風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

六十五回目の夏(10・完)エリート

2011-08-17 00:24:37 | たまに文学・歴史・芸術も
 昨日、六十六回目の終戦の日を迎えました。このタイトルで書き始めたのは昨年9月初め(六十五回目の夏)のことで、遅くともこの3月にはシリーズを書き終える予定でしたが、大震災のどさくさに紛れて遅くなってしまいました。
 これまで先の戦争の諸相を追って来ました(先の戦争と言っても、私は京都人ではありませんので戊辰戦争のことを言っているのではありません)。太平洋戦争を論じる場合、いろいろな視点があり得ますが、巷には組織論的なアプローチが圧倒的に多いように思います。日本人にとって永遠のテーマなのでしょう。そして、大震災のどさくさに紛れている間に、太平洋戦争におけると同様の組織論的な問題が、大震災とりわけ原発問題ではしなくも露わになったように思います。既にこのブログに部分的に記述しましたが、あらためて私なりに太平洋戦争を、大震災とりわけ福島原発問題とのアナロジーで、組織論的に総括してみたいと思います。
 大震災で最も印象に残ったのは「想定外」という言葉でした。肯定的に受け止めたのではありません。むしろ逆で、未曾有の大震災と言うのは、私たちの経験になかっただけのことで、震度にしても津波の大きさにしても、歴史を紐解けば容易に想定できたはずでした。もっと言えば、自然界に想定外などないと言った科学者もいました。そうだとすれば、一体、誰のための何のための想定だったのか。実は、責任をもって進めるべき当事者が、本来の目的を離れて予算などの別の制約条件によって、自らの責任範囲を限定し、言い訳として語っているに過ぎないわけです。似たような事例を、太平洋戦争でも見つけることが出来ます。例えば、1940年9月、日本は独・伊との間で三国同盟を締結し、アメリカを牽制しようとしましたが、アメリカの対日感情は却って(想定以上に)悪化してしまいます。1941年7月、日本は南部仏印に進駐し、東南アジアからの物資調達ルートを確保するとともに、ビルマにおけるアメリカの援蒋ルートを牽制しようとしましたが、英米蘭による日本の在外資産凍結や米による対日石油禁輸など過剰反応を招き、アメリカとの関係悪化は決定的になりました。現実離れした視野の狭い楽観的な見通しは、端的に誤算だったにも係らず、想定外として責任追及を免れようとしている点で、原発問題と通底するものがあるように思います。
 当事者というのは、誤解を恐れずに言えば、官僚組織ということになります。
 日本においては、明治維新の当初こそ政治主導が輝かしい歴史を残しましたが、以後、官僚組織が圧倒的な権力を握ります。明治憲法は「国務各大臣は天皇を輔弼しその責に任ず」と定めていました。輔弼とは天皇の大権行使に助言することであり、誤りがあれば責任は天皇でなく各大臣が負うものでした。大臣の独立性が強く、輔弼制度のもとで、大臣の任免権は首相にはなく、首相も内閣の一員に過ぎませんでした。そのため、後に、陸軍大臣が辞めて内閣が瓦解するという、今では信じられないことがざらに起こるようになります。これは、伊藤博文が、天皇主権の絶対君主制と、議会の存在を認め大臣の輔弼責任を前提とする立憲君主制という、二つの異なる原理を両立させようとした苦肉の策と言われます。伊藤博文は、権力を天皇に集中させ、自由民権運動などの政党勢力に対抗しようとしたわけです。結果として、輔弼というシステムは、首相に権力が集中するのを避け、天皇の地位が空洞化するのを防ぐ一方、天皇に最終的責任を負わせないで済む仕組みで、権力は分散し、責任は曖昧になりがちでした。こうした日本独特の権力の中空構造の中で、官僚組織が確実に権力を浸透させていきます。戦前においては参謀本部こそ官僚組織の典型だったと言われます。
 太平洋戦争を語る時、「軍部」と言えば大本営・陸軍部(参謀本部)及び大本営・海軍部の「作戦部」のことを指します。陸大、海大の成績トップ5番までしか入れないという暗黙のルールがあるエリート集団でした。天皇陛下の命令=大本営命令は、作戦部が原案を作成し、作戦部長、参謀総長の承認を経て、最終的に天皇の裁可を得て発令されます。そのくせ、統帥権独立のタテマエから内閣や議会は直接関与できませんし、天皇陛下が原案を拒否することも先ずありません。そしていったん天皇陛下の裁可を受けると、参謀総長と言えども後には引けませんし、機関説を奉じていたとされる天皇陛下も、遠慮されて、上奏されない限り自ら命令変更することはありません。結局、走り出すと、誰も失敗を言い出すことは出来ないものですから、失敗を改めることも出来ない、もっと言うと、失敗そのものを認められない組織構造になっていました。こうしたエリート組織の悪しき習性は、戦後にそのまま引き継がれているように思われます。
 エリートだから悪いわけではないでしょう。ただその高い地位にも係らず、世界で何が起こっているのかということに対して感度が鈍いとしたら・・・。外の変化に目を向けるより、内なる権力闘争(例えば陸軍vs海軍)にばかり関心を向けていたとしたら・・・。官僚として、公僕として、国益(太平洋戦争の当時は日本の安全であり、原発問題においては国民の安全)を追求するより、自らが所属する狭い組織のメンツや省益にこだわるとしたら・・・。実際、官僚の一人ひとりは飛びっきり優秀で志も高く、憂国の情に燃える人が多かったと思いますが、組織としては、何故か、物事の本来の存在意義や目的を矮小化し、逸脱して、なおその責任の自覚が乏しいことが、日本の官僚制の問題であるように思います。66年の時を経ても、なお・・・?
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