かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

孫のスキップ

2012-04-18 07:25:04 | アズワンコミュニテイ暮らし
 ある朝、出かけようとしていたら、足音がしてトイレに
だれか入った。
 出かける用意ができて、わが家の門を出ると、通りの
向こうに孫の晴空(はるく)の後ろ姿が見えた。
 トイレに入っていたのは、晴空だったのかな。
 晴空は、スキップしていた。
 晴空は、新一年生。

 「スキップかあ・・」とおもった。
 子どものころ、スキップしているじぶんをおもいだしている。
 そのとき、どんなことをしていたかなんて、おもい出せない
ないけど、その時の気分のようなものは、なんとはなしに、
甦ってくる。
 あの気分というのは、気が付いたらスキップしている、
これといって訳はないけど、ウキウキして、こころが躍るままに、
身体が躍っている。

 通りというか、公園前の路地を北に曲がると、娘一家の
アパートがある。
 アパートの前で、孫娘の風友(ふゆ)が竹馬に乗っている。
「おじいちゃーん」と声がかかる。

 

 北に向かっていくと、すぐ自動車の往来が頻繁な大通りにでる。
 軽自動車のなかから、にぎやかな音楽が聞こえてくる。
 ラテン系の青年が、リズムに身を任せているように見えた。
 
 

 その大通りを北に渡ると、右側に仕事場がある。
 おふくろさん弁当屋さんでつかう、鶏肉の下ごしらえをする。
 
 

 その仕事場の前の通りは、なにかなごやかな感じがしている。
 
 


 前に、ここで手押し車のおじいちゃんが倒れていて、高校生の
女の子が3人がかりで、立ち上がらせようとしていた。
 起こしてやると、こんどは車の往来が激しいお通りの真ん中で
ころんでしまった。
 偶然、居合わせて、女の子たちといっしょに先ず、歩道に
おじいちゃんを抱えて、移した。
 近所の人も出てきた。
 よくここを散歩しているおじいちゃんらしい。
 近所の人は、「わかりますよ。あとは、見ますので・・」と
車椅子を持ってきて、おじいちゃんのお家に連れっていって
くれた。
 女の子たちは、心配そうに、そのなりゆきをじっと見ていた。
 「もう、大丈夫だよ」と言ったら、はっと気づいたように
帰っていった。

 

 そのおじいちゃんは、最近も、ここの通りでよく見かける。
 おじいちゃんにとっては、この通り、というか路地はわが庭みたい
なものか。

 

 おふくろさん弁当屋のところから、岸浪龍くんの子どもが
出てくる。
 大人の目で見えている、この通りと、子どもの目でみているこの
通りは、とっても違うのではないか。
 大人と子どもというより、一人ひとりと言った方が、適切かな?

 この通りは、車の往来もけっこうあるけど、人と人が行き交う
商店街のイメージもある。
 いまは、そんな感じはない。
 
 おふくろさん弁当屋の岸浪龍くんは、お店にお弁当を買いに
きてくれる人が増えてほしいとおもっている。
 最近、店頭にはお弁当だけでなく、からあげやハンバーグ、
ポテトサラダ、卵焼きなど、惣菜がショーケースに、並ぶように
なった。
 近所の人が、買い物カゴ下げて、夕餉の足しにしようと、
お店をのぞきにやってくるイメージがある。



 この通りには、神戸屋というステーキ屋さんがある。
 先日、中井さんがラッキョウやニラをつくっている畑で、
ニラの株分けをしていたら、乗用車が畑の脇に止まった。
 老夫婦が、乗っていた。
 大阪から来たという。
「このへんに、神戸屋というステーキ屋さんはないですか?」
 へえ、わざわざ大阪からたべにくるのかな、とおもった。
 老夫婦は知り合いで、会いに来ただけかもしれないし、
わからないけど、いろいろなところと関連しているのかも
しれない。
 神戸屋さんの前はいつも通るけど、まだ入ったことはない。

 この通りには、崋山という四川料理店がある。
 ここは、一度食べに入った。
 一杯千円の坦坦麺を食べた。麺つゆの後味の旨さは、いまでも
残っている。
 そこの奥様が「鈴鹿の地の人は、味が分からない」と嘆いて
いた。四日市とか、遠くから食べに来る人が多いらしい。

 惣菜屋ができないかなあ。
 コロッケやてんぷら。揚げながらだしたら、活気がいい。
 煮物やつけもの、おふくろならぬ、おばあちゃんの味も醸し
出せないか。

 雨の日がしっとりして、大好きだ。
 春の陽気は、こころと身体がついていかない感じがして、
苦手だった。
 孫のスキップを見て、ぼくのなかに、まだまだ躍るような
ものがあるように感じた。

 子どもがどこに行っても、我が家で遊んでいるような気風の
地域づくり、街づくり・・・

 

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