かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

人間とは・・・

2016-02-16 18:15:16 | わがうちなるつれづれの記

こんな問いを突然だされても、言葉に窮するよね。

 

あるとき、今は亡き教育者、林竹二先生が小学生に向けて「人間とは」

という授業をした記録を読んで、印象に残っている。

先ず、人間と動物はどこが違うか、という問いをだす。

「人間は理性をもっている」と出して、それがどんなものか、子どもたちと

検討していく。

 

林竹二先生は、先ずケーラーという、ドイツの心理学者がやった「まわりみち」

という実験を紹介する

ケーラーは、この実験のため袋小路をつくった。
 
袋小路といっても、仕切っているのが柵ですから向うを見通すことが
 
できる。向うを見通すことはできるのですが、これをつきぬけて向うへ
 
出ることはできない。
 
だが、まわりみちをすれば容易に欲しいものを手にいれることができる。
 
この袋小路の中にいろいろな動物をいれ、柵の向うにその動物の
 
欲しがる餌を置いて、こういう場面で欲しいものを手にいれるために、
 
どういう行動をとるかをケーラーは観察したのです。
 
 
 
その結果。
 
 ケーラーの、1歳3カ月の娘、柵の向こうに人形を置いたら、
まわりみちをして、すぐ人形を手に入れた。
 
ニワトリ。柵の向こうに餌を置いたが、餌のほうにつきすすもうと
するばかりで、まわりみちができない。
 
犬でやってみた。
犬の場合、餌を置き場所をかえた。
餌を柵から離れてたところに置いた。そうすると、まわりみち
をして、手に入れた。
餌を柵の近くの置くいたら、ニワトリと同じように、まわりみちが
できなくなった。
 
 
「犬の場合、なんで一度はまわりみちが出来たのに、2回目は
 
出来なくなったんだろうね?」と問いかける。
 
「2回目にはどんな変化が起きたんだろう?」
 
「餌をおく場所が近くなると、においが鼻をつよく刺激しますね。
 
目でみていると、少し適当でない表現ですけれども”理性的に”
 
考えることができる、ある見通しをたてて、その見通しにもとづいて
 
行動することができるわけです、目でみると。ところがつよいにおい
 
が嗅覚を刺激すると、非常につよく本能が働いて、考えるという
 
力よりも、その本能が-ほしい、ほしいと、ほしいものがある方に
 
ひたすらつき進む気ばかりがつよくなる。そういう衝動ばっかりが
 
はたらく。そうして、最初はまわりみちができたその犬が、まわりみちが
 
できなくなってしまったのです。同じ犬なんですけどね」
 
 
 
林竹二さんは、そこからさらに問いを立てる。
 
「この実験を手掛りにして、人間が理性をもつということがどういうこと
 
なのかを考えてみたい」
 
 
 
この問いは、小学生を前にしてやっている。
 
子どもたちは、どのように聞いているのだろう。
 
いま、これを読んでいる自分は、興味津津、その問いに引き入られて
 
いく。
 
 
 
 
林竹二先生
 
「理性をもつというのは、この場合についていえば、ある状況の下で、
 
ある目的を達成するためにはまわりみちをすればいいんだと解ったら、
 
その通りに実行ができるときに初めて理性をもっているといえることになる。
 
こうすればいいんだと解るだけではだめなんです、解ったらその通りに
 
実行できないと理性をもっているといえない」
 
 
 
「そうかあ」とおもう。 
 
理性とはどういうことかについて、もう一歩、踏み込んでいく。
 
ワクワクする感じ。
 
 
 
「だから、理性をもつためには見通しをつける力があるだけではだめ。
 
その通りに実行するのをさまたげるいろんな力にうちかつことが
 
できなければならない。
 
社会生活の中できたえられて、「学ぶ」ことによってほんとうに賢く
 
なって次第にこうすればいいんだとわかったら、その通りに行動できる人間に
 
なってゆくわけです。ぞういう知恵は学校なんかより実生活の中で身につけ
 
られるものでしょう。社会生活の中できたえられて、だんだんそういう力
 
を獲得していくわけです。

ですから、人間が人間になるための、学問というようなものの最も大事なものの
 
一つが理性をもつということにかかわっている」
 
 
 
ここで、人間が人間になるという見方が出てくる。
 
ただ、ご飯を食べて、毎日の仕事や暮らしを過ごしているだけでは、人間に
 
なっていかないのか?
 
「人間になる」といったら、なるため「人間って、どんなものか」が明らか
 
でないと、そのようにはなっていかないだろう、っておもう。
 
 
 
 
林先生「美しいものを美しいと感じ、その美しいものにたいして、それに
 
ふさわしい向き合い方をする。
 
それから、醜いものはみにくいものとして、それに対する。それにふさわしい向き
 
合いかたをする。
 
そういうことができるようになるための学問が、やはり人間としての一番大事な学問
 
でないでしょうか」
 
 
 
 
理性ということと、美しいとか醜いとか感じる、その向き合いかたって、どんなこ
 
とだろう? ここは、「分からない」ってしておこう。
 
 
 
 
「それで、何が美しく、何が正しいかというようなことは、社会の中でだんだん固定した
 
見方がつくられます。だからその決まった見方をうけいれていればよいのかというと、
 
そこに難しい問題が生じる。
 
人は、あるときには、世間の人がすべて、これが美しいとか、これが正しいとか、いう
 
場合でも、それをただちに美しいとか、正しいとか、認めることができない場合もやっぱり
 
ある。そのときには、やはり、自分の責任において、自分の信ずる正しいこと、美しい
 
ことのために、自分の存在を賭けることが必要になる。
 
そういうときには、世間の通念をきびしい吟味にかける力としての学問がものをいうわけ
 
です」
 
 
 
人間=理性=美醜の感覚=吟味
 
 
 
よく分からないけど、その辺の言葉どういうことかと、探究していけば、
 
見えてくるのかもしれない。
 
林先生の話を聞いている子どもたちは、授業のあとは、何か深いものを
 
発見した喜びで、感想を書く子もいるという。
 
 
 
 
「人間とか、どんなことか」
 
「人間と動物の違い」
 
「人間は理性をもつということ」
 
「理性とは」
 
「理性をもつとは、どういうことか」
 
「理性で見極めたものを、その通り実行できること」
 
「人間が人間になるということ」
 
「世間の通念をきびしい吟味をかける力」
 
 
 
 
いつか小学生のような気持ちで、じぶんのなかで起きたことから、
 
世界を知ろうとしている。
 
本当は争いたくないのに、争っている。
 
本当は人を殺したくないのに殺している。
 
世界の各地で戦争が続いている。
 
戦争のために、人を殺すための武器をつくっている。
 
人類を絶滅させる核兵器も無くせないでいる。
 
それを世界各地に売り歩いている。
 
自衛のためと言って、軍隊を増やしている。
 
ほんとうは、争わなくても、人を殺さなくても、戦争をしなくても、
 
核兵器なんかなくとも、だれもが本当に願うものが、手にすることが
 
できるのではないか。
 
ニワトリや犬には、無いものをぼくらはもっているのだから。
 
いま、目にしたり、耳にしたりすることには、あまりにも、ニワトリや
 
犬にも劣る光景が映ってくる。
 
 
目前の結果に一喜一憂する、かりそめの世界を、健康で和やかな昼の
 
世界から照らしていきたいなあ。
 
「人間を知り、人間らしく生きる」
 
 
 
 
 
 

 
 
 
  

 

 

 

 


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