孔子のことばに、六十にして耳順う、というのがある。
「人の言葉を聞いて、反射的に裁く(=ジャッジしてしまう)
ことがなくなった」
という受け取り方があると知った。
なるほど、と思う。
「聴けは、聴けやわな」ということばが、こころの片隅にある。
最近、身近な人とゆっくり話しながら、このことばが浮かんできて
噛みしめている。
「なんということ、してきたのか!」
娘から「否定しないでね」と、ぼくのこころに声がかかった。
ことばや態度に表れてこなくとも、一瞬、なにやらぐっと
立ち上がるもの、そんなのがあったか、なかったか。
「あるとか、無いとかの前に、そこはどんなだろう?」と見たく
なるもの。
成長ということがある。
その面からいうと、まだまだこれからだなあ、と思う。
やっと、ここまで。
希望がある。
娘がブログに、つぶやきみたいな、詩みたいなこと
書いていた。
まず?考えるより知ろうとする努力へ
考える頭から知ろうとする頭へ
考える努力より知ろうとする努力へ
何かある、ところから、
見ようとする努力へ
想像力。
妄想ではない。あるものを見ようとする努力へ
あるものの理解が少しでも進みますように。
知らないしかないのに。
すべて知っているかのようにして、
そこから考えてしまう。
知らないしかないことを知らないばかりに。
理解がすすんだら、そこから考えていきたいなぁ。
自分の理解、自分の考えであることは、かかさぬように。
考える努力より知ろうとする努力へ
何かある、ところから、
見ようとする努力へ
想像力。
妄想ではない。あるものを見ようとする努力へ
あるものの理解が少しでも進みますように。
知らないしかないのに。
すべて知っているかのようにして、
そこから考えてしまう。
知らないしかないことを知らないばかりに。
理解がすすんだら、そこから考えていきたいなぁ。
自分の理解、自分の考えであることは、かかさぬように。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます