かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

百日紅

2016-08-11 06:25:06 | アズワンコミュニテイ暮らし

ずいぶん前、といっても15,6年前、炎天に咲く百日紅に思いを

馳せたことがありました。

見ていると、炎天が厳しくなればなるほど、あの縮れた紅色の

花をこれみよがしに咲かせているように見えました。

他の、いきものは暑さに息をひそめているらしいのに・・・。

この花を見ながら、Hさんを思い出しました。

周囲環境が厳しくなればなるほど、生き生きとする感じでした。

つかず離れず、厳しい時期をぼくといっしょに越えてくれた

思い出がありました。

Hさんが死んで、20年以上になります。

 

7月後半から連日、35℃を越える猛暑が続きました。

何かをしているわけではないのに、息が切れる感じがありました。

夜も、咳いているような状態で寝れないときもありました。

8月はじめ、病院の定期診療に行きました。

「心臓に負担がかかっていますね。心房細動もあります。

利尿剤を増やしましょう。疲れたときは、ゆっくり休んでください」

そんな診断でした。

外界の暑さと、じぶんの体内で何か起きていることが、じかに

つながっている感じがしました。

気持ちの上では、やれるというようなときも、ここしばらく、

しんどいときは休んでみようと思いました。

 

座っているのもしんどいときは、横になります。

横になり、扇風機の風にあたっていると心地よいです。

冷房は付けたり消したりします。

はじめは長いすで横になっていましたが、最近は布団を敷いて

そこで横になっています。

テレビはつけたまま、音だけ聞いているときが多いです。

 

天皇の言葉のときも、ウトウトしていたら、はじまっていて、途中から

見ました。

寝ながら聞いていました。

聞いていて、天皇が即位してから、国民の象徴としての天皇は

何をするのか、これを全身全霊で模索しながら、実際にも日本全国を

回られて来たんだなあと思いました。

こういう気持ちではないかとは、思っていましたが、天皇ご自身から

聞くと、また伝わってくるものがありました。

慰霊の行事や旅も、はっきりとした考え、信念があり、実行していたんだ

なあと感じました。

慰霊のときは、いつも日本人が戦場で亡くなったことと、この戦争で

犠牲になったアジア諸国の人たちへの慰霊も忘れていなかったです。

 

正直、他の人はどう感じているか分かりませんが、日々、ぼくらの手が

届かなところで、戦争の準備が当たり前のように、着実にすすんで

いるのをひしひしと感じます。

老人は、身体が思うようにうごかなくなると、妄想がいっぱい出てくる

といわれています。

横になりながら、そうしていたら心地がよいとかいいながら、自分の

周囲の人たちや、これまでかかかわってくれたすべての人たち、日本

地域はいうに及ばず、諸国の人々、それのもっと・・・

何が出来るわけではなくなっている感じがしますが、必ず、これから、

争いや対立のない、当たり前の暮らし、しあわせな暮らしが出来る

社会におのずからなっていく。そういう妄想を色濃くしていきたい。


天皇の言葉は、炎天の百日紅のようでした。


 

 

 

百日紅の俳句


「青天に 咲きひろげゝり 百日紅」  正岡子規

「又しても 百日紅の 暑さ哉」  正岡子規

「散れば咲き 散れば咲きして 百日紅」  加賀千代女

「百日紅 浮世は熱き ものと知りぬ」  夏目漱石

 「炎天の 地上花あり 百日紅」  高浜虚子

 

 

 

 

 

 



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