かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

沖縄とケーテ・コルヴィッツ

2015-11-17 13:08:02 | わがうちなるつれづれの記

10月末、夕暮れが早い。

マンションに帰ってきて、ポストを何の気なしに覗いたら、一通の

ハガキが入っていた。

暗くて読めなかった。また、妻に来た何かのバーゲンのお知らせ

かな、ぐらいに思った。

部屋に入って見ると、「佐喜眞美術館」と書いてある。

 

佐喜眞美術館には昨年7月、妻と一緒に訪ねたことがある。

普天間基地に隣接し、むしろ基地に向かって、食い込んでいる。

「沖縄戦の図」という丸木位里、丸木俊さんの大作が館内いっぱい

に展示されていた。

夕方、美術館のテラスで、佐喜眞さんから美術館にかける気持ちを

聞かせてもらった。

「沖縄戦の図には、兵士は描かれてないんです」

「戦場で死んでいく人間には、目が描かれてないんです」

「よくみると、目が描かれいる子どもがあるの、気づきましたか?」

聞きながら、沖縄の地上戦がどんなものか想像した。

 

67歳になって、初めて沖縄に行った。

思いかけず、その沖縄の佐喜眞さんからのハガキ。

「NHK Eテレ アンコール放送のお知らせ」とあった。

「そこなわれし人々のなかに

   ーー沖縄でコルヴィッツと出会う」

11月1日朝5:00~再放送。

「これ、録画してほしい」妻に頼む。

最近、録画できる機械を購入して、この担当は妻である。

 

その夜、その録画を見た。いろいろ、湧いてきた。

番組の最後。ケーテ・コルヴィツが1945年、ナチス支配下の

ドイツで死を迎えようとしている。孫娘に語った言葉が心に

残ったなあ。

ーー私は時代にはたらきかけたい。

   いつかひとつの理想が生まれてくるでしょう。

   そして、あらゆる戦争が終わりを告げるでしょう。

   そのためには、人は辛い努力をなさねばならないでしょうが、

   いつかは成し遂げられるでしょう。

   平和主義をたんなる反戦と考えてはなりません。

   それは、一つの新しい、一つに理想、人類を同胞としてみる

   思想なのです。

 

 

 

美術館に行ったとき、「アートで平和をつくるーー沖縄・佐喜眞

美術館の軌跡」(岩波ブックレット)を買って、帰りの飛行機の

なかで、読んだ。

「沖縄の図」の印象が強く、コルビッツという版画家・彫刻家に

佐喜眞さんがどんな思いでいたかに、関心がいかなかった。

「アートで平和をつくる」といっても、漠然として、知りたい、という

ところはなかったかなあ。

 

今回の放映では、徐京植さんが佐喜眞さんにインタヴューする

というカタチだった。

徐京植さんについては、「デイアスポラ紀行ーー追放された者の

まなざし」(岩波新書)を読んでいた。

ケーテ・コルヴィッツ、佐喜眞道夫さん、徐京植さんが、なんで

つながるの?番組を見はじめのときの問い。

 

最近、韓国や中国で佐喜眞美術館のコルヴィッツのコレクションの

展示会が開かれていると知った。

1930代、魯迅が苦難のなかの人間の真実を追究している

とコルヴィッツの作品集を中国で出版したという。

徐さんは、在日朝鮮人として、ものごころがついてから、ずっと

「自分は何者なのか?」日本のなかで、自分自身に問いながら

生きてきている。

そこから、コルヴィッツを捉え、沖縄が置かれた状況のなかで

生きる佐喜眞さんはじめ、沖縄の人たちの思いを捉えようと

しているようにおもった。

「佐喜眞さん、こんな争いや戦争が続いているなかで、平和の

世が実現すると思いますか?」と徐さんは、問うた。

佐喜眞さんは、「出来ると思っています」と明快に応えていた。

そこに、なにか二人の間で言葉や表現の違いを超えて、共鳴して

いる響きが伝わってくるようだった。

 

そのあと、「ケーテ・コルヴィッツの日記ーー種子を粉にひくな」

(鈴木東民)を図書館で借りて、読んだ。

ケーテが芸術家としての途を歩みはじめたころ、両親が語った

ことがあると回想している。

ーー「人生には愉快なこともあるのに、お前は悲惨な面ばかり

   描くのか?」(これには、応えることが出来なかったとある)

   ケーテは述懐している。

   「それは最初から同情や共鳴からプロレタリアの生活描写に

   入ったのではなく、むしろ私は単純に美しいと感じたから

   である」

 

つぎ一節も、印象に残っている。

 

ケーテは、1914年第一次世界大戦で次男ハンスを亡くしている。

つづいて、1942年ドイツの戦争で孫ペーターを亡くしている。

再び、日記から。

ーー・・・ハンスやペーターが死ぬことがあっても、わたしの才能を

   最後まで伸ばし切らぬうちは、わたしのなかにある種が定め

   られてある通りに最後の小さい枝までも茂らせてしまわぬ

   うちは、わたしは退場しないだろう。

   このことは、もしわたしがどちらかを選ばせられたら、ーー

   ハンスやペーターの身代わりになってーーほほえみながらーー

   死んだであろうことは矛盾しない。

   ・・・ペーターは臼でひいてはならない種の実であった。

   彼自身は播種であった。わたしは、種子の播き手であり、栽培

   者である。・・・

 

 

佐喜眞さんの「アートで平和をつくる」を読むと、いま普天間基地に

食い込むように、丸木夫妻の「沖縄の図」の美術館があることが、

遠い彼方に必ずそうなっていく、一つの避けては通れない現れで

あるかのように感じる。

 

いま、沖縄では「辺野古に基地をつくってほしくない」という多数の

県民の気持ちがある。政治を進めている人たちは、そういう気持ち

を受け止めることが出来ないようだ。

東京から機動隊を出動させて、基地作りを強行しようとしている。

「自分のみの近道を行おうとする間違い」

出来ないことを、やろうとする試み。

 

パリで、11月13日夜、市民を狙った無差別殺人の事件があった。

中近東のISと言う組織が犯行声明を出したり、フランスや各国は

「テロには屈しない」と、勇ましい報復の誓いを宣言している。

日本のエライ人も、調子を合わせている。

シリアやパレスチナや中近東で起きていることは、武力による

解決しか考えられない、禽獣にも劣る愚かさからのもんじゃ

ないのかな。何十万という人たちが、安全な場所を求めて、

欧州などに移動している。これを、誰が止めることができるだろう。

 

佐喜眞さんは「アートで平和をつくる」と表現した。

アートというのは、どういうことを言うのだろう。

ケーテ・コルヴィッツの作品から、丸木位里・俊さんの作品から

どんなことを汲み取るんだろう。

佐喜眞さんが、修学旅行の学生や訪問者の人たちへ

のメッセージ。

ーー図の右下には骸骨の山があります。死んでいった人たちです。

  しかしよく見ると死んでいった人たちにもいくつか目が入っています。

  戦後の日本人がどう生きていくか、向こうから見ているのでしょう。

  しかし、目の表情は全部違って多様です。画家はこの目に何を

  たくしたのでしょうか。

 

アートは、じぶんの内面で気がつかないまま、埋もれていた

何かを開いて、照らしてくれるのだろうか。

なんどでも、確かめたい。じぶんのなかの、ほんとうの願い・・・

 

 

 


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