岸田政権は、北京オリパラに閣僚など政府関係者を派遣しないことを決め、松野官房長官が閣議後の会見で発表した。アメリカが「外交ボイコット」を表明したのに続いて、英国、豪州、カナダ、リトアニアが同調し、ニュージーランドも閣僚レベルを派遣しないと明らかにしたことから、「話をよく聞く」けれどもなかなか決められそうにない、しかしリベラル派の岸田さんとしては「ニュージーランド方式」かな・・・と直感した(苦笑)。最近、「新時代リアリズム外交」を推進するなどと口走ったので、「ボイコット」という文言は避けるだろうと確信した。リアリズム(現実主義)がイデオロギーにこだわらないのは、かつてニクソン共和党政権でキッシンジャー外交が旧・ソ連に対抗するために社会主義の中国を取り込んだことを見るまでもない。そういう意味で、今回の矛先を鈍らせた決定を、「外交的ボイコット」を叫んで来た保守・強硬派の方々は物足りなく思うかも知れないが、経済重視の現実主義から「ボイコット」は考えないと開き直る韓国とは一線を画し、国家理念として「自由、基本的人権の尊重、法の支配が中国においても保障されることが重要であると考え・・・総合的に勘案して判断した」と表明して、なんとか米英側に踏みとどまった。
キッシンジャー外交の現実主義に倣って、中国に対抗するためにロシアを取り込むのはどうかと、以前、本ブログで思考実験したことがあるが、実際のところ、ロシアの政治は人権問題があり、その強権的な執政に近づき過ぎるのはちょっと危険だ(ロシアとしても巨大化する隣国・中国とあからさまに敵対するのは躊躇するだろうが)。すなわち、現実主義と言えども「理想」がないと、ただの現実追随に堕してしまう。かつて、現実主義の国際政治学者だった高坂正堯・京大教授は、坂本義和・東大教授のような進歩派を批判しつつも対話を呼びかけておられたのは、現実主義と理想主義の間の、あれかこれかの二択ではなく、そのバランスがポイントだからであり、その間には無限のバリエーションがある。そして何より今の時代状況には大いなる懸念がある。
バイデン大統領は頻りに「民主主義 対 権威主義」を煽って、反中では超党派で一致する議会や世論に迎合し、進歩派からは世界を分断するものとして批判されるが、それは中国が(バイデンさんにとっては主たる関心が人権問題かも知れないが)ある一線を越えてしまって、その中国に宥和的であるのを問題視するからでもあるだろう。覇権が脅かされる大国アメリカの被害妄想でもあるが、理解できなくはない。1938年のミュンヘン会議で、ネヴィル・チェンバレン英首相はナチス・ドイツの勢力拡大を一定程度認めて平和を維持しようとして、「宥和政策」の悪しき先例として後世、散々批判されて来た。そこまでのことはないにしても、今の中国の権威主義的な勢力拡大は問題含みで、そこを曖昧に中国と付き合おうとすると、中国自身が見誤りかねない。そのため、地理的に離れて極東の安全保障にさほど関心がない西欧諸国ですらも、特に昨年、パンデミックでの情報隠蔽や香港国家安全維持法の施行がある一線を越えたかのように受け止められ、中国に対する警戒を強めて、新彊ウイグルの人権問題に対しては明確に声をあげるだけでなく制裁を科すまでになった。EUとして、また英・仏・独にしても、自由で開かれたインド太平洋への関心が高まっている。世界の多くの国は、中国と経済的に相互依存の関係にあって、現実的な割り切った対応をしているように装うが、心の中で苦々しく思っていない国はないだろう。
折しも現実派の知人が、自民党・保守派が「ボイコット」を叫ぶことに眉を顰め、そんなことを公言したところで何の「得」にもならないと言ったので、いやいや「損得」勘定だけではなく、ときに「理念」を示すことも大事であって、そもそも日本にもいろいろな議論があることが表に出るのは望ましい、それこそが自由・民主主義たる所以で、様々な声を集約して、最終的に岸田さんが政府として閣僚を派遣しないのを「ボイコット」とは呼ばないという甘目の対応に落ち着かせるにしても、その政策決定過程を、当の中国に対してだけでなく、欧米その他の有志国に対しても見せることが、最終的な結論にプラスαする重要なメッセージになり得ると思う、と答えた。そう言えば、安倍・前首相が「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事でもある」と発言したことに反発した中国から呼び出された在中国日本国大使の垂氏が、安倍さんのように政府を離れた人の発言のひとつひとつに政府として説明する立場にないが、台湾を巡って安倍さんのような考えが日本にあることを中国は理解すべきであると、毅然と対応されたのは、外交官として実に見事だった(*)。
