二本の手の使い方

今日の密蔵院は「写仏の庭」。お手本は千手観音。たくさんの手で人々を救うとされる仏さまだが、自分のために使う手は一本もないと言われる。さてさて、あなたは今日、自分の手をどれだけ自分以外のことに使いましたか?使いますか?むはは。

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出てきたフォトフレームのゆくえ

片づけをしていると、あちこちから色々なものが出てくる。一週間ほど前にでてきたのは、10年ほど前に買ったフォトフレームが9個。今日、午前中のご詠歌を終えてから制作にとりかり、「これ、さしあげます」と付箋を貼って玄関においた。今の私にフォトフレームは不要というだけの話である。どはは。

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あるテーブルの行方(ゆくえ)

「二階にある卓球台をどうにかしないと、リフォームのために移動する荷物を置くところがないの」との家内の懇願に、二階からおりてきた卓球台。家族や友人がとてもお世話になった巨大な昭和の遺物である。私の趣味が蕎麦打ちなら、待ってましたとばかりに使うのだろうが、あいにくその趣味は持ち合わせていない。どはは。
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野蕗二態 

檀家さんから野蕗をいただいたので、濃い味が苦手な家内は、半分を上手に煮びたしを作った。残りの半分で作るきゃらぶきは私の担当。落とし蓋をして5分煮て冷ます作業を3回して、ハイ、上手に、美味しくできあがり。他に手羽先のから揚げの下準備と、ラーメンの出汁作りもした。今日は、原稿書きの合間に料理人である(逆かな?)。うはは。

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使うときにこそわかる醍醐味

午前中のご詠歌を終えると、家内が「あなたのズボン、だぶだぶでおかしいわよ」と言う。自分でもそう思っていた。コロナ禍前に買ったのでデザインが古いらしい。こんなものをはいていると、実際より5歳老けて見えそうなので、一人近所のユニクロへ出かけた。この夏の上下の着るものを充分確保してニンマリしながら帰ってきた。お金の醍醐味は使うときにこそあることを実感した。ぎゃはは。

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分担作業の功罪

「高校生の孫娘が書道の展覧会で賞を取ったんです」と、スマホの写真を見せてもらったのは二カ月ほど前のこと。酔っていた勢いで、「日めくり地蔵」のコラボ(彼女は文字担当)を提案した。そのための、日にちとお地蔵さまだけ書いてあるバージョンを十冊作った。普段は書かないひらがなやカタカナの入った言葉を、限られたスペースに、失敗せず(失敗したら、他のページもだめになる)に書くのは、高校生にとってかなりハードルが高いことに気づいた。「『失敗』は経験って読むんだから、失敗しても気にしないですね」と伝えようと思う。

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しきりに頭を使う坊主

今日は、密蔵院で最もあわただしいお施餓鬼という行事。その準備のために二、三日前から空箱が出るわ出るわ。その中に資源ゴミにできない魅力的なものもある。紙箱の中仕切りや段々など、いつもの段ボール地蔵は2Dだが、3Dにするのにもってこいである。お寺に直接来ていただければ、先着順に一つずつ差し上げます--とは言え、だれも欲しがらないだろうけど。がはは。


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