-14 09:24:37 | わがうちなるつれづれの記
 最近、あまり本を読まない。
 寝床で読んでいるうち、眠ってしまうことが多い。

 「善人ハム」は、短編ということもあり、最後まで読んだ。

 色川さんが生まれ育った、戦時中の東京下町の様子が淡々と
描かれてあって、引き込まれた。
 空襲で家を焼かれた落語家金語楼さんが、酒盛りのある家を
嗅ぎつけて、いつのまにか仲間になり、酒がなくなるといつの間にか
居なくなる。金語楼さんの声が甦ってきた。

 「善人ハム」は、町内の肉屋さんだった。
 日中戦争初期、軍の応召で、中国に渡り、”金鵄勲章”を
いただいてきた。町内会の英雄だった。
 何回か応召があり、帰ってくると、肉屋をほそぼそ営んでいた。

 終戦後。
「ハンコ屋さん、板前上がりの鳥料理屋の店主、花屋さん、魚屋さん、
漬物屋さん。彼等はいずれも(戦争は負け戦で終わっていたが)、
金鵄勲章を貰った勇士の善さんを、依然として誇りに思っていた。
 
 で、定職のない善さんのために、それぞれが用事をこしらえたり、
知人の家の雑用をみつけたりしてきて、一丁前の日々がすごせるように
計らってやっているのだった。

 彼らが集まって呑むときは、必ず善さんも呼んだ。
 そうして善さんも、へんにひねくれないで、鷹揚な笑顔でそれに
応じているのだった」

 下街の商店街で生まれ育ったぼくには、なにかその頃の下町が
おもいだされて、”郷愁”がかきたてられる。

 ある夏の夜、麻雀のあと、善さんとハンコ屋と筆者は、焼き鳥屋で
呑んだ。
 そこで、一気に善さんの胸のうちが噴き出してきた。
 郷愁に浸っていたぼくは、ガーンと頭を打たれたように
その下りを何度も読み直した。

 怖い話の競演になった。
 善さんが、話しはじめる。

「怖いものなしだったんですよ。だけど、あれはいけません」
「あれ、って?」
「そのゥ、ね、あれだけは、いやだ」
 彼は、少し口ごもった。
「ーー夢ですよ」
「夢か」
 善さんは、拳骨を二つ並べて差し出すようにし、それをさらに
前方に突き出した。
「こういう夢ーー」
「それは、何?」
「突け、っていわれたんですよ」
 彼はもう一度、両拳を突き出す格好をした。
「それでわたしは夢中で突いちまったんだ。馬鹿だから」
 私はあらかた諒解した。
「つまり戦場でーー」
「ええ、二度目の応召のときね。わたしは勲章を貰った兵隊だったんで、
やっぱり分隊じゃ皆が知っていて、何かってえと名指しされるんです。
・・・そのときもまずあたしが指名されてーー」
「当時の言い方で支那兵ね」
「兵隊じゃない。普通の人ですよ。お百姓だ」
 善さんはまずそうに酒を飲んだ。
「なんというのかな、あたしがもしできないってことになると
金鵄勲章に恥をかかすような気が、してたんですね。
どうかしてたんだ、わたしゃァ」

 善さんはそういうときでも、告白がいい恰好にならないように、
慎み深く、深刻そうな顔にならないように努めていた。
 で、そのため、へへ、へへ、と笑っていたが、それがかえって
哀しそうに見えた。

「強がって、銃剣術のときのようにーー」
「命令だったんでしょ」
「ですが、じぶんで何をしているのか、わからなかったんです。
その瞬間まで」
「忘れようよ、善さん。そんなこと」とハンコ屋がいった。
 善さんはまた、銃剣を突き出す格好をした。
「ーーああ、自分の一生は、これで終わったな、そう思いました。
やってしまった瞬間にね。へへへ、どういうわけかそう思ちゃった。
じぶんは、もう、何もできないな、って」
「忘れようったら、善さん」
「戦争は終わるからいいよ。わたしだって昨日のことは片づけたいよ。
ですがね、夢を見ちゃうんだ。夢はいけません。ずいぶん長く戦場を
渡り歩きましたがね。鉄砲の弾丸ひとつ、射ったことだって、
いちいち夢を見る。わたしゃ忘れているんだけど、身体はちっとも
忘れてくれないんだからーー」

 善さんは、色川さんからみて、”いっさい自分を主張しない生き方”を
頑なに守って生きたらしい。結婚もしなかった。
 50歳すぎて、”急にその気を起こして”、嫁さんをもらう。

 善さんは、あるとき飲み過ぎて呼吸困難に陥った。
苦しさのあまり、「―-死ぬ、もう駄目だ」と言うと、奥さんは
「もう駄目みたいね。あなた安心して・・・」と善さんをなぐさめた。

 善さんは。駆けつけた医者から急性アルコール中毒と診断され、
二三日で、ケロリと回復した。
 善さんは、女房のことを「あいつ、安心して、死ねといったんだ」と
こぼしていたそうだ。
 奥さんには微塵も他意はなかった。
 死ぬ人を一生けん命勇気づけようとした。

 色川さんからみたら、この夫婦、なんとなく似たもの夫婦といえなくも
ない、という感想で、このエッセイはおわった。

 戦争は善さんのような人が最前線ではたらき、戦争がおわっても、
あたりまえの暮らしに戻っても、こころに負った傷のようなものは
容易に癒えないようだ。
 善さんの奥さんのイメージは、わがおふくろにも重なる。
 
 戦争は戦場のことだけをいうのではないかもしれない。
 ふだんの、ささいな立ち居振る舞いのなかにも、良かれとおもって
やっていることのなかにも、じぶんの意図するものとは、別の
結果になってしまうことがあるらしい。

 「おれは、人など殺せない」というだけでは、その場になったら
どうなるか。
 ふだんのなかに、そういうものに傾斜してしまうような芽が
じぶんの中にひそんでいないか、こんな時代に妄想みたいなものかも
しれないが、そのへんも見ていきたいとおもった。
 


 

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1 コメント

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善人ハム (宮地昌幸)
2012-04-26 13:41:19
今までのエッセイではこれはすばらしいと思いました。

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