このように、中国とは「是々非々」で付き合って行くべきだと思う。その限りではバイデンさんが中国との間で「協力」「競争」「対立」すると言われるものに近い。振り返れば聖徳太子も、恐らく是々非々で、遣隋使を送るけれども、「日いづるところの天子」などと称して、べったりではない最低限の付き合い(現代風に言えば「戦略的互恵関係」)を目指していたのではないかと想像する(笑)。もっと言うと、オリンピックを「外交ボイコット」すると言ったくらいで関係が危ぶまれるような弱腰の日中関係を作って来た政治を反省すべきだと思う・・・というのは言い過ぎだろうか(オリンピックを政治利用するな、と言うのであれば、そもそもオリンピックで首脳外交する過去をあらためて、今後、一切、政治が関わらないようにするのがよいと思う)。
南京事件で犠牲者の人数を法外に膨らませて非難し続け、福島原発処理水を汚染水と言って放出に反対するのは、とても「科学的」な態度とは言えない、嫌がらせに過ぎない。南シナ海問題で仲裁裁判所の判決を紙屑呼ばわりし、尖閣に毎日のように侵入するのは、とても「法的」とは言えない、ただの身勝手だ。香港で民主的な活動を弾圧し、ウイグルやチベットや内モンゴルで人権を抑圧して恥じないのは、「非人道的」に過ぎる。そんな「非・科学的」「非・法的」「非・人道的」な側面に対して声を上げないことの方が有害であり、日本国として、国際社会・・・それは有志国だけでなく、日頃から中国の圧力を受けやすい東南アジア諸国や太平洋の島嶼国からも、どう見られるかに留意すべきだろう。遠慮したり忖度したりして、非難すべきところを非難しないで誤魔化すのではなく、また保守派のように毛嫌いして遠ざけるのではなく、引っ越し出来ない隣国同士なのだから、是々非々で、ダメなものはダメと言えるような、日本は凛として、清らかな神道的境地(あるいは皇室の“わびさび”の世界)を体現するような「国のカタチ」を模索して欲しいと、切に願う。
(*)“台湾有事は日本と日米同盟の有事”安倍元首相発言に中国抗議
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211202/k10013371311000.html
キッシンジャー外交の現実主義に倣って、中国に対抗するためにロシアを取り込むのはどうかと、以前、本ブログで思考実験したことがあるが、実際のところ、ロシアの政治は人権問題があり、その強権的な執政に近づき過ぎるのはちょっと危険だ(ロシアとしても巨大化する隣国・中国とあからさまに敵対するのは躊躇するだろうが)。すなわち、現実主義と言えども「理想」がないと、ただの現実追随に堕してしまう。かつて、現実主義の国際政治学者だった高坂正堯・京大教授は、坂本義和・東大教授のような進歩派を批判しつつも対話を呼びかけておられたのは、現実主義と理想主義の間の、あれかこれかの二択ではなく、そのバランスがポイントだからであり、その間には無限のバリエーションがある。そして何より今の時代状況には大いなる懸念がある。
バイデン大統領は頻りに「民主主義 対 権威主義」を煽って、反中では超党派で一致する議会や世論に迎合し、進歩派からは世界を分断するものとして批判されるが、それは中国が(バイデンさんにとっては主たる関心が人権問題かも知れないが)ある一線を越えてしまって、その中国に宥和的であるのを問題視するからでもあるだろう。覇権が脅かされる大国アメリカの被害妄想でもあるが、理解できなくはない。1938年のミュンヘン会議で、ネヴィル・チェンバレン英首相はナチス・ドイツの勢力拡大を一定程度認めて平和を維持しようとして、「宥和政策」の悪しき先例として後世、散々批判されて来た。