だてに育ったわけじゃない物語(その1)
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さてさて、『十王経』に続いてお送りするのは、“今どき古っ!”と言われそうな、親孝行の大切さを説いた「仏説父母恩重経」(ぶもおんじゅうきょう)の一席。
ところが、これが、昔も今も変わらぬ親子の愛憎を、巧みに説いたものゆえに、ひとつ,芳彦流超訳で……ベ、ベン、ベン。
むかし、むかしの2500年ほど前の話である。
所はインド中部の町の東北にある山中。そこに、お釈迦さまはいた。お釈迦さまは山容が鷲の姿に似ているこの山が大好きだった。
べつに「わしは鷲が好きだなあ」と駄洒落を言うためではない。やはりこの山は一つのパワースポットだったのだろう。
今日も今日とて、お釈迦さまは、おおぜいの人々――そこには僧侶や尼さん、信者さんだけでなく、なにやら妖気を発する鬼神たちもいた――が、お釈迦さまの周りを取り囲んで座っていた。
今日はお釈迦さまのお説法の日なのだ。
お釈迦さまが林の中から現れていつもの法座につくと、それまでペチャクチャと喋っていた声がスーッと静まり、全員の視線がお釈迦さまに注がれた。
するとお釈迦さまは静かに話しはじめた。
……父に慈恩あり、母に悲恩あり。
そのゆえは、人のこの世に生まれたるは、
宿業を因として、父母を縁とせり。
父にあらざれば生ぜず、母にあらざれば育(いく)せず……
もちろんその場にいた者たちは、すでに仏教の知識があったから、そのままで「フムフム」とうなずいたのだが、これではなんのこっちゃかよくわからない。
幸いにも、登山道の入り口でイヤホンガイドの無料貸し出しサービスがあったので、ここからは、そのイヤホンガイドから流れる音声を書き記してまいります。
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なんだか今日は不思議な日です。平日なのに朝からお参りの方が10組近くもありまして。お線香つけに住職室と玄関を行ったり来たり。
黒のジーパンと黒のポロシャツというイデタチ。まるでどこかのテーマパークのスタッフみたいな格好で対応してました。ゴメンナサイ。
午後は13時からご詠歌のお稽古(小岩会場)。参加者10名。ここ2、3日モヤモヤしていた気分が軽くなる、私にとっても素敵な時間でした。
帰坊してから、「・・・なんだそうだ、般若心経」の痛快イラスト付きバージョン出版準備の打ち合わせを檀家さんと。
19時からはまたご詠歌(葛飾会場)。参加者はたぶん5名くらい。
私のうかがうご詠歌は、10月の全国大会(群馬伊勢崎)に向けて、どこも同じ曲。
若き日の弘法大師が、四国室戸岬で詠まれたと伝わるご詠歌。
「法性(ほっしょう)の室戸と言えど 我が住めば 有為の波風 寄せぬ日ぞ無き」
これを約2分かけて唱えます。ご詠歌の意味は明日にでも書きますね。味わい深い内容です。
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歳と共にご詠歌 古典落語 浪曲 津軽三味線などなどの調子が理屈抜きに気持ちいいように感じるでがんす
やはり これも日本人の血なのでがんすかね
育った時代は、街でもテレビでも、古典落語の世界が実際に残っていたし、浪曲のネタになっている話は新国劇でも、街のお祭りの時の講談でも、どこかで聞いたことのある話。歌謡曲も股旅物が多かった。
三味線の音色も何となく聞いていた、そんな時代でしたね。
今の30代に聞いても「ロウキョク?」「ナニワブシ?」です。
ゆっくり馴染んでいってもらいましょう。わははは。