そこまでのことはないにしても、今の中国の権威主義的な勢力拡大は問題含みで、そこを曖昧に中国と付き合おうとすると、中国自身が見誤りかねない。そのため、地理的に離れて極東の安全保障にさほど関心がない西欧諸国ですらも、特に昨年、パンデミックでの情報隠蔽や香港国家安全維持法の施行がある一線を越えたかのように受け止められ、中国に対する警戒を強めて、新彊ウイグルの人権問題に対しては明確に声をあげるだけでなく制裁を科すまでになった。EUとして、また英・仏・独にしても、自由で開かれたインド太平洋への関心が高まっている。世界の多くの国は、中国と経済的に相互依存の関係にあって、現実的な割り切った対応をしているように装うが、心の中で苦々しく思っていない国はないだろう。
折しも現実派の知人が、自民党・保守派が「ボイコット」を叫ぶことに眉を顰め、そんなことを公言したところで何の「得」にもならないと言ったので、いやいや「損得」勘定だけではなく、ときに「理念」を示すことも大事であって、そもそも日本にもいろいろな議論があることが表に出るのは望ましい、それこそが自由・民主主義たる所以で、様々な声を集約して、最終的に岸田さんが政府として閣僚を派遣しないのを「ボイコット」とは呼ばないという甘目の対応に落ち着かせるにしても、その政策決定過程を、当の中国に対してだけでなく、欧米その他の有志国に対しても見せることが、最終的な結論にプラスαする重要なメッセージになり得ると思う、と答えた。そう言えば、安倍・前首相が「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事でもある」と発言したことに反発した中国から呼び出された在中国日本国大使の垂氏が、安倍さんのように政府を離れた人の発言のひとつひとつに政府として説明する立場にないが、台湾を巡って安倍さんのような考えが日本にあることを中国は理解すべきであると、毅然と対応されたのは、外交官として実に見事だった(*)。
このように、中国とは「是々非々」で付き合って行くべきだと思う。その限りではバイデンさんが中国との間で「協力」「競争」「対立」すると言われるものに近い。振り返れば聖徳太子も、恐らく是々非々で、遣隋使を送るけれども、「日いづるところの天子」などと称して、べったりではない最低限の付き合い(現代風に言えば「戦略的互恵関係」)を目指していたのではないかと想像する(笑)。もっと言うと、オリンピックを「外交ボイコット」すると言ったくらいで関係が危ぶまれるような弱腰の日中関係を作って来た政治を反省すべきだと思う・・・というのは言い過ぎだろうか(オリンピックを政治利用するな、と言うのであれば、そもそもオリンピックで首脳外交する過去をあらためて、今後、一切、政治が関わらないようにするのがよいと思う)。
南京事件で犠牲者の人数を法外に膨らませて非難し続け、福島原発処理水を汚染水と言って放出に反対するのは、とても「科学的」な態度とは言えない、嫌がらせに過ぎない。南シナ海問題で仲裁裁判所の判決を紙屑呼ばわりし、尖閣に毎日のように侵入するのは、とても「法的」とは言えない、ただの身勝手だ。香港で民主的な活動を弾圧し、ウイグルやチベットや内モンゴルで人権を抑圧して恥じないのは、「非人道的」に過ぎる。そんな「非・科学的」「非・法的」「非・人道的」な側面に対して声を上げないことの方が有害であり、日本国として、国際社会・・・それは有志国だけでなく、日頃から中国の圧力を受けやすい東南アジア諸国や太平洋の島嶼国からも、どう見られるかに留意すべきだろう。遠慮したり忖度したりして、非難すべきところを非難しないで誤魔化すのではなく、また保守派のように毛嫌いして遠ざけるのではなく、引っ越し出来ない隣国同士なのだから、是々非々で、ダメなものはダメと言えるような、日本は凛として、清らかな神道的境地(あるいは皇室の“わびさび”の世界)を体現するような「国のカタチ」を模索して欲しいと、切に願う。
(*)“台湾有事は日本と日米同盟の有事”安倍元首相発言に中国抗議
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211202/k10013371311000